
わたしは仏教を深く信ずるものではありませんが、日本の平成の時代でも仏の教えを守っている人は多く見受けられます。仏陀が、宇宙(曼陀羅)に人間という動物が存在し、その人間がもっとも人間らしくこの世を生き、死んでいく、出離の道を求め極める、その根本的な方法、方策を説かれたのが仏教です。
このなかで、もっとも重要なのは光明です。
涅槃後、その教えはインド、ネパールにひろがり、そして中国へ、韓国へ、日本に伝来しました。その時に通常の人間、衆生が自分の五感で、仏陀の教え、仏教を理解できるように具現化したのが、お寺であり、曼陀羅図であり、仏像なのです。そこで寺が普請され、そこに仏像を配置し、教えを文章化したお経を唱えるわけです。
高等動物は大脳基底部、小脳、延髄の機能を使って、既存する物体を五感で知り、呼吸し、生命活動している、これを現在は本能とよんでいますが、仏教では「無明」と表現しています。
これに対し、更に人間は、この本能以上に、想念をもつことができる唯一の動物で、大脳皮質、とくに大脳の前頭葉で心、情緒として思考することもできます。
この事に仏陀(紀元前565-486年;ネパールのシャカ族の王子)は気付いていた。これが人間の、最も人間らしいところで、この世界を「光明」といいます。
この光明の世界の存在を、仏陀は、般若、悟、空、大宇宙など、多くの言語にし、弟子たちは、これを経典として遺しました。そして、この光明の世界を説明する道具として、寺や仏像、お経が作られたわけです。
日本書記によると552年、欽明天皇の時、百済から金銅像一体、経論若干巻が伝来したとされていますが、それ以前にも日本民族のなかにも、すでに曼陀羅的な世界を考えていた人はいたはずです。
特にこの頃、日本国を司る天皇家に権力争いが絶えず、聖徳太子も含め指導者たちは、宗教すなわち仏教に救いを求める傾向が強くなったのも頷けます。
その後、日本という島に鑑真が渡来され、最澄が、空海が、中国にわたり密教として仏教をまとめ、帰国し、布教したのです。
今回は、この教えを考察するのは控え、トリビアル、末梢的な事項について述べます。それは、弔い、逮夜と仏様の関係、曼陀羅を具現化したその仏像の形、仏教を伝えた僧の名称、たとえば三蔵や大師(だいし)などの尊称について、および近代の上人、弁栄を紹介いたします。

現在の日本では、近親者がなくなると、医師が死亡診断書を書き、この報告をうけた役所が本籍より抹消する手続きをおこない、火葬埋葬許可をだし、ただちに銀行等の金融機関は差し止められます。この手続きは、日本の平成の時代では、瞬時に行われ、財産を他人が引き出すことができなくなりますので、事前に後見人を作るなど、留意することが肝要です。
そして、死体は安置され、仏教では逮夜の回向が営まれます。通夜、葬儀ののち荼毘に付されるのが通常の葬式の順序です。旧暦の友引の日には葬儀は行われません。
七日ごとの逮夜(たいや)とそののちに続く一周忌や三回忌などの法事では、特定のほとけの真言(しんごん)が唱えられ、塔婆にその梵字種字が書かれる。これが三十三回忌まで、担当のほとけさまが決められており、計十三体あり、これを十三仏功徳といいます。その順序は
十三仏 十王
初七日忌 不動明王 泰広王
二七日忌 釈迦如来 初江王
三七日忌 文殊菩薩 宋帝王
四七日忌 普賢菩薩 五官王
五七日忌 地蔵菩薩 閻魔王
六七日忌 弥勒菩薩 変成王
七七日忌 49日 薬師如来 太山王
百日忌 観音菩薩 平等王
一周忌 勢至菩薩 都市王
三周忌 阿弥陀如来 五道転輪王
七回忌 阿しゅく如来 蓮上王
十三回忌 大日如来 抜苦王
三十三回忌 虚空蔵菩薩 慈恩王
以上の十三体で回向が営まれ、十三仏御縁日としてすべて滞りなく行っていくのが供養です。十三仏功徳の方法をとるようになったのは14世紀ころからで、空海が密教を伝えた平安時代、10世紀にはまだおこなわれていません。
