
猫忠は、ねこちゅう、ではなく、ねこただと読みます。ほかに猫定という怪談咄と猫久というのがあり、混同しないようにご注意を。
猫忠の方は歌舞伎義経千本桜で義経四天王の一人、佐藤忠信が登場しますが、この忠の字を拝借していますので、ねこただ、です。
圓生の得意とした噺の一つで、これは現在の天才落語家立川談志でも出来ません。圓生だけが語れた理由は、圓生の母親が大坂で浄瑠璃、女義太夫をやっていたためで、この六代目圓生はこどもの時分から歌舞伎をいやというほど観ていたし、本人も子供義太夫として高い声色で浄瑠璃を呻っていたためです。
さて、咄の内容は義経千本桜四段目第七幕の最後場面で忠信に化けた白狐と静御前の掛け合いがありますが、落語では猫が常兄哥に化けている噺にかえてある。
現在演じられている歌舞伎の三大歌舞伎は菅原伝授手習鑑、仮名手本忠臣蔵、義経千本桜ですが、なかでも義経千本桜は正月公演でとりあげられることが多い。2004年の正月東京歌舞伎公演では義経千本桜の鳥居前を尾上松緑が演じていました。
猫忠の最後のところは変化物(へんげもの)ですので歌舞伎や浄瑠璃のように、うわずった高い声で話さなければなりません。そこのところは文章では表現できませんので、自分で声を出して読んでみて下さい。最後に地口落ち、サゲで猫の鳴き声で似合うをにゃァうという所まで。

出囃子 子宝三番
マクラ
兄貴分の情事
やきもちの焚きつけ
二人常衆
ばけもの退治作戦
サゲ
送り囃子 吉野山

昔から、この、ご縁ということを申します。
縁は異な者さて味なもの
独活(うど)が刺身のつまになる
という都々逸がございますが、なるほど、縁というものは考えると妙なところにあるもので。
袖すりあうも他生の縁
つまずく石も縁の端
なんという。
石へけつまずいて生爪を剥がすことがありますが、これも縁のうちだといいますが、考えりゃどうも、少し痛い縁で。
それから面白いのが大きいものと小さなものが一つ店(うち)で商売をいたしております。大海でとらえられた鯨、あれは大変大きなもので。溝(どぶ)のような中でとれる泥鰌(どじょう)と、割看板で泥鰌汁、くじら汁といって、一つの店(うち)で商いをするという。これらも考えりゃ面白いことで。
御夫婦という、これはまた別のものでございまして。東京でお生まれになった方は必ずこちらの方と縁を組ぶかってぇと、やはりそうではございませんで、これが思わぬ遠方からお嫁さんをとるとか、お婿さんを迎えるなんという。今は外国の方と結婚をなさる方もあるというようなわけで。
この町名(まちな)なぞにずいぶん、これというものに縁があるという、そういう町名(ちょうめい)が並んだところがございますが。日本橋から京橋には戦の武器というものに縁がある町名が沢山ございます。槍屋町というものがありまして、抜き身でおくと危ないというので、そばに、鞘町というのがある。鉄砲洲(てっぽうす)、矢の倉(やのくら)、鐙橋(あぶみ)、兜町(かぶと)、鞍掛橋(くらかけ)、馬喰町(ばくろちょう)なんという、こういうのはみな戦と縁がございます。
