
雀百まで踊り忘れぬとやら。低レベルの話しで恐縮ですが、小中学校で習った天文学をいつか復習しようと、心ぐみ(心組)していました。簡単な星座の名前は憶えてはいるのですが、晴天の夜空を見上げても、どれがどの星で、どう星座を構成しているのか、皆目、検討がつきません。
私の天文学的知識はこの程度で、ネットに出ている天文学は難しすぎて理解できません。そこで簡明な天文学書がないのものかと探していましたが、最近になって、ようよう、野尻抱影氏に辿りつきました。強烈な感動と驚嘆の毎日で、これらの垂涎の書にどうして、いままで気が付かなかったのか。天文を、星を語れば、もう、この人しかおりません。内容範囲が漢詩から、英文詩にいたるため、先達も、後継者も皆無です。
野尻抱影さんは1885年、明治18年11月15日野尻正助の長男として生まれ、本名正英まさふさ、横浜関外が生家です。鞍馬天狗で有名な作家大佛次郎オサラギジロウさんの実兄で、神奈川一中から早稲田大学英文科に入り、ラフカディオ・ハーン、坪内逍遥、島村抱月に師事し、明治40年甲府中学校英語教師となっています。
翌年に白根北岳の登山で山肌に描かれた残雪による雪形に感動し、また同時に、星にも魅せられ、以来、星をテーマに生きてこられた希有なる人です。そして、この時に、校長大島正健の長女麗子さんと結婚。1912年、大正元年、麻布中学校教師、研究社編集長。英語の先生でした。処女作は大正13年の『星座めぐり』で、その後、60冊あまり、汗牛充棟、ただならぬ、夥しい星、星宿(星辰、星座)の知識が披露されています。星座は昼間の星のことをいい、星辰は夜の星のことをさします。
チェンバレンの日本には星の名がないという指摘をうけ、先輩格の新村出が「星辰について」の論文で、なくはないが数少ないと書かれたことに猛然と反論。『日本の星』を昭和11年に出版したのは快挙。
そして『星と東西文学』昭和15年出版の序文に、「星は、私には文学より先に来た。1899年、明治32年の秋の獅子座流星群で眼を空へ導かれてから、そして英文学のいくつかの星座神話を発見したことから、星に対する興味が激しく盛り上がった」と述べられている。
中学生時分から星、天文学に凝りはじめ、その人生は星の語り部となった星と文学の大家なのです。
それでは、どれほど星を愛したかというと、フランシス・ジヤムの「慎重」という題の詩集をかりて、
ただ一こと“星”とだけ、
なんにも付け加へずに
その名をいふとき
その中に閉された魂が羞(はじ)らひながら、
その美しさを私達に渡すのを
お前も知るがいい。
堀辰雄訳
原文は星が薔薇になっているのです。
この、野尻抱影の大宇宙の世界を読むとき、シューマンのピアノトリオ2番がバックに流れていれば最高です。
そして、ナント、あの地球より最も遠い遊星プルトー、冥王星の名付け親なのです。
1965年、昭和52年10月30日に91歳で逝くなられ、本人の望みでオリオン座が、お墓だそうです。今も、予(かね)て、愛蔵酒のナポレオンを届けさせてあったオリオン座の、マンション住まいであられまする。オリオンの左肩γ(ガンマ)は二等星でベラトリックス Bellatrix 女武者と命名されており、ここが抱影氏の永遠への住処(すみか)なのです。
追記して、2004年は金星が130年ぶりに太陽面を通過するのが観察できました。これについても述べますが、これは野尻抱影さんは一度も書いていません。抱影氏自身は体験していない天体スペクタクルです。
抱影ワールドは星で満載、難しいが興味津々、乾坤一擲(けんこんいってき)の作品ばかりです。
なかでも、特異な作品で、関西の俳句の雄、山口誓子との協同執筆した随筆集の『星戀』を戦後、世に出しています。鎌倉書房から昭和21年に出版されており、大雅と蕪村による「十便十宣図」に比肩するとまで石田五郎氏に言わしめた、東西の星の大横綱による豪華判です。
この中に、早春を題目として友人と手賀沼で鴨射ちをする場面が出てきます。友人とは、おそらく志賀直哉でしょうが、大正に我孫子、手賀沼での楽しみと、その沼面から見上げた早春の夕空の宵の明星のすばらしい描写文があり、これを紹介します。
それでは、先ず、星座はわかりにくいので惑星についての文です。
つい、昭和の時代には惑星のことを遊星と表現していました。火星に棲む遊星人などといっていましたが、いつの間にか惑星といっています。猿の惑星という映画があった頃からのことではないかと思いますが、定かではありません。
さて、太陽と地球との間には、水星と金星があり、これを内惑星、内遊星といいいます。太陽系惑星(遊星)は9つで太陽、水金地火木土天海冥というのはご存じでしょう。9つめの惑星をみつけたのはだれでしょうか。そして、その銘の由緒(いわれ)は?