亡くなられましたが、西村公朝氏の説明によると、人間は、魂、魄からなっており、魂(こん)はたましい、魄(ぱく)は肉体のことで、この魄の罪を裁き償う、地獄にすむ王が十人おられる。十王は仏さまの化身で、泰広王から五道転輪王までです。
その後、すべての人は、七回忌からは蓮上王、阿しゅく如来によって極楽につれていってくれるそうです。(管理人注:阿しゅく如来の「しゅく」はもんがまえに人人人が入ります)

次いで、このほとけさまの像は大きく、如来、菩薩、明王、天部の形(ぎょう)の4つに、種類分けいたします。
大寺では本尊が釈迦如来で、その両脇に文殊菩薩、普賢菩薩が配置されている、いわゆる三尊仏をよくみかけますが、三体に止まらず、例えば、密教、空海弘法大師の東寺には30体以上の仏像を所狭しと配置しています。
これは仏教を布教するための具現化道具を揃えていたわけで、曼陀羅、経典のほとけさまの教えを完璧に具現化するには、さらに、これ以上の、無数の像が必要なわけです。
お釈迦様は優しい王子でした。このころの姿が菩薩で、修業中の姿が如来、武勇にすぐれていた姿が明王、その家来や侍女たちが天部ともいわれています。
如来、すなわち仏陀は、梵語でタタギャタといい、釈迦、薬師、阿弥陀、阿しゅく、大日のほとけさまがおられます。
菩薩は、善提薩捶の略で、自らも覚(さと)り、衆生を教化救済するための修業するほとけさまで、文珠、普賢地蔵、弥勒、観音、勢至、虚空蔵がおられます。
明王は、怒りをあらわし悪者を破砕し善者を救済するほとけさま。不動、降三世(こうざんせい)、軍荼利(ぐんだり)、大威徳(だいいとく)、金剛夜叉などです。
天部は、民間信仰の神々のことで、四天王、持国天、梵天、帝釈天、仁王、吉祥天、弁財天、大黒天などで、ほとけさまではないが祈りの造形として像がつくられる。
このほかに、十二神将の跋折羅大将(ばさら)、阿修羅、羅漢などの尊像がある。
十三仏の像の形と真言を説明しておきます。
不動明王
十三仏の第一、初七日忌を司る。右手に鋭い剣を持ち、左手の羂索(そんさく;なわ)で悪しき者を縛り上げる力強いほとけで、眉をしかめ、歯を上下に違えて出し、片目をつぶるその顔は、怒りをあらわしています。
人は自己の意思に固執し、それが通らないときに怒る。不動明王の怒りはこのような怒りではなく、人々がどうしても悪行をやめないとき、あるいは人の心の中に煩悩が湧き上がり、それが押さえようもないとき、不動明王は思いやりの怒りによって、それを叱るのであり、父親の怒りに譬えられます。
この不動明王が、現在の日本で登場するのは護摩と山伏と交通安全です。護摩は真言宗や天台宗の寺院で無病息災や厄除け、開運祈願のために火炉の中にお札や供物を投げ入れて供養する迫力ある儀式で、山伏苦行では大峯山(奈良)や石鎚山(四国)などの霊山での修験道の本尊としている。また、成田山などでは交通安全を加護するほとけとして不動明王が本尊とされています。
真言は『ノウマクサンマンダ、バザラダン、センダマカロシヤダ、ソハタヤ、ウンタラタ、カンマン』です。
釈迦如来
釈迦すなわち仏陀釈尊さま自身のことで、約2,500年前に涅槃にはいられ、ほとけ、如来の代表者です。頭の頂上に盛り上がった肉髻(にくけい)を持ち、からだには三衣を纏われ、右手を胸前に上げて掌を開き、よくみると中指を少し前に出しています(薬師如来は薬指を前に出している)。 左手は膝に上向きにおく、いわゆる施無畏(せむい)の印を組んでおられます。これは霊鷲山(りょうじゅせん)での説法の姿です。この姿は詳細に三十二相、八十種好の形があるとされています。
すべての説明は省きますが、頭部は肉髻といってポコポココブになっている。右巻きの螺髪でこれを頂成肉髻相(1)という。眉間の中央に白毫(はくごう)がある、眉間白毫相(2)。前頭部中央の肉髻珠から、すなわち前頭葉から、化仏(けぶつ)を永遠に発し続けている。睫が牛のように長い、眼睫如牛相(3)。眼色如金精相(4)。その、お声は遠くまで聞こえるし、近くのひとには適量にきこえる、明朗清徹な美声で、梵音深遠相(5)。