それから浅草では、三味線という楽器に大変縁がある。浅草下谷(したや)に三味線堀というのがあって、そばに三筋町という。同朋町(どうほう)があり、天神がございまして、またこっちへくると駒形がある。不信心(ぶしんじん)をした者は罰(撥)があたるなんという。これは、三味線に大変縁がございます。
牛込というところはまたお神楽に縁がある。有名な神楽坂というものがあって、上(うえ)が岩戸町、宮比町(みやび)という。岩戸神楽、宮比神楽とそろっております。
坂をおりると、昔、橋があってこれを俗にどんどんといったんで。そばに林様というお旗本があって、殿様の顔がひょっとこに似て、奥さんがおかめのようで、始終もう夫婦喧嘩が絶えない。聞いてみたらご内所が大変、ぴーぴーだったという。こりゃお神楽の笛と太鼓でございます。
一から十までそろった縁というのが、市ヶ谷、二丁町、山谷、四谷、五軒町、六軒堀、七軒町、八丁堀、九段に十軒店という。これらは一から十までそろった縁でございます。
それから麻布というところはには腫物(おでき)というものに、大変縁がある。あまりきれいなお話じゃありませんが、事のついでに申しあげますが、根太坂(ねぶとさか)という坂があって、その途中に陽泉寺(ようせん)に澄泉寺(ちょうせん)というお寺が二軒並んでいたんで、これをつめると癰、疔、根太とというわけで。坂の下に伊丹屋と言う大きな酒屋がありまして、そばに紙屋町(神谷町)。これはできものには必要なもので。坂の上に公儀のご番所がありまして、それが長いからというので、つめて公役番所(膏薬)といったそうで。そばに葺手町というのがある、もう腫物も吹き出るようになちゃどうにもしょうがありません。坂をあがりきりますと、お天気のいい日には品川の海(膿)がみえてた、てんですが。どうも汚い縁があったもので。
それから、まぁ申しあげたように、弟子、師匠なんという、これもやはりご縁で。ああいうところでひとつ稽古をしてみたい、なんといっても、やはり縁がないとそこへ行くわけにはいかず、また芸が上手から必ず流行るというわけでもなく、あんな下手な師匠でどうしてあんなに弟子がくるんだろう、なんといいますが、やはりまぁそういう人は徳を持っているんでございましょうが。
ま、とにかく唄の師匠、踊りの師匠という、昔はずいぶんあったもので。いずれも年が若く、器量がいい師匠だてぇと弟子が大騒ぎでね、こういうのは蚊弟子なんてことをいう。
どういうわけかてぇと、夏になって蚊が出ると夜なべが出来なくなるから、ま、涼み方々、稽古でもしてみようか、なんという。秋口になって、夜なべがはじまると、もう忙しくって稽古の方はおろそかで、商売の方へ今度は熱をいれるというわけで。蚊の出る時分に来て、いなくなる時分にはスーと消えてなくなろうという。こういうのを蚊弟子といいまして。
中には、冬まで居残りをする藪ッ蚊なんぞもあり。経師屋連(きょうじれん)、師匠を張るというところから、中には、狼連、転んだら食おうなんという、どうも物騒な弟子があるもので。

今度、師匠にちょいと乙な人が出来たとか、亭主を持った、なんてぇと、これでお弟子が、がたりと減るてぇのは妙なもんで。
おうおう、六さん。おい。
ええ。
なんだ、ぼんやり立ってるじゃねえか。どうしたんだ。稽古に行くんだろ。え、稽古に行かねえのかい。
師匠んとこへ?ふん、俺ァもうよした。
なんだい、よした?