これらの9つの遊星の特徴と命名に関係する神話を一つ一つ紹介していきます。出典は野尻抱影著、昭和廿六年、研究社から発刊の『星座神話』からです。

この遊星は、出没が素捷(すばし)こく、いつも隠れん坊でもやっているような印象がヘルメスの名に相応しています。遊星の最小なもので、地平の濛気(ほうき)の中に見えるために、著しく瞬(まばた)きします。ギリシャでは初め“きらめくもの”と呼びました。
春は日の出前に、秋は日没後に一時間ほど、太陽から十八度以上は離れない処に見えるので観望に不便です。ポーランドの天文学者コペルニクスも、水星の存在は知っていたが、土地の関係上、見ずじまいになったと伝えられています。欧州での、これを観測した最初の文献は、西紀前265年となっています。しかし、それより遙か以前、ニネヴェの天文家がアッスルパニパル王に奉った報告に、水星と覚しいものが記されています。
水星は直径約4,900キロ、月より1,500キロ大きいだけです。太陽を1公転する周期、即ち1年は約88日、これが同時に1日だろうと推測されています。それで常に同じ面を太陽に向けているので、その面は非常に高熱度に達し、その反面は、恐らく摂氏零下273度の極寒だろうということです。内遊星であるため、小望遠鏡にも月と同じ満ち欠け、盈虧(みちかけ)を見せます。
水星の英名はマーキュリー、ローマ神話のメルクリウスからきています。ギリシャ神話ではヘルメスで、大神ゼウスとアトラースの女(むすめ)マイヤとの間に生まれて、神々の伝令を勤め、亡霊を冥府へ導き、眠りと夢を主(つかさ)どっていました。また、神としては、すべて機転の利く素捷こい職業を保護して、雄弁家、商人、医者、旅行者、果ては山師、博打打ちや盗賊のパトロンにまで見られていました。
神話によると、ヘルメス自身がオリンポスの鼠小僧また忍術使いで、毎度想うがままの姿に変相して神々をまごつかせ、盗んだ宝物の中には、ゼウスの黄金の笏(しゃく)を初め、軍神アレースの剣、鍛冶の神ヘフィイストスの鉄鎚、海神ポセイドンの三叉戟(さんさげき)、美の女神アフロディーテの玉の帯までもありました。
しかし、朗らかな愛嬌者なので神々に可愛がられ、人間にも好かれて、使いの神、旅人の神として、路傍や辻に石像を立てられていました。
ヘルメスは、翼の生えた靴タラリヤを穿き、翼の生えた旅人帽子ペタソスを冠り、二匹の蛇の絡んでいる伝令杖カデュケウスを携えて、天界下界の間を自由に翔け廻っていました。この伝令杖はもとアポロン神のものでした。
ヘルメスは、洞窟の中で生まれると間もなく、そこを出て、アポロンの牛を盗み、二匹を殺し、残りを隠してしまいました。それから洞窟へ帰って行くと、入り口の近くに海亀が匐(は)っていたので、その甲羅に孔を穿ち、芸術の女神ムーサイの数に象(かた)どった九筋の糸を張って竪琴を造りました。
そして、アポロンが牛を奪い返しに来ると、その竪琴を贈って怒りを解いた上に、伝令杖を譲ってもらいました。この伝令杖は、日本でも商業学校の徽章に使われています。

燦爛(さんらん)たる光輝と、敏捷な運動とで、古代人に最も早く注目された遊星で、現存の最も古い観測記録は、バビロン出土の瓦板に発見されました。
特にその美しい白銀の光から、支那では太白(たいはく)と呼ばれ、西の国々では神々の中でも最も古い、最も人気のあった、美と愛の女神の名を得ました。
これは、金星に対する讃美と親愛の感じとを自然に導いたもので、ギリシャのアフルディーテ、ローマのヴィーナスばかりでなく、更に以前のバビロニア、シリアでは女神イシュタルの権化であり、その他の諸民族の神話にも、似寄りの観方が伝えられ、彼等の詩人は挙って、この美しい明星に賛歌を捧げていました。
ホメロスは、他の遊星のことは言っていないが、金星ばかりは、カルリストース 美しいもの と歌っています。
フランマリオンは、未開時代には彼女(金星)が清いランプを点す時刻を、許婚の娘たちは待ちこがれた。この美しい星に、胸の奥の微妙な想いを寄せていたからだ、と言っている。が、僕は、これから、詩経、陳風の次の恋愛詩を連想します。
東門の楊 其の葉そうそう
昏以て期と為す 明星煌々
東門の楊 其の葉肺々
昏以て期と為す 明星誓々
金星は日本でも、宵の明星、曉の明星と呼び分けていたように、昔は東西共に日没後のものと日の出前のものとを別々の星と考えていました。即ち、中国でそれぞれ長庚、啓明と呼んでいたのに対し、ギリシャではヘスペロスあるいはウエスペル、フォスフォロスあるいはルキフェルと呼び、ピタゴラスが初めて二つを同じ星と視たといわれています。
金星は、直径12,400キロ、地球より300キロ、小さいばかりで、また地球に最も近い遊星です。しかし、その強い光輝のために大望遠鏡でも表面の観察が利かないので、自転しているか否かも判明しません。恐らく水星のように公転と自転とが同じで一日即ち一年、約225日であろうと想像されています。
金星も内遊星で、小望遠鏡に、美しい盈虧(みちかけ)を見せます。この現象を初めて観たのはガリレオでした。遠日点に来て最大光輝を放つ時には大犬座のシリウスの12倍にも達して、壁に影を映し、白昼にも指すことが出来ます。支那の所謂、太白昼見るです。
英名はヴィーナスで、ローマ神話のウェーヌス、ギリシャ神話のアフロディーテに擬したものです。大神ゼウスと女神ディオネ(ウラノスとガイアの娘)の間にうまれましたが、ヘシオドスは海の水泡から生まれたとしています。後の場合では、フェニキアの沖合で緑の泡の中に浮いていたのを、海の精女ニンフたちが珊瑚の島へ抱いて帰って、大切に守り育て、後また海の面に連れてくると、トリトン、ネレイス、オケアノスなど男女の海の精が、その周囲をとり巻いて、輝くばかりの美しさを讃え、深海の底の珊瑚や真珠で薔薇色に匂う裸身を飾りました。