舌は額まで届くほど長く、弁舌爽やか、広長舌相(6)。なにを食べてもおいしく頂けるように唾液が多い、咽中津液得上味相(7)。頬は高く獅子のよう、頬車如獅子相(8)。歯は犬歯は丸みをおびて美しい、四牙自浄相(9)。白く隙間はない、歯白斉密相(10)。人間は三十二本ですが釈迦は四十本、四十歯相(11)。鼻は高く、少し髭をたくわえられており、耳は耳朶がたれていてイヤリングをしている。これをはずしているときは耳朶に孔が開いている。
肩は丸く、肩円満相(12)。まっすぐな姿勢、身端直相(13)。獅子のように威厳があり、上身如獅子相(14)。両腋満相(15)。両手、両足、両肩、首筋に肉が円満についている、七處平満相(16)。肌は疥癬なしホクロ、イボなく、皮膚細滑相(17)。全体に金色の光を一丈三メータ放つ、身光面各一丈相(18)。身金色相(19)。体毛がすべて上をむいている、身毛上靡相(20)。産毛は青い、毛孔生青相(21)。
身長と両手をひろげた長さが等しい、身縦広相(22)。陰部は見えない、馬陰蔵相(23)。手先が長く膝までとどく、手過膝相(24)。?如鹿王相(25)。甲が高く、足?高好相(26)。足跟満足相(27)。手と手のあいだに水掻きがあり、これで、衆生を救い上げる、手足縵網相(28)。手足は柔らかい、手足柔軟相(29)。手指繊長相(30)。
足のうらに独特の指紋あり、千輻輪相(31)。足底は赤ちゃんの足のように柔らかく扁平足である、足安平相(32)。以上が三十二相といわれるものです。
これらを、さらにくわしく八十種の特徴がきめられている。例えば行歩正直で庠審(威厳を正した姿)は龍象王のごとし、両耳は綺麗斎平にして衆過を離る、身毛紺青にして光浄なること孔雀項の如し、など。着付けは偏祖右肩もしくは通肩です。そして座像が多く蓮肉、蓮弁、蓮盤に坐られ、それが框座(かまちざ)に設置されています。
なお、印相には施無畏、与願の印のほか、定印、転法輪印、来迎印、法界定印、拳印、降魔印、智拳印、蓮華合掌、金剛合掌、降三世印、智吉祥印などがあります。
真言は『ノウマクサンマンダボダナン、バク』である。あまねき諸仏に帰依したてまつるの意味。
阿弥陀さまの仏足の裏の千輻輪相の瑞祥七相をしめす。

文殊菩薩
智恵の専門家。特に言語、話術に巧みな仏。維摩経(ゆいまきょう)に智恵、人格ともにすぐれた人とされている。文殊菩薩と維摩居士との問答は当時ひとびとの話題にのぼり、水墨画の題目にも選ばれている。中国の山西省に住んでいたとされ、多くの名僧が当地を訪れている。なかでも日本の円仁が有名です。
ライシャワー大使の学位論文である「巡礼行記」は、この円仁慈覚大師(えんにん)が文殊菩薩を求めて五台山を訪れた際の旅行記「入唐求法巡礼行記」(にゅうとうぐほうじゅんれいこうき)を研究したもので、この論文は昭和40年に円仁唐代中国への旅と題して講談社学術文庫から発刊されている。その「入唐求法巡礼行記」は、マルコポーロの「東方見聞録」と玄奘三蔵の「大唐西域記」にして世界三大旅行記で、日本最古の旅行記でもあります。
菩薩の頭髪は、五つもしくは八つに髻(けい)、もとどりを結い上げているのが特徴。
悟りをしめす智恵は仏教では五つの智恵にわけられている。法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智で、法界体性智とはさとりの世界の智恵、大円鏡智とはあらゆるものを映し出す智恵、平等性智はあらゆるものを平等にする智恵、妙観察智はあらゆる者を正しく観察する智恵、成所作智はあらゆるものを正しくなしとげる智恵です。今のインターネットを使ってもこの智恵には及ばない。