うん。俺ァもうよーしたーと。
なんだ子供だね、まるで。どうしたんだよ、どうして稽古をよすんだよ。
へぇん、どうした、たって、馬鹿馬鹿しくって、あんな処へ稽古に行っちゃいられねえや。おめえだってしってらぁ。な、町内へ転がりこんで来た時にゃ、どんな様子(ざま)してやがったんだ。あたくしは、どうも、お馴染みがございませんし、皆さまがたのお力でなんとかしていただきとうございます。と、たのまれたから。よし、きたってんで、こっちだって、おめえ、身じゃねぇ、皮じゃねぇが、駆けずり廻って弟子をつけてやって、師匠とか蜂の頭とかいって、今じゃ、乙すましていられるのはおれたちのお蔭だ。え、そうだろ。
そんな事言わなくたってわかってらい。
そうだろ。それというのもだ。な、互ぇに、ま、んー、なことは言ぇねぇけれども、うまく行きゃ、あの師匠が、なんとか、ならねぇかと、お互いに競り合って、なにして、稽古にいったわけだ。そうだろう、てめぇだって。
いや、うん、俺、そんなことおもっちゃいねぇ。
嘘付きやがれ。ま、そりゃいいがよ。出来たら出来たで実はこういうことになりましたんで、皆さん方も今まで通りによろしくお願い申します。と、ひとこと頼まれりゃ、こっちだって我慢もしようじゃねぇか、それをおめえ内々(ないない)で亭主気取りで、やにさがってる野郎なんぞがあるんだから、癪にさわるじゃねぇか。
へ、できたのかい。そりゃ馬鹿にしてやがんな、どうも。相手はわかってんのかい。
わかってる。
だれ、だれ、だれだい。え、だれだい。
弁慶橋の常州(つねしゅう)だよ。
弁慶橋の、常兄哥(つねあに)が。え。ふふふ、嘘だい。そりゃ嘘だよ。
なんだい、嘘だってのか。
だっておめえ、あの人は堅ぇ人だよ。第一おめえ、お内儀(かみ)さんが名代の嫉妬(やきもち)やきときてるんだ。な、そんなことすりゃ大騒ぎになる。そんなことぁないよ。
じれってぇ野郎だな、こいつぁ。そんなことはねぇたって、今、おれが見てきたんだよ。
行ったのかい。
うーん。師匠んとこへ入ぇろうとしたが、何かこう、ひょいと気がさしたんでな、横へまわって筋穴から、ちょいと内を覗いたんだよ。するとおめえ、お膳を出して常州と、ちびり、ちびり、酒飲んでやがるだ。それが、おめぇ、馬鹿な、でれつき方なんだ。おれもう、呆れ返(けえ)っちゃった。
本当かい。
ま、本当か、嘘か、行ってみなよ。
じゃ一緒に行こうよ。そうかなぁ、そんな事ねぇと思うんだがな。当てにならねぇけれどもよ。うんうん、どこだ?え、どこだ。
こっちの穴がよくみえるから覗いてみろ。
うん。つまらねぇこと調べてやがる。こっちの穴?へーどんな?あら。うん。なるほど、うんうんうーーーーーん。
うなってやがる。どうしたい。いねぇかい。
しーーー。いないどこじゃない、酒盛だい。
え。
やってやがら。馬鹿にしてやがる。何か云ってらい。なにを。冷たいお刺身は毒だから、およしなさい?畜生。冷たいお刺身は毒だからおよしなさいってさ。忌々しいじゃねぇか。内へ入って二人で暴れてやろうじゃねぇか。
だめだよ、だめだ。およし、およし。
どうして。
どうしてったって、おめえ。喧嘩となりゃ二人かかったって兄哥にゃ腕ぷしじゃ敵わねぇやな。よした方がいいよ。
だって、おめぇ、このまんまにしおておくのは癪にさわらぁ。
だからよ、これから常州の家へ行くんだよ。ね、嬶(かかあ)を煽(あお)るんだ。な、そうすりゃ名代の嫉妬(やきもち)やきだ、黙っちゃいねぇや。かー、てんで、のぼせて、
ここに飛びこんで来て胸ぐらとっつかめぇて、お前さんは、てんで喧嘩がはじまる。
お、なるほど。こりゃいいや。こっちで手をつけねぇ。
そうだ。