そして、アフロディーテを波の上に寝かせ、西風ゼフィルスが、そよそよと吹き送って、キプロスの島に漂いつかせました。彼女の踏む土にはどこにも華が咲きました。
美の三女神カリテースや、四季の女神ホーライたちには、彼女を迎えて、薔薇、サフラン、ヒヤシンス、菫、百合、水仙などの香を籠めた、虹の七色の衣を被せ、馥郁とした花環をまとわせて、オリンポスの神山へ連れて行きました。
神々たちも、この女神の照り輝く美しさに恍惚と魂を奪われてしまって、吾れ勝ちに妻に望みましたが、大神は皮肉にも、最も醜い鍛冶の神ヘーフィイストスに彼女を与えました。
アフロディーテは愛と美の女神で、また動植物の生産の神です。ケストスという金色の縫箔の帯(ほうはく)を持っていて、これを巻くものに身を焦くような愛欲を感じさせました。大神の正妃ヘラも度々これを借りては、多情な夫を自分に牽きつけたと言われてます。
ギリシャ神話に現れていろいろの恋物語、たとえばヘレネーとパリス、ヘロとレアンドロス等々の事件はアフロディーテの焚きつけたものが多く、彼女も亦、美しい猟夫アドーニスや、ローマの神話的祖先でヴィルギリウスが不死の神々にも似たる美貌と歌った英雄アンキセースを愛して、後者との間には勇士アイネアスを生みました。また、アスースとの間には愛の神エロスを生みました。

この遊星の赤ばんだ光は、古代から東西の国民に注目されて、ギリシャでは火のようなもの、エジプトでは燃えるもの、ヘブライでは赤いホルス神、ヒンズー人は余燼(もえさし)、火星は支那の名で、一にけい惑(けいわく)と呼んだのもこれを妖星と見た為です。
フランスの天文学者フランマリオンもいったように、火星が空の深みに血を滴らしたような印象は、自然に戦争の火や流血を連想させ、これが軍神アレースと結びつけられたのも如何にも自然であると思われます。
世界の記録では、支那に西紀前2441年に火星観測の文献と見られるのがあります。占星術では、これは当然、不吉の星と見られて、いろいろの赤い星、例えば蠍座(さそりざ)のアンタレスの如きは、火星の性質を有するものとされています。ギリシャでは、マラトンの野や、テルモビレーの隘路(あいろ)で、犠牲者はみな、折りも折り、天上に無意味な血の色を点じていた火星を呪ったと伝えられます。しかし、星は元より無心、掟て通り空間を運行していたにすぎません。
火星の直径は地球の約二分の一で、1日は24時37分23秒弱、1年686.9日、地球より希薄ではあるが大気があり、極の雪や表面の斑紋が見え、それらによる四季の変化も認められるので、最も興味のある遊星です。しかし屡々、問題となる生物の存在は、酸素の量が地球の一割五分に過ぎぬこの世界では、絶望と見る他はありません。その二衛星フォボスとデイモスは1877年に発見されたもので、直径約56キロと16キロとに過ぎません。前述の通り、アレース神の二子によった名です。
英名はマーズ、ローマ名はマルスで、ギリシャ十二神の中のアレスに当たります。
ゼウスとヘラとの子、初めは嵐の象徴で、それから軍神になりました。アテナが秩序正しい戦を主どるのに対し、彼は、血腥(ちなまぐさ)い乱闘殺戮を主どって、憎悪の念を煽るのを好みました。それで、戦場へはいつも息子のデイモス危惧とフォボス恐怖、娘のエニュオー争闘とエリス不和および血に渇いている魔神ケレスたちを伴っていました。
ホメロスはイリアードの中で、アレスをひどく冷遇しています。トロイヤ戦争では、この神はトロイヤ軍を援け、アテネ女神はギリシャ軍に見方していました。
ある日の戦で、彼は青銅の槍を揮つて、ギリシャの勇将ディオメデスに突いてかかると、アテネは、その槍を投げ上げて寄せつけず、反ってディオメデスの槍にアレスの腹を突かせて痛手を負わせました。その時のアレスの喚(わめ)き声は一万人の戦士が一斉におらび(おたけび)叫んだ声ほどにも聞えました。
そして、父ゼウスの下へ行って訴えると、大神から、お前はオリンポスの神々の中で最もいやな奴だ。争闘と不和ばかりを喜んでいると叱りつけられました。
それにも懲りず、彼はその後もアテーナに突いてかかって境界石を投げつけれられて大地にへたばり、女神アフロディーテがたすけ起こしてしばらく逃げさせました。彼もまた、神族と巨人族との戦の時には、捕虜になって十五ヶ月も鉄鎖で縛られていましたが、この時はヘルメスが忍術で助けてやりました。
しかし、彼もローマに入ってマルスとなっては、尚武の国民から厚く崇拝されました。 これは彼とヘスティアウェスタ神殿の巫女との間に生まれた双子ロムルスとレムスが、雌狼に育てられ、後ニロムルスがローマ建国の祖となった為でもあります。
アレースは、普通は裸かで、きらきら輝くヘルメットを被り、革の盾を腕に掛け、青銅の長槍を突くいた颯爽たる若武者の姿になっていますが、古くは恐ろしい相好の髭武者で、物々しく武装した姿に表されていました。

この遊星は、光の強さに於いてこそ金星に劣りますが、堂々とした立派さと、星々の間を静かに移って行く、大らかな印象とで、古代から星空の王座を占むるものと考えられ、自然に神々の長の名と結びつけられました。
ギリシャのゼウス、ローマのジュピターは元よりシリア、バビロニアでは主神マルドクに擬せられ、支那では古く、歳星と呼んで崇拝していました。