真言は『オン・アラハシヤノウ』です。
普賢菩薩
釈迦如来を本尊とし、その脇に文殊と普賢が置かれることが多い。象に乗っている座像もみられる。普賢とはあまねく賢いもののことで、この仏の主な働きは行願(ぎょうがん)である。行願とは仏教を信仰し精進しようとする誓いと具体的な行為をさします。華厳経にその十大願が説かれている。印は蓮華合掌が多い。
真言は『オン・サンマヤサトバン』である。その意味は三昧耶戒(さんまやかい)の悟りを自らの内に体得しようという誓いを表明したもの。
地蔵菩薩
冥界の閻魔大王と同体と考えられ、大地のほとけです。大地には二つの意味があり、一つはその下に苦しみの世界、すなわち地獄をもつとの意味。第二は無限の宝を生み出すものとしての地です。右手には錫杖(しゃくじょう)をもち、広い地獄行脚(あんぎゃ)し、苦しむ人々を助けるための道具で、左手に如意宝珠をもち、意のごとくあらゆる望みを叶える宝石です。頭は剃髪し円頂形、すぐにみわけられます。
真言は『オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ』である。カカカは悪い者を笑いとばす擬声語である。希有なるものとして讃えるの意味。
江戸元禄の頃に地蔵菩薩、お地蔵さま信仰がもっとも流行った。巷の高僧、空無、正元の両高僧による六地蔵造立大事業がもとで、法性地蔵、陀羅尼地蔵、法印地蔵、寶性地蔵、勝軍地蔵、地持地蔵をさします。狂言にも、よく六地蔵のはなしがでてきますし、駒込の瑞泰寺、新堀の浄光寺、上野の慈済庵、栴檀林の専念寺、池之端の心行寺、浅草の正智寺に札所までありました。
弥勒菩薩
形のきまりはない。釈尊没後未来に出現する。56億7千万年後のこの世に出現して、世を救う仏です。美しい像が多く、なかでも広隆寺の弥勒菩薩はいまも日本国宝でもっとも人気が高い。全体的にはやや頭部が大きく作られてしまっているが、顔の作りが細身で、薬指と親指をあわせ右手をそっと頬に寄り添え、左足を立てこれに右足を組んで、瞑想している姿が実に美しく気品にあふれている。醍醐寺の弥勒菩薩は座像で冠をいだき定印をむすんでいる。
真言は『オン・マイタレイヤ・ソワカ』である。帰命します。弥勒よ。めでたしの意味。
薬師如来
薬を司る医師の働きをする仏で、左右いずれかに薬壺(やっこ)をもつ。この仏が本尊とされている醍醐寺、薬師寺など古寺、大寺も多い。姿はほぼ釈迦如来と同じですが、施無畏印の場合に右手の薬指を前に出しておられる。これで、阿弥陀か薬師かの区別がつけられる。
真言は『オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ』である。
観音菩薩
百日忌の担当で、このころ納骨されるかたが多い。最近ははやくなって四十九日過ぎると、すぐに納骨される方も増えている。そのため、観音菩薩の出番がない。
しかし、ほとけのなかでもっとも人気と功徳が高く、そのため、千手や十一面など、形も豊富です。
観世音とは世間の声をくまなく聞くことの意。この仏の功徳は観音経にくわしい。これは法華経の一部でこの観音の力を念ずれば盗賊、火災、難破、羅刹などさまざまな厄難から救ってくださる。
ひとびとの救済で、多くの手が必要のため、千手、十一面をもち、その手には様々な道具をもたれている。
十一面観音の場合、頭上のかおは頂上如来面(1)、菩薩面(3)、瞋怒面(3;しんぬ)、牙上出面(3;げじょうしゅつ)、大笑面(1)が配列されています。
奈良県桜井市の聖林寺の十一面観音が有名ですが、ここの観音さまの姿は他像とすこし異なる。それは腰がしまり、胸が異様に隆起しているようにみえる。これは、お釈迦さまの呼吸法を現した結果で、アナパーナサチといって呼気を長く、吸気を少なく、肺のたまりを吐き出す呼吸法をあらわしています。