向こう同士で蹴合(けあ)わせる。
軍鶏だね、まるで。
へぇそりゃ面白や。喧嘩が始まって、こんちきしょうめ、かなんかでもって、丼を放ったり、皿、ぱーてんで壊したりなんかすりゃ。
何も丼と皿ばかりこわさなくてもいいやな。
だけどおれんとこは瀬戸物屋だからね。
なんだい。つまらねぇとこで、商売気出す無い。
ははは。ありがてぇ、ありがてぇ。いい心持ちだ。
なにがいい心持ちだい。
俺はね、他人の家へ騒動が出来るの大好きなたちで。
いやな、たちだね、どうも。待ちな、待ちなよ。俺が先にはいってな、いい按配にこういじるから。こんち、ごめんくださいよ。

こんちは。おーい。
どなたぁ。なんだい、次郎さんと六さんじゃないか。珍しいね。お入り。
こんにちは。どうも、ご無沙汰しまして。
ご無沙汰はいいけど、どうしたんだよ。まるっきり、顔も見せないね。生きてるか、死んでるかと思って心配していたよ。
こりゃ、ひどいね。生きてるか、死んでるかは、どうも。ええ、あんまり、ご無沙汰したんでね、今日はご機嫌伺い方々、ちょいとね、寄ろうじゃねぇか、てんで。
なんだい気味の悪いこと、お言でないよ。なんだい、ご機嫌伺いだなんて。あの、今お茶でも淹れるからちょいと待っとくれ。ここんとこまで、つけてしまわないと具合が悪いからね、ちょいと。
ええ、いいですよ。ご精が出ますね。
ご精が出るわけじゃないんだけどもさ。なにしろ仕立て屋へやったところが、婚礼の仕事をうけあって、とても手が放なせませんので、すみませんが他所さまへお願いもうしますといわれたんでさ。知らないところへやっても悪いと思ってね。しょうがないからあたしが間に会わせにつけているんだよ。
へーえ。これはなんだか、見たような柄ですね。
何を言ってるんだ。見たようなだって、師匠のお揃いじゃないの。
師匠の、あああああそうですか。あーおそろい。どうも見たようなのだと思った。じゃなんですか、それ、誰が着るんで。
うちの人が温習会(おさらい)で着るから縫っているんだね。
うーん、なるほど。恐れ入ったな、どうも。な、おい、えれぇもんだね。ご亭主がこいつをお浚(さら)いで着るんだてんで、おかみさんが肩をはらしても仕事をしていようてんだ。本当に恐れいりました。あねえさんのことは評判がようがすよ。いえいえ、膏(あぶら)、かけるわけじゃねえ。全くさ。ねえ、おかみさんてえものはしっかりしてなくちゃ、亭主は表へ出て、どうって事は出来ませんやね。こういう、いいおかみさんを持った兄哥は幸せだなんてね、みんなそう言ってますけれども。兄哥だってそうだ。な、おい、よしゃいいんだよ。ねえ、こんないいおかみさんがありながら。みっともねぇじゃねぇか。若え者頭だとか蜂の頭だとか言われているのに。へん、冷たいお刺身なんぞ言って。見っともねえやな。
おいおい、よしなよ。なんだい、おめえはお喋りだからいやだってんだ。そんな話を何もここでする事ねぇじゃねぇか。もしもこれが姐さんの耳へでも入ぇりゃ厭な心持ちじゃねえか。よせよ。
うん。言いたきゃないけどもさ、え、気の毒だよ。何も知らない、ねぇ、仏様のような料簡で仕事をしている。それを亭主が浮気をして、お前。冷たいお刺身なんぞ行って呑んで。
まだやってやがる。よせってんだよ。しつこい野郎だな。姉さんの耳に入ったらどうするてんだよ。よしなよ、よせよせ。
何を言ってるんだよ、どうしたのあたしの耳へ入ってどうするの。
ええ何々へへへいいんです。
なんだね。いいんだって。じゃ何かい。うちの人がどっかで、女とでも飲んでいたのかい。
いえ、まーね。
まぁねって。言ったらいいじないかね。構やしないやね。どこで。