木星は遊星中の巨人で、直径139,000キロ地球の11倍におよび、表面積は同122倍に当たりますが、密度は地球の四分の一弱で、少なくも表面は半流動体です。1年は地球の11.86年、1日は僅か9時間55分で、この猛烈な回転運動の為に、まだ凝固していない球体は、両極が扁たく、赤道で膨れあがっていて、且つ、所謂、雲状帯を有しています。衛星は十一で、その中、1610年に初めてガリレオの望遠鏡に遷った四つは、イオ、エウロパ、ガニメーデ、カリストです。いずれも吾等の月よりは大きく、最大のガニメーテは光度5.5等、直径約、5,800キロと称せられます。それぞれ神話で大神ゼウスに関係のある精女および美童の名によっています。
英名でジュピター、ラテン語ではユーピテル、ギリシャ神話のゼウスに当たります。即ちオリンポスの神々の王、天上の主権者、万物の父でした。
クロノスとレアとの子に生まれ、幼時はクレタ島の洞窟で山羊アマルテヤの乳を飲んで育ちました。
生長の後、神々を率いて巨神族テイタスと戦い、彼等をタルタロスの奈落に投げ落として、青銅の壁と三重の夜の中に閉じ籠め、百本の腕の三怪神ヘカトンキレスを看守に置いたと言われます。
ゼウスはこうして神々の王となり、黄金の笏を把ってオリンポスの寶位に上りました。かれは、雷電を武器とし、鍛冶の神ヘヒイストスの打った楯と、山羊の皮の肩衣アイギスを身の護りとし、また鷲を使者として傍に据えていました。時には左の手を伸ばして手のひらに勝利の女神ニケの像を載せている姿のも表されています。
ゼウスの宮殿はテッサリアのオリンポスの神山にあって、雲の門を四季の女神たちが護っていました。神々はそれぞれ住居を有って毎日大神の宮廷に集まり、処女の髪ヘーベの酌でアンブロシアの神饌やネクタルの神酒の饗宴を開きました。アポロンは竪琴を弾き、ムーサイの女神たちがそれに唱和しました。そして太陽が沈むと神々は各の住居へ帰ったと伝えられます。
ゼウスは正義、宣誓、友愛の神である一方に、雷電、雲雨の神、従って農業の神でもありました。オリンピアに於ける彼の神殿は最も神聖なものとされ 5年毎の祝祭には、ここでギリシャ諸市の競技が催され、オリンピックゲームの起源となりました。
しかし、一方この天地の支配者は、人間的な弱点を持っていて、いろいろの女神や人界の女たちと戯れては、貞淑な正妃ヘーラの怒りを買いました。
たとえば、ゼウスは白鳥に化しては、チュンダロスの妃レーダに通い、カストール兄弟を生ませ、金色の矢となってアクリシオス王の女ダナエの室へ忍び入って、英雄ペルセウスを生ませ、またカドモスの女セメーレには酒神ディオニソスを、アムフィトリュオンの妻アルクメーネには、大力士ヘラクレスを、農業の女神デメテールにはペルフォネを、アイヤ女神には軍神ヘラクレスを儲けています。
その他、イオ、エウロベの誘惑、精女カルリストの悲劇等々、幾つかをあげることが出来ます。

この遊星は、十八世紀までは太陽系の最前列にあるものと考えてられていました。黄道の一周に約三十年もかかって星々の間を如何にも緩慢に動く姿が、時の観念を象徴するクロノス神に結びつけられたらしく、そして、どんよりと黄色い光から凶星とされていました。
土星の本体は直径地球の約九倍、体積800倍以上で、一年は地球の29.64年、密度は地球の八分の一、水の三分の二です。10時14分で一自転するので、木星以上に扁平な球になっており、且つ素晴らしい環リングを繞ぐらしています。三センチ強の望遠鏡ではこれが外環と内環とに分かれ、更に大望遠鏡によれば、外環と内環との境の所謂カッシュ分点と、別に内部に淡黒い第三の環が現れてきます。外環は直径278,000キロ、幅16,000キロ、中環は幅26,000キロ、内環の幅は約外環に等しく、各厚さ200キロ以下と称されます。衛星は十個で、小望遠鏡で見える2個は、ティタン巨神とヤペトス繁茂の神です。
英名はサターン、ローマ神話のサトルヌス、ギリシャ神話のクロノスに当たります。時の神で、父はウラノス、母は地の神ガイアで、両人の間に生まれた巨神族テイタネスの中の末子でした。ギリシャ神話も、この時代では如何にも野蛮な原始味が濃厚です。
クロノスは母に輿みして、渡された鎌で父を殺し、代わって王となりましたが、自分も我が子に殺される運命であることを母から聞いて、妹で妻であるレアとの間の子を次々と燕み込みました。その難を免たのは、末子ゼウス神だけで、彼が生まれると、レアが夜の間にクレタのイダ山へ連れて行き、ガイアがその洞窟に隠しました。
そして、レアは夫に布に石を包んだものを渡したので、彼は騙されたとも気付かず、それを鵜のみしてしまいました。こうして後に、彼はゼウスの率いるオリンポス神族の為に破られ、今までのみこんでいた子供たちや石を吐き出してしまいました。巨神族テイタスの一人アトラスが頭と両手で天空を支えて立つ運命になったのもこの時でありました。
クロノスはローマでは、農業の神サトルヌスとなって播種や収穫を主どり、鎌を持った神像に表され、カピトール丘にはその神殿がありました。
しかし、始めを正せば、サトウルヌスはイタリヤ本来の神で、途中からクロノスと同一視されたものと解釈されています。

天王星は約六等の覚束ない光の遊星が、陰鬱の神の名を与えられたことも相当していると言えましょう。
天王星は、公転に84年を要し、衛星は5個あります。1781年3月13日の夜英国の天文学者ウィリアム・ハーシェルが、手製の望遠鏡で、双子座に発見したもので、英王の名に因みゲオルギウム・シドゥス(ジョージの星)と命名しましたが、他大陸の天文家は、これを喜ばず、やがて、これにサトゥルヌス土星の父で、ユーピテル(木星)の祖父に当たるウラヌスの名を与えました。