法隆寺の八頭身立像の百済観音は観音菩薩立像ですが、もとは虚空蔵菩薩で左手に薬壺をもっています。明治以降に百済観音とよばれてきました。仏師が最も作成するのが菩薩です。
また、フェノロサが二百年ぶりに開闢を依頼した夢殿観音はモナレザに譬えた微笑みをもち、その驚異的な美しさに圧倒されてますが、和辻はモナリザとの差異を古寺巡礼で詳しくのべています。
これらは夢違観音(ゆめちがい;かなり小振りですが)などとともに、奈良時代の極美の観音菩薩立像です。
真言は『オン・アリキャ・ソワカ』です。
勢至菩薩
せいしぼさつは、むかわれともいわれる一周忌の担当の仏さまです。勢至菩薩は大いなる力を得たものの意で慈悲と智恵をそろえた仏です。水瓶を額の宝冠に表しているのが特徴。
真言は『オン・サン・ザン・サク・ソワカ』です。
阿弥陀如来
満二年三回忌のほとけ。西方極楽浄土のほとけで、本尊とされ、その脇は観音と勢至を脇侍するところが多い。阿弥陀の姿は釈迦如来と同様ですが、印が特徴で三種で説法印、来迎印、禅定印である。
真言は『オン・アミリタテイセイ・カラ・ウン』である。不死の妙薬である甘露の信仰が無量寿如来ともいわれる阿弥陀如来とむすびついたものです。
阿しゅく如来
阿しゅくは「動揺しない如来」という意味で、梵語をそのまま音写し、この文字をあてている。般若経で、東方の妙喜国という仏国土におられるほとけでさとり、菩提心を求める心を起こすとされています。釈迦如来の像に似ています。立像が多い。
真言は『オン・アシュビヤ・・ウン』で、帰命します。アジャリよ成就あれの意味。
大日如来
この大宇宙に遍満するいのちと光を象徴するほとけさまで、梵語音写で毘廬遮那仏ともよばれ、奈良の大仏がこれにあたる。金剛頂経に登場する金剛界大日如来と大日経の胎蔵大日如来の二種があり、金剛界では印は智拳印で、胎蔵大日如来では禅定印をむすんでいる。したがって、胎蔵の場合阿弥陀如来とは姿では区別できなので、大日如来は宝冠をつけている例が多い。
弘法大師が曼陀羅に花を投げて随縁をもとめたところ大日如来に中ったので、大日如来の密教名である遍照金剛の名を用いられるようになった。これは、空海自身がほとけであることを示している。
真言は『オン・アビラウンケン・バザラダトバン』である。
虚空蔵菩薩
三十三回忌で終了ではなく、五十回忌も百回忌もおこなわれている。この菩薩は地蔵菩薩と同様に如意宝珠を持っている。宝物をうみだす仏で、
真言は『ノウボウ・アキャシャキャラバヤ・オンアリキャマリボリ・ソワカ』である。
以上で十三仏の説明をおわります。天部、十二神将は省きますが、世界のみかたを仏教では 肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼の五眼にわけています。そして、天部で、三十三間堂の摩?羅伽王(まごらか)の形は、普通の目の位置の上下に目があり、額に一つの目を持ち、合計5つで、この五眼を現しています。また、人のみちを六道、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道に分けています。

大師号はインドやチベットにはなく、日本独自の高僧への尊称ですが、高僧の死後、天皇が下賜される諡号(しごう)で、現在まで26名しかおられません。最初の大師を最澄とすると25名になります。
鑑真は和上といわれ、日本の僧の栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)が唐揚州大明寺から12年の素志貫徹で渡日され(753)、日本にはじめて律仏教を広めた大和上です。和尚のことを律家では和上といいます。孝謙天皇(女帝)より新田部親王の旧宅を授かり、これが唐招提寺です。