えへへへどこでって。こういう事は聞きゃ聞き腹ってぇやつでね、知らねえ方がいいんですがね。よしましょ。
なんだね、気を揉ませるようなこといって。何処で。はっきりお云いよ。
相手ですかい。いや知らねぇどころじゃねい、大知り。ええ。その、おさらいのなにでね へへへ、な、おい。
おさらい・・、じゃ、お師匠さんと。
ええええまぁねええ。
呆れたね。まあ、そう。あたしゃ、そんなことは、まるっきり知らなかったね。ま、呆れたね。
ええ、呆れたって。もうこっちなんざ呆れてる最中で。夜かなんか、こっそりやるんならいいが、ま昼間から。みっともねえやね。お膳へ差し向え、てえのはあるけれども。兄哥が飲んでるとね、師匠が膝へこう寄かかってね。刺身を食おうてえと師匠が止めるんだよ。冷たいお刺身は毒だから、およしなさいよって。兄哥は強情だからおれが好きなものを食うんだから、いいじゃねえか。いけないわよ、冷たいお刺身だからさ、あたしが暖かいお刺身にするからお待ちなさいよぉ。なんてね。ええ、暖かいお刺身てえのはあんまり聞いたことがねえが、どうするんだろうと思っていたら、師匠が口ん中へ入れてね。口ん中でペロペロって暖かにしてね、兄哥の口にこいつを入れるとね、うまそうな顔をして兄哥が刺身を噛んでうまそうに。
まあ、呆れたね。いい年をして。よくそんな馬鹿なことをして。よく知らせてくれたわね。それはいつなの。いつ見たの。
いつったって、いま見てきたんで、すぐおいでなさい。ただ今、ちょうどよろしいところで。さー、いらっしゃい。いらっしゃい。
いえ、そんな冗談でなく、いつ見たの。
いつ見たって。今、見てきたんですよ。
へえ、ジャ今見て、すぐにここへ来たという。ああ。ふん、そう。それはそれは、ご苦労さま。
あれあれあれおいおいおうダメだよ。また仕事にかかったよ。油が少し足りねえかな。ねえ、姐さん、お前さんもまた着物を縫ってそりゃ。冗談じゃねえんだよ。みっともねえじゃねえか。亭主をとられてさ。あっし達も一緒に行くから、むこうへ踏む込んでんで鼻面並べて言うだけのこといってやったらいいじゃありませんか。
次郎さん、六さん。
へい。
お前さんとうちの人とはなんなのお友達じゃないの。家で喧嘩をしていたら納めるてくれるのがあたしゃ、友達の人情だと思うね。こうやって波風立たずにいるところへ来て変な事をいってきて夫婦喧嘩をさせて、どこが面白いの。
別に夫婦喧嘩をさせようなんてわけじゃねえけれども今見たからあっし本当のことを。
ふん。馬鹿馬鹿しい。それも昨日とか一昨日というならあたしだってそれに乗らないこともないけれど本当らしく今見てすぐに何を言ってるんだね。うちの人はね、昨夜っから風邪ひいて奥で寝てるよ。
へえ。奥で寝てる。嘘だよ。そんなことはないよ。なぜってたって、お前さん、家で寝てる物が、師匠んとこで酒飲んでるわけがねぇじゃねぇか。
だって、お酒を飲んでる者が、家で寝てるわけはないじゃないの。
そりゃそうだけれどね、家で寝てぇる者が外で酒飲んでる筈がねぇんだけれども。
だけど、お酒を飲んでる者が、家で寝てるわけが。
そりゃ同じ事った。いつまでいったって。じゃ、いるんですかい、兄哥が。へぇ、いるんなら、会わしてもらいましょう。な、お目めにかかろうじゃないか。どういう兄哥なんだ。

会うっていうのかい。ああ、いつでも会わせますよ。ちょいとお前さん。あの、次郎さんに六さんが。
わかった。わかったよ、今行くよ。さっきから話きいちゃいるんだが、なんだか、どうも頭がぼーとして、体がかったるいような。てめぇの体か人の借り物かわからねぇや。ああ、いやな心持ちだ。次郎、六、なんだ。くだらねぇ事を言って来やがって、この馬鹿やろう。