神話英名はユアラナス、ローマ神話のウラヌス、ギリシャ神話のウラノスで、不死の族の住む星空の神化です。母は地の女神ガイアですが、彼との間に、大地を圍繞する川の神オケアノス、金冠を載いたフォイベ、水泡の母テーテュス、時の神クロヌス、雷電の権化、一つ目の神々キュクロプス、その他首が50、腕が百本ある三人のヘカトンキレスが生まれました。
この三人は雲と闇を象徴する怪神で、父に反抗したので、ウラノスは彼等を地心のタルタロスに幽閉しました。そこで、母ガイアが復讐のために、末子クロノスに鎌を渡して父を殺させました。その血が大地に滴ったものから巨人族と、復讐の女神たちが生まれ、海に落ちて生じた水泡から女神アフロディーテが生まれたと伝えられてます。
W.ハーシェル(W.Herschel;1724−1786)はモーツァルトと同時代のバースのオルガン演奏家音楽家であった。イギリスはもとより日本にもハーシェル協会が設けられおり、2004年5月に直系子孫6代目の科学史家のシャーロット・ハーシェル夫人が来訪し、ハーシェル家シルク製家系図とともに虎ノ門天文会館で特別公演をおこなっている。

この遊星は、天王星の運行の不規則な事実から、ドイツのベッセルがそれ以外の遊星の存在を推測し、それに従って英のアダムスと仏のル・ヴェリエとが、同時にその位置を算出した結果、遂に1846年9月23日に発見されたものです。そして幽暗な空間を、肉眼には姿を見せず運行している遊星に、海底の幽閉暗い宮殿に棲む神の名が命ぜられたのも理由にあることと思われます。1公転に165年を要し、太陽からの遠さ45億キロ、従って恵まれる光と熱も地球のそれの九百分の一で衛星は二個あります。
英名はネプチューン、ローマのネプチュス、ギリシャのポセイドンで、海の神に擬したものです。クロノスとレアの子で、大神ゼウス、冥界の王ハイデスとは兄弟です。ギリシャ人は、航海、漁業、商業、植民の国民で、自然にポセイドンを崇拝しました。彼の宮殿はエウボエヤに近い、エーゲ海の底に在りました。彼は真鍮の蹄、金色の鬣の白馬に曳かせた二輪車に駕して、海の面を走りました。海神が近づくと、波濤は収まり、海の精トリトンやネレデスたちが現れて、その車の周囲で喜戯しました。
彼は、航海の神としては、立ちどころに暴風雨を鎮める威徳を持っていましたが、時には気まぐれに船を覆えすようなこともありました。多くのは頭に海草を絡ませ三叉戟を杖ついた老人に表されて居り、時には下半身が魚の尾になっていることもあります。この戟(ほこ)の一撞きで、地震を起こさせ、山を劈(つんざ)き、海から島を湧き出させたりしました。

冥王星は1930年の三月上旬、米国のローウェル天文台で故ローウェル氏の推定に基づき、写真撮影により発見された遊星で、その位置が双子座にあることまでが的中したのは、実に天文学上の一大驚異です。そして、海王星外の新遊星に、海王の兄弟である冥王プルトーの名が付けられたことは適切であり、太陽の光の有るか無きかの境にある遊星の感じとしても動かぬ名です。光度は漸く15等で、現存の大望遠鏡によっても遊星の円盤状を認めることは出来ません。太陽からの平均距離59億キロ、公転は約248年、自転は7時間あまり。直径は5760キロで、火星よりも幾分小さいものと推測されます。
故ローウェル氏がこの遊星の存在を推定した主なる理由は天王星の運動の狂いを、これの引力に帰したことにあるので、それから判断すれば、その質量は地球の6,7倍に及ぶものと想われています。ちなみに冥王星の訳名は、下掲の神話に基づき、野尻抱影氏が提案したもので、我が学界及び支那でも採用されました。
英名はプルトー、ローマ神話も同様で、ギリシャ神話のプルトーン、あるいはハーデス(時にハイデース)に当たる冥府の神に擬したものです。クロノスとレアの子で、兄弟であるゼウスと、ポセイドンとに天と海とを譲り、自分は暗い死者の王国を支配しました。妃は農業の女神デメテルの女ベルセフォネです。
プルトンに誘拐されて行き、冥府の柘榴を四粒食べた為に後に、母の嘆願で上昇へ戻って来るようになっても、柘榴の一粒を年の一ヶ月に当てた四ヶ月は冥府に留まることを免れませんでした。
プルトンは他の神々のように四方を遊行することもなく、いつも冥府に住んで、夜の娘たちケレスに命令を伝えていました。亡霊たちは、神々の伝令ヘルメス、或いは死神タナトスと、眠りの精ヒュプノスの案内で暗穴道を下り、アケロン河三途の川を渡守カロンの舟で渡り、首三つの犬ケルベロスの護る冥府の門を潜って、プルトンの審判を受けることになっていました。
ギリシャ人は、この神が隠形の闇のヘルメットを被って、不意に人間を盗み取り下界へ投げ込むものと考えて、嫌っていました。

これは金星が太陽と地球の間にある内惑星で、地球公転軸と金星公転軸が3.4度傾いているため、122年に一回、地球から観測できることですが、今回より以前に観測されたのは明治7年1874年のことです。この時、日本は明治政府になったばかり。ベルツはまだきていない、西郷隆盛はまだ生きていた時代で、メキシコ国がわざわざ日本に来て、これを横浜の山手で観測しています。今回は2004年6月8日火曜日の午後2時から観測される予定でした。近年にない大天体スペクタクルでしたが、気づいていたひとはおられたでしょうか。次は2117年ですから、今地球上で生きているひとは、だれも次の観測は不可能です。
金星太陽面通過周期表
| 発生日時 |
発生間隔 |
交点区分 |