唐では国立の仏寺を「寺」とよび、私立を「招提」と呼んだため、この始めての仏教の戒律をまもる寺、宗教教育の場を、唐律招提といい、のちに唐招提寺と呼称されたのです。また、招提はサンスクリットでチャトルディシャといい、「四方の人」、つまり世界は一つという仏陀の教えを表している。そして英語での教会、チャーチにも発音が似ているのは偶然でしょうか。
鑑真大和上は渡海の苦難で失明されたが、鑑真像に拝観される頭蓋骨の形態から明晰頭脳が窺える。これらは2005年2月の国立東京博物館唐招提寺展の説明書で知った。
日本で763年に示寂されましたが、唐、和上の故郷、大明寺には14年後にしらされ、寺の全僧喪服にて東にむかって哀をあげたと記録されているといわれています。東大寺から良弁らに追いやられ、逃げ場を唐招提寺にもとめ、律宗をひろめられたのです。この間僅かに10年でした。これは井上靖の『天平の甍』、永井路子『氷輪』にくわしい。
歴代大師
1. 過海大師 鑑真 688-763
2. 伝教大師 最澄 767-822
3. 弘法大師 空海 774-835
4. 道興大師 実慧 786-847
5. 慈覚大師 円仁 794-864
6. 法光大師 真雅 801-879
7. 智証大師 円珍 814-891
8. 本覚大師 益信 827-906
9. 理源大師 聖宝 832-909
10. 慈慧大師 良源 912-985
11. 聖応大師 良忍 1072-1132
12. 興教大師 覚鑁 1095-1143
13. 円光大師 法然 1133-1212
14. 月輪大師 俊仍 1166-1227
15. 見真大師 親鸞 1173-1262
16. 承陽大師 道元 1200-1253
17. 立正大師 日蓮 1222-1282
18. 円照大師 一遍 1239-1289
19. 常済大師 慧山 1268-1325
20. 無相大師 衣玄 1277-1360
21. 微妙大師 宗粥 1296-1380
22. 円明大師 元選 1323-1390
23. 慧灯大師 蓮如 1415-1499
24. 慧摂大師 真盛 1443-1495
25. 慈眼大師 天海 1536-1643
26. 真空大師 隠元 1592-1673
このうち六大師とは、伝教、弘法、慈覚、智証、慈慧、円光です。もっとも有名な高僧は、やはり空海、弘法大師でしょう。今、ちょっとした空海ブームです。
時間、空間を越えて、空海の「情報」と「癒し」というキーワードは、現在にまで、発信し、続けている。福祉、介護の心に通じる教えが、多々、含まれています。
わたしの好きな座右銘に空海筆、崔子玉の座右銘があります。それは
無道人之短 人(ひと)の短(たん)を道(いう)ふこと無れ
無説己之長 己の長を説くこと無れ
施人慎勿念 人に施し慎しんで念(おも)ふこと勿れ
受施慎勿忘 施を受けては慎しんで忘るること勿れ
福祉、介護のこころはこの語で言い尽くされています。感謝の心を持ち、自然体で福祉ができるようになりたいものです。
カソリックのノートルダム清心女子学院理事長の渡辺和子先生もキリストの愛を説明するなかで、『無財の七施』について講演されています。
その語り口には、美智子皇后と同じで、雙葉高等女学校、聖心女子学院の出身のためか、穏やかではありますが、強い信念が間見られます。
その無財の七施(むざいのしちせ)とは仏教経典、雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)の六巻にでてくるのですが、
1)眼施(がんせ);優しい眼差しで相手を見つめてあげる。
2)和顔悦色施(わがんえつじきせ);優しく微笑み相手の方を喜ばせてあげる。
3)言辞施(ごんじぜ);思いやりを持った暖かいことばをかけてあげる。
4)身施(しんせ);からだを使って人様のために働く。
5)心施(こころせ、しんせ);心のこもった、言葉によって人を明るくする。
6)牀座施(しょうざせ);自分の床、座を譲り、居場所を作ってあげる。