おい、いけない。いたいた、いるよいるよ。
あ、こりゃいけね。じゃ、おれは先に。
先にって、おめぇだけ逃げちゃしょうがねぇ。
おいおい、何を二人で引っぱりっこしてやがんだ。いい加減にしろい、冗談じゃねえ。若夫婦なら喧嘩をさして、いたずらをしようじゃねぇか、なんて、まぁ、よくやるもんだが。おれたちのような爺じや婆ばのところへきて何だってそんな馬鹿なことをいうんだ。
別に悪気で言ったわけじゃねえんで。
悪気でいうって、あんまりいい料簡じゃねぇが。
まあ、それはそうですがね。だけど。いえそれがさぁ、与太っぱちを言ったわけじゃねぇですよ。たしかに酒飲んでいたんです。
飲んでいたって家にいるじゃねえか。
さ、それがおかしいんで。だけども一人ならなんだけども二人揃ってお前さん、間違えるって事ねぇんだが、本当なんだよ。たしかに酒飲んでいたんだ。
じゃ、なにか。てめぇ達が二人で見て、たしかに、おれが飲んでいたと、こういうのか。嘘じゃねぇんだな。
ええ、ええ。
よし。じゃ、おい羽織を出しな。え、ま、いいから出しなてんだよ。さ、じゃ、一緒に見に行くから。行け。
何を見に行くんで。
俺を見に行くんだ、俺が。
なんだ、俺が俺を見に行くてぇのは。だってお前さん、ここにいるじゃねぇか。
いや、そう言われると何か、こねぇだから、おかしいことはあるんだ。うーん、床屋へ行ってたりなにかすると、この頃は大夫どうも唄の方はお上手になりましたが、やっぱり他人じゃねぇからお仕込みがちがうんでござんしょう、なんて。なんだ妙ことをいいやがると思って気にしてたんだが。じゃ、事によると俺の姿をかりて、内へ入ぇてる奴があるかもしれねぇんだ。ま、どんな様子か。さきへ覗いてみろ。
じゃ入ぇっちゃいけねぇよ。いいかい。入ぇねぇで待っておくんなさい。ようがすね。いいかい。
ここにいるから早く覗け、てんだ。
へえ、じゃね、内、覗いてみるがね。え、もう、いや、しないよ。たしかにおまえ、ここ本人がいるもの。内(なか)に、あれ。おい入ぇちゃったよ。
だから、そう言ったじゃねぇかな。一緒に入ぇるから待っててくれって。何もここまで一緒に来たものを入ぇらなくっても、あれ、出ちゃった。あ。また、入ぇった。あ、また、出た。あ、また、入ぇった。ふふ。いや、両方いらぁ。
何言ってやがる。
覗いてごらんなさい。兄哥にちげぇねんだ
てめえ達は目がどうかしてやがる。どけ、どけ。俺が見てやら。ここにいて、内にいるわけ。あら。うーん、次郎、六。
へ。
中で酒を飲んでいるのは確かに俺だな。
そうだろう。本人が言やぁ間違いねぇえや。兄哥に違ぇねぇんだもの。
じゃ中で酒飲んでるのは俺で、俺はだれだい。
気味の悪いことを言ちゃいけないよ。おい。自分で自分がわからなくちゃ困らぁな、ね。

こりゃあな、狐狸妖怪に違ぇねえ。
なんだい、こうりようかん。
こうりようかん、じゃねぇやな。狐狸妖怪の類だろうてんだよ。ま、なんでもいい。おめえ達は先へ入ぇって。向こうは飲んでいるから、いずれ盃をさすか、こっちから盃をさす、その時に油断を見すまして、腕をひっぱって、こいつを押さえつける。そしたら耳を、こうさわってみろ。人間なら耳を押さえてもじっとしているが、けだものてぇ物は耳を押さえられると動く、そうしたら大きな声で怒鳴れ。
怒鳴なれって?何って。
なんだっていいやな。ぴょこぴょこと動いたら、ぴょこぴょこ、だとかなんとか言え。そしたら俺が裏口からとびこんで野郎を叩っていっぱたいてやるから。
じゃ何かい、その、押さえて。ぴょこぴょこだ、て、とたんに、がらとあけてパンと殴るのは兄哥がやるんだ。
そうだ。
じゃ、その先、ぴょこぴょこを押さえるのは?