|
| 1631.12.07 |
|
昇交点 |
| 1639.12.04 |
8年 |
昇交点 |
| 1761.06.06 |
122年 |
降交点 |
| 1769.06.04 |
8年 |
降交点 |
| 1874.12.09 |
105年 |
昇交点 |
| 1882.12.06 |
8年 |
昇交点 |
| 2004.06.08 |
122年 |
降交点 |
| 2012.06.06 |
8年 |
降交点 |
| 2117.12.11 |
105年 |
昇交点 |
| 2255.06.09 |
8年 |
降交点 |
| 2360.12.13 |
105年 |
昇交点 |
| 2368.12.10 |
8年 |
昇交点 |
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残念ながら2004年6月8日は日本列島は曇りで柏からも観測出来ませんでしたが、北北海道で観測可能であった写真が公開されましたが、何か印刷ミスのように太陽表面の左縁ちかくに黒子のように認められました。もっと小さいのかと思っていましたが、比較的大きなホクロでした。この後は、上の表のように昇交点としては2117年、113年後です。
この事については、さすがの野尻抱影も一語も遺しておりません。かれの唯一経験しなかった天体事象でしょう。日本での過去の観察記録は、野尻抱影氏の地元横浜のフェリス学院近くの横浜市西区紅葉坂神奈川県立青少年センター脇に残されている。明治7年1874年12月9日メキシコ観測隊による金星太陽面通過観測記念碑が100年目を記念して1974年12月9日に建立されている。これらのことは地人書館発行の雑誌、『月刊天文』2004年7月号特集で詳しく出ていましたので参照してください。

定本『星戀』は山口誓子との共著というよりむしろ協同制作作品の型をとった本で、旧い文字の題名で星戀と洒落れています。この中の二月のところで早春という題で、抱影の手賀沼での鴨射りあそびの随筆がでてきます。
これは大正10年前後のことのようで抱影36歳、志賀直哉38歳のころのことです。
志賀直哉(1883−1969)は宮城県石巻の明治16年、第一銀行員直温、母銀の次男として生まれ、昭和48年に亡くなっている。明治22年に学習院初等科に入学、東大文科大学英文学科入学1903年、明治36年。明治43年に徴兵で千葉県市川、鴻ノ台砲兵第16聯隊に入営するが中耳炎のため9日間で免除となっている。その後、尾道からはじまり松江、群馬赤城山、我孫子、四谷、京都、奈良、東京淀橋、世田谷、熱海、渋谷、生涯11回の転居をくりかえしていました。赤城山についで我孫子天王山に住み着いたのは、大正4年から12年の8年間。その後、関東大震災で京都に転居っている。
全文を紹介する前に、
やす;長い柄の先端にさきのとがった鉄製の槍をつけた魚介をとる具。
もぐりつちよ;かいつぶり、という25cmほどの水鳥で、嘴のもとに白斑点がある。潜りこんで餌をとる。浮き巣を鳰(にお)という。
ぐれ;防簾、さかなをおびき寄せるざるのような魚具。
虎落笛;もがりぶえ、と読みます。これは冬に風がビユービューと吹いているときに時折ピーピーと電線や木立が笛を吹いているような音が聞こえることをいいます。虎落とは竹などで作成した虎を捕まえるための檻のことで、もがりとは強がりのことです。
旧かなづかいのまま転載しました。この方が大正の手賀沼を彷彿とさせるからです。

『下総の手賀沼へ、友人の鴨射ちに同行した時の話である。二月の末だつた。
前の日の夕がた、沼べりの村に着いて暮れるまでの間を、あさり歩いた時には、凍雲が低く沼面に垂れて霰(あられ)さへもこぼし、遠い真孤原からの鴨の声も友の肩の銃が鈍く光るのもわびしかつた。けれど泊つた家の、だだ広い床の間には高さ一間にもあまる、梅の大枝が投げ挿しになつてゐて一ぱいにつけた花の香ひが、床に就いてからも息苦しいほどだつた。
夜が明けると、けろりとした好晴の日となつてゐて、しかも春のやうに暖かつた。私たちは大喜びで、宿の主人の案内で、小川から沼舟を出した。
周り四里といふ細長い沼べりの、まだ、狐いろの低い丘陵や松林、布佐、木下、湖北などいふ村々の、灰いろの家根も、沼の中へつき出てゐる白茶いろの真菰の岬も、昼霞の裡(うち)にあはく煙つてゐるし、気がつけば舟べりのこすれて行く沼川の草土手にも柳の枝が芽ぶき、蕗の薹がちよぼちよぼと頭をあらはしてゐた。
沼へ出ると、岸から遠くないところが小舟で賑はつてゐた。村の娘や子供たちが、篠竹で田貝(からす貝)を釣つてゐるので、しがない生活のしろになるものだが、たえず笑ひさざめいてゐる。覗いて見ると、私たちの舟の影にも、浅い沼底の、藻草のゆるく靡(なび)いていゐるの間に、まつ黒な大きな貝がいくつとなく上向きに口を開けて立ち、われから篠竹をくはへさせられるのを待つてゐるやうで、思わず笑ひたくなる。真似をして、濡れた手にも、水はぬるんでゐた。
沼の心へ出たところでは、鰻かきがあちこちで、忙しく舟を、かくりかくりと傾けては鰻を上げてゐる。そのたんびに光るやすの濡れいろにも、漕ぎまはる舟の先き先きへ、しぶきを立てては沼づら低く移つて行くもぐりつちよ(かいつぶり)の小さい黒い首にも、もう、寒いかげりは感ぜられなかつた。そして櫂を使ふ宿の主人が、このどこまでも浅い、ひらたい、明るい沼の底に、大きな白牛の主が棲むんでいると話してくれたのは、私たちを更にのどかにしてくれて、舟べりをたたいて歌つたり、寝そべつて、霞む空へ煙草の烟りを吹き上げたりした。昼になると、その空には牛鍋の煙が香ばしく立ちのぼつてゐた。