7)房舎施(ぼうしゃせ);豊かな心で食事や住居をあたえる。
医療においても、とくに福祉施設や様々な商売においても大切な心がけで、忘れてはならない、人間生活上、重要な心の持ちようではないでしょうか。
『奉仕、親愛、努力』の言葉や、『人、道、愛』の言葉が人間社会で意味をもつのは、この光明の世界を持った人間であればこそのことであります。
前頭葉が発達し、優れた文化、文明を持ち合わせた人々の心の在り方を、仏陀は2500年前に指摘していたのです。ですから、仏教を研究するのは面白いのです。
その他、僧の尊称として、国師、聖人、上人、三蔵、菩薩禅師があります。国師では聖一、夢窓、大燈、鑑智国師が有名です。三蔵とは仏典の経律論すべてに通じた人をいい、玄奘、義浄、不空、善無畏の四人。
ところで、川崎大師は、真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺の通俗称です。厄除弘法大師さん、もしくは川崎大師さまとよばれています。川崎という大師がいるわけではありませんので、その辺は誤解なく。

近年の高僧で傑出した人は稀少ですが、弁栄上人(べんねい)は別格です。大師さま格ではないでしょうか。この人は山崎弁栄といって、安政六年(1859)二月二十日生まれで、大正九年(1920)十二月四日、61歳で逝去された。明治元年に十歳。大正元年、53歳で真言宗の一派、光明主義という教団を設立しています。
24歳のとき二ヶ月、筑波山に籠もり、一日十万遍の読経修行で悟りをひらき、さらに宗円寺にて三年間で7334巻、一切経を読破し、ついに仏眼了々と開き、見仏されました。仏陀の涅槃後2,400年にして、最初のほとけの生き返りの人物が日本に誕生しています。
仏陀の説く仏教の本質は光明にあることを「人生の帰趣(帰点)」と題して述べられています。そして上人は、「如来はいつもましますけれども衆生はしらない。それを知らせにきたのが弁栄である。」といわれて永遠の眠りにつかれました。
上人の一番の魅力は、その私心のなさで、高僧中の高僧、なななななんと!沼南町、東葛郡手賀沼村大字鷲野谷の出身で、農夫の子です。
この光明主義を理解すべきだといいだしたのは、かの大数学者、岡潔です。この前頭葉の世界が理解できれば、道元の正法眼蔵も、たちどころに理解できる、といっておられる。正にそのとうり。
岡潔は科学と仏教についてのべた最後に「明治以前の人は科学は知らなかったが、仏教は知っていた。私たちは科学はよく知っているが、祖先の貴重な遺産である仏教のほうは忘れてしまっている。そしてもっと悪いことには、知らないでいながら、知っているように思っていることです」、と締めくくっている。
岡潔が指摘した悪しき戦後日本の物資主義は、更に悪化し、政治的、経済的、医療的、宗教的に行き詰まり現象で、ついに平成のバブル以降、科学は知らない、仏教も知らない、知る意欲もない、いわゆる無明の世界に迷いこみ、地獄、餓鬼道、肉眼のみに頼った世界に突入してしまっているのです。早めの弥勒菩薩の登場を待ち焦がれる人も多い世情です。
参考書籍
1) 『写経の鑑賞基礎知識』;頼富本宏・赤尾栄慶、至文堂、平成6年、1994年
2) 『講和集:愛をこめて生きる』;渡辺和子、ユーキャン、平成16年、2004年
3) 『科学と仏教』 岡潔全集第四巻;岡潔、学習研究社、昭和44年、1969年
4) 『円仁唐代中国の旅』;ライシャワー、講談社学術文庫、平成11年、1999年
5) 『入唐求法巡礼行記』;円仁、東洋文庫、昭和45年、1970年
6) 『市民大学:祈りの造形』;西村公朝、日本放送出版協会、平成11年、1999年
7) 『辨榮聖者光明主義注解』;光明会本部、光明会本部教学部、平成14年、2002年
8) 『唐招提寺と鑑真和上物語』;田中舘哲彦、汐文社、平成15年、2003年