おめえがやるんだ。
おれが?そりゃ、いやだよ。へへへ、だって、押さえて途端に、ヤッと食いつかれるもの。
そんな事ねぇ。大丈夫だ。俺がいい按配にとびこんで、野郎、締め付けるから。やれ。
あーー、うーん、入ぇるけれども、俺が先入ぇるから、おめえは、何だぞ、少し、こう、後ろの方を開けとけ。ぴったり閉めるんじゃないよ。わーあと言った逃げるんだから、その用心をしなくちゃいけねえ。こんちは、ごめんください。
どなた、あら、次郎さんに六さんじゃありませんか。まぁ、お入りなさいな。あの、常さん。次郎さんに六さんがみえましたよ。
いよう、次郎に六じゃねえか。まいい。おう、こっち入ぇんね。
声柄が少し違うぞ。え、こおりようかんだ、こおりようかんだ。いいか。しっかりしろ。えええ、いいんです。ここで。
もっと、こっち、いらっしゃいなね。
いえ、ええ、この壁のそばにくっついてる方が好きなんです。
ま、いやなこと。ヤモリみたいに、壁にくっついて。今、常さんに一杯あげてるとこなの。お澗もいいから、お上がんなさいな。ねね、え、さぁ。
え、お酒。ああ、そう。そりゃどうも。酒ときた日にゃ、あっしゃ目がねえからね。ああそうすか。あ、大きいもんで。へえ、どうもすみません。へえへえええ酒はあっしゃ、のがさねぇ方でね。こういう時は、また、ぐっと、一杯ひっかけて、何をするんだ、おいおい。下種(げす)ばってやんだ。袖をむやみにひっぱるなよ。こぼれるじゃねえか。あとでやるんだよ。下種がってやがんなこの野郎。
何言ってやん。てめえの方が下種ばってらい。相手がコオリヨウカンだ。酒だと思ってよろこんで飲んだって馬の小便かなんだかわからねえぞ。
ええ、この野郎、変なこと言いやがったな。なるほど。なんですかね、これ本当の酒ですかね。
いやですよ。本当のお酒ですかって。嘘のお酒てえのはありません。本当の酒ですよ。
これがね。本当の酒なんでしょうね。ええ。どうも匂いは本当らしいけれど。ちょいと舐めて。はは、やっぱり、こりゃ酒ですね。
何を言ってるの。本当の酒だからおあがんなさいよ。
へ、じゃいただきます。ごくごく。いいお燗ですね。兄哥にひとつお返しに一杯いこうじゃありませんか。
そうかい。じゃ、もらおうか。
と、常さんが手を出したところをぱっとひぱったて押さえつけて耳をさわってみるとぴくぴくっと動いたんで。
ぴょこぴょこだ。
て言いやがる。裏口から飛びこんできた常吉。
やい。
あああ。あら、いやだ。ここにも常さんここにも。
ま、師匠。騒いじゃいけねえ。騒いじゃ、おい、次郎、表をしめろ。六、しっかり押さえてろ、はなすな。やい、そこにいやがるこの俺。てめぇはなんのためにここにきている。師匠の名にもかかわりゃ、俺の名にもかかわるだ。魔性のもんじゃねえ。化性(けしょう)のもんだろ。言え。こういう俺は洵、吉野屋の常吉(つねきち)。吉野屋の常吉ーー吉常(よしつね)が調べる。言わねえか。
ハイハイ申します、申します。常吉様の姿を借り、よんどころなくこの家へ、まいりました。その理由(わけ)を一通り、ま、お聞きなされて。下さいませ。(笛、太鼓、大太鼓、小太鼓、来序、三弦入り、歌舞伎調で)
頃は人皇(にんこう)六十二代、村上天皇の御代(みよ)に、山城、大和二ヶ国に田鼠(でんそ)といって田畑を荒らすねずみ〜。つきしが時の博士に占わせしところ、高位の御方のお側に仕えし牝猫の生皮(いきかわ)にて製したる三味線を弾けばねずみは立ち去る、とのこと。よって女三(にょさん)の宮に仕えし牝猫の生皮にて製したる三味線を弾けばねずみは、ーーー 立ち退きけん。民、百姓のよろこびに初めて声をあげしより、初音の三味線(しゃみ)と名づけ給う。たも、たも、たもたも。国のためとはいいながら、親猫を殺されましたその時は百匁(め)に足らぬ、まだ仔猫。なんの頑是(がんせ)もなくばかり、耳をこすりて雨を知り、目に時、刻は知りながら、なんの因果で、親猫の行方はしれぬ、と泣きあかし、ごろごろにゃとたずねても、いまだに知れぬこの年月。ようようたずねてまいりました、わたくしの親は、あれ、あれ、あれあれにかかりし、あの三味線、わたくしはあの三味線の子で、ござります。