けれど猟は一向に振はないで、不運なもぐりつちよを追ひ廻すのがせめてもだつた。午後も遅くなつて遠く出てゐた鰻かきに教へられて、やうやう一羽真菰へ射ち落し、泥深い細い水脈の奥まで舟をおし入れて、それを拾つてから、沼面へもどつて行つた。
かうして、朝出た、川じりまで近づくいた時には、対岸の木立に大きな朱盆のやうな夕日が落ちかかり、それと共に、いつか風立つて来て、沼づらは目に立つて騒ぎはじめてゐた。大空から沼一帯を染め出した夕焼けは、舟の平底に、ばちやりばちやり寄せる波にうねうねにも紅く流れて、めらめら冷たい焔のやうに燃えてゐたが、それもぢきに色がさめていつた。
その時私はふと、笛を吹くやうな音を耳にした。初めは途ぎれ途ぎれだつたのが、次第につづく時間が長くなつた。時にはどこかで鳴いてゐる鴨の声かとも思つたが、それは、川じりの真菰原と、出はづれた沼の、そこここに鰻をおびき入れるぐれ(防簾)が取り廻してある、その低い丈のうそぶく音だつた。虎落笛(もがりぶえ)である。
聴いてゐて実にわびしい音いろである。甲州にゐた頃、初冬が来てくづれた葡萄棚の竹に甲斐ヶ根颪(かいがねおろし)がこの笛を吹くのを聞いた記憶はあるが、この暮れて行く沼に聞くやうな瀟条たるものではなかつた。
やがて川をわづか上つて、舟を捨てようとした時、振り返つて見ると、対岸の夕日はもう落ちて、後のつめたい水浅黄の空に、初めは早く、ともつた村の灯と思つたほどの低さに、ぽつかりと宵の明星が輝いてゐた。
この星一つを点じて、手賀沼は一気に寒ざむとした味気ない古沼にもどつてゐた。早春の息がその光に凝り、そこから水のやうにひろがり、かぶさつて来るやうで、私が舟底から取り上げた鴨のむくろの冷たさも、さつきまでのものではなかつた。
このごろになつて、私は”新歳時記”の中に、
夕づつの 光りぬ呆きぬ 虎落笛
青邨(せいそん)
の句を見出して、久しぶりにその二月のたそがれのことを思い出した。』

興味も星までいくと、もう最終地点です。
これらの古い読み物はインターネットの”日本の古本屋”で検索注文しています。全国各地の古本屋から二、三日で届きますので非常に便利。古書が益々おもしろくなってきました。
さて、星戀は初版は昭和21年ですが、私のもっている定本(ていほん)星戀は縦19.4cm、横13cmのやや細身の表紙が紺の布クロース貼り、表紙の中央に大きく彫り込まれた星戀の文字があり、末永隆生氏の装幀の凝った書で、昭和61年1986年に深夜叢書社から野尻抱影御生誕百年記念復刻版として出版されたものです。星戀 ほしこひ 俳句山口誓子、随筆野尻抱影となっており、定本とは類書中の標準となるべき書のことですが、この種の類書は極めて少ない。
この中の二月のところは、まず先に山口誓子の歌が六首並んでいて
寒星の 点の中空 はなやかに
寒オリオン 四隅の星に 雲懸る
寒雲と 会ひ颯颯と オリオン過ぐ
雪解けの 道乾きたり 星も出て
寒月に 昴のうすれ 無惨なり
オリオンの 角婚礼の夜は 暖し
いずれも、すばらしい星の句ですが、やはり昴の句がよろしい。もともと昴は観察できないことが多いのですが、一つは水平線近くであること、二つは光量が少ないことで、月の明かりですら無惨にも観えなくなります。
昴星群はプレアデス星団と呼ばれ、肉眼では6、7個の星の集団にみえます。清少納言の枕草子にも登場する星名で、六連星(むつらぼし)ともいい、麦まきは昴が夜明けの西の空に見える頃、はじめる。イネ、田植えの時期、5月には太陽の近くでスバルは観察できません。強い月の光でも見えなくなってしまいます。無惨ということばがでていますが、星辰通にはよく理解できる気持ちです。残念ですが、いまの街中では昴は観察できません。高原で光害のない闇夜でようやく観察できます。
冬二月の夜空は、やはり、オリオンです。
Orion、この星座は和名の「みつぼし」を中心とする全天第一の雄麗な星座、これを発見することは二月五日に南中に観察されるので比較的容易です。
牡牛座の二本の角の先のβから同ζ(ゼータ)へ引く線を15度延長すれば、この座のαに達します。これをγ、β、κ(カッパ)と共に鮮かな平行四円形を造り、その北東の一角に位置します。この四辺形の中に、いわゆる、みつぼしのδ(デルタ)、ε(イプシロン)、ζ(ゼータ)が、全長3度の直線に列っています。又、これを中軸として、前記のαとβとが、ほとんど等距離に対立しています。
これを神話の猟夫の姿と観るには、αが右肩、λ(ラムダ)他二星の小さい三角が頭に当たり、右手はαから出て、χ(キー)、υ(ニュー)の棍棒を振り上げ、左手はγから牡牛座の方へ伸び、約9度で八つの淡い星がカーブをつくっているのが獅子の皮の輪郭を示します。δ、ε、ζのみつぼしは宝玉を鏤めた帯で、英名をもオライオンズ・ベルト(帯)と呼んでいます。それから吊った剣は、三つの小さい星が描くもので、その中央のθ(セータ)は、有名な大星雲の在処に当たります。βは左足、κは右膝に輝いています。
こうしてオーリオーンは、牡牛座をめがけて躍り上がろうとしている姿で、大犬座と小犬座が、その後に従い、うさぎ座が足もとに逃げ、エリダヌス座の長河が左足のそばから流れ出しています。
支那では古代から、みつぼしとそれを囲む四辺形を廿八宿の参宿と呼んで白虎の姿に見立てて、そして、オリオンの頭を示すλほか二星を、白虎の口と見て嘴宿(ししゅく)と呼んでいました。
αの一名ベテルギウス、英ベテルグーズはアラビア語の訛りで、中央なる者の腋の下の意味、時にミルザム(怒号する者)ともよばれます。距離500光年、光度平均1.2等、実直径は太陽の800倍、オレンジ色の巨星で、一等星のなか唯一の不規則的変光星です。
βは一名リゲル、巨人の左足、αとは約15度を隔てて青白光を放つ0.3等星で、距離500光年、2cm望遠鏡で、6等星の伴星を分離し得られます。
みつぼしのアラビア名を、δ、ε、ζ、の順にいうとミンタカ(帯)、アルニラム(真珠の帯)、アルニタッゥ(帯)で、いずれも三等星、δ ζは共に重星です。
γは二等星で、ペラトリックスの古名は、ホメロスも歌ったトラケーの女国、アマゾネスの勇敢な娘子軍に関係のあったことを伝えます。κは二等でサイフ劔とよんで前述の如く右膝に位置します。
日本でいう、みつぼしは他にもいろいろの和名を有しており、からすき星、親にない星、三ちゃんの星、三大星、その他十数種に及びます。中にもみつぼしとその西の三等星η(エータ)及び劒の第一の星をむすんで四辺形を造り、それにθに至る柄をつけたものを、中国、四国、九州の一部で酒桝さま(さかますさま)と呼んでいるのは最も優秀な星の和名です。
みつぼしの下のいわゆるオリオンの劔、小三つ星、コミツボシの中央θ(セータ)は、肉眼のも青白く滲みをみせている星雲M42で、同じく肉眼で見える秋のアンドロメダ座の渦巻状星雲に対し、ガス状星雲と呼ばれる種類のものです。大望遠鏡によれば、この星雲の燐光はほとんど全星座に瀰漫していて目を驚かされます。
なんと宇宙に地球から500光年のかなたに大きさが太陽の800倍のα、ベテルギウス星があるとは、びっくり。以上がオリオン座の解説です。
私が買い込んだ野尻抱影の二十の冊子目録は次のごとくです。これら、まだ手元にはない本が40冊もあります。全集を発刊してもらいたい。
日本の星 研究社
星と東西文学 研究社
星座見学 恒星社
星座神話 研究社
星座の話 偕成社
星と伝説 中公文庫
新星座巡礼 中公文庫
星の神話伝説集成 恒星社
星とその伝説 恒星社
星の東方美術 恒星社
鶴の舞 光風社
日本星名辞典 東京堂
星の方言集 中公文庫
星古典好日 恒星社
星の神話伝説 講談社
星三百六十五夜 恒星社
星 戀 深夜叢書社
星座めぐり 誠文堂
星座のはなし ちくま文庫
星空のロマンス 筑摩書房
星の文学誌 筑摩書房
手賀沼は今は日本最悪ワーストワンの汚染沼ですが、かつては鰻の名産地であったし、泳げていたそうです。いまからは、鴨射ちが出来ていたなど到底、想像不可能です。
人間が自らの生活で便利を優先すると周囲の自然破壊が加速されていく、いい見本です。どこかの限界点で我慢が必要な時になってきました。不便、単純が一番。いつまでも人間の我が儘は通用しません。
手賀沼の湖北に田口静(たぐちしずか)という小児科、内科で開業されていた先生がおられました。昭和52年7月25日の昼に、自分の診療室のベットで誰にも看取られず、70歳で心筋梗塞のため急逝されました。奥様独りでお子さんはおられなかった。この先生は“生き神様”といわれ、愛の手、医は仁を実践され、全国的にも現代赤ひげ先生として有名で、我孫子の人々は先生を仰望していました。
昔、ある雨の日、手賀沼対岸の沼南から腹痛と発熱の小児を診て貰いたいと、先生に往診を依頼してきた。雨中をさっぱ舟で、ひとり手賀沼を漕いで渡り、畳を6枚重ねてベットにし、急性化膿性虫垂炎とみて、右下腹部を切開排膿し救命されたそうです。このような立派な先生に診てもらっていた我孫子の住民たちは幸せでありました。そして先生の死後、銅像を建立し、『不滅の生命』という頌徳誌を発行しています。
この『不滅の生命』という本は、私が柏慈恵医大病院に来て間もなくの頃、排尿障害で受診された当時78歳の増田さんから頂戴したものです。大切に保存させて頂いております。そして、診療に立ち往生した時には、この本を読み直し、湖北分役場の先生の銅像まで相談に行くことがあります。銅像の前では、まだまだ甘い、感謝の返礼を要求するな、有償の行為を望んではいないか、と強面の、しかし優しい目で諭されているような錯覚を憶えます。私には、この銅像の前が座禅の場なのです。
先生が活躍していたころは手賀沼は他国にも誇れる、景観秀麗、八面玲瓏(はちめんれいほう)な沼であったのでしょう。いつかの二月には、手賀沼の沼面に出て、沼底の白牛を探し、虎落笛を聞き、夕空の宵の明星を探して観たいものです。
最後に、うつ病に”午前3時症候群”という不眠症があり、これを、2004年6月の柏地区生涯教育講演で紹介しておられました。
この治療に妙案があります。薬剤投与して治すのではなく、星の話しをして、眠れなくなったら、野外に出て、夜空を眺めるように指導する。金星、明星を探す方法を教えて、星観察させる方が、薬剤投与で強制睡眠させるより、より有効と思います。夜、丑三ツ刻の空気は美味しいし、静寂の中でみる星空に感動し、うつ病も立所に、好転すること請け合いです。
あの、お釈迦様は35歳の12月8日に、夜明けの明星のきらめきをご覧になって悟りをひらかれたといいます。したがって、この年の暮れも近い、12月8日は、成仏得道すなわち、成道(じょうどう)の日といい、佛教では記念日です。
金星を詠んだ歌として、仙涯は
雪の山に 昔仏の見し星の 光は今にかわらぬものを
子規は
真砂なす 数なき星のその中に われに向いて光る星あり
「数なき」は、無数の意味で、われに向いて強く光る星は、おそらく金星でしょう。
皆様も当直で患者が来ないときは、是非、夜空の星辰を楽しんでください。月を愛でるのも一興です。