ふッ、気取ってやがら、見ろ、大きな猫だ。
ヘーェ、こおりようかんじゃねえ。猫の化け物だ。兄哥、今度の温習会は大当たりだね。一ばん終(しま)いが千本桜の掛け合いだろう。狐忠信てぇのはあるが、こいつは猫が、ただ酒飲んだ。猫のただ飲むてんだ(猫忠信)。あっしが駿河屋の次郎吉で、駿河の次郎。こいつが亀屋の六兵衛で、亀井の六郎。兄が弁慶橋に棲んでいる吉野屋の常さんで、吉常(義経)すっかり千本桜が出来たね。
肝心の静御前がいねぇじゃねえか。
へへ、兄哥にも似合わないねえ。師匠の名が延静(のぶしず)てんだから、ぶっつけ、師匠が、静御前だ。
いやだよ、あたしみたいな、お多福に、静が似合うものかね。
猫があたまをあげて、
にゃァう。

この噺は圓生は三代目三遊亭圓馬から教わっている。元来大坂の噺で、明治になって六代目桂文治によって東京でおこなわれた、古典落語のなかでも大物です。
マクラは縁についてで、鯨と泥鰌、夫婦、町名と、マクラとしては長い。しかし、これがおもしろい。特に江戸の町名でこのような傾向があろうとは気付かなかったかもしれませんが、しかし、江戸では町人の仕事内容や景色などその町の特徴を町名に充ていましたので、江戸生活と関連のある名になっているのは当然です。
現在のような七桁番号では何の意味も持っていませんので、人の記憶には残りませんし、粋だなぁとおもわせる事も無くなってしまいました。そして、不便です。
例えば、広尾から青山墓地に至る首都高との交差点あたりを霞町といっていましたが、今は西麻布です。郵便番号は1060031で、ネット地図で素早く検索できます。
しかし、実際に出かける用があれば、昔は霞町までとタクシーの運転手さんにいえばハイヨといって即座に走ってくれていましたが、いまは、ええーと、外苑西通りを広尾から青山墓地に向かい、首都高の六本木渋谷三号線と交差する西麻布交差点というところまで行ってください、と、かなり面倒な説明を長々と喋らなければなりません。
江戸の町名は複雑なようで、実は人間にやさしい名であったわけです。神田の町名で内神田には亀井町、片岡新道、伊勢町、駿河町といった義経千本桜の義経四天王に因んだ地名があり、洵に粋でしたね。史実での義経四天王は鎌田盛政、鎌田光政、佐藤継信、佐藤忠信をいい、亀井六郎、片岡経春、伊勢三郎、駿河次郎ら、みな義経の側近です。
昨年2003年は江戸開府400年で、これを記念して千代田区の役所が、千代田区の町名を現代と江戸と重ねて調べられる、『大江戸透絵図』を発行し、これが馬鹿当たりで大好評です。平成16年になっても、いまだに全国から注文がきているという。役所発刊誌では驚異的な売れ行きだそうで、この付録のCDがパソコンでおもしろいように町名検索ができます。これがなんと一人で仕上げた作品だそうです。その人は都市建築デザイナー立川博章(1933年生)さん。東宝映画ゴジラの美術担当をされた人で、超力作です。是非手元においておかれると役立つ本だと思います。
さっそく利用させていただくとして、このCDの中にも弁慶橋の説明がでてきます。弁慶橋は岩本町と紀尾井町にあり、今、のこっているのは赤坂見附からニューオータニに入っていく、お濠にかかっている橋の方ですが、猫忠の常吉兄哥がすんでいた弁慶橋は今の神田駅の東側の岩本町にあたります。
現在の神田駅の下を通る神田金物通りは江戸時代から明治時代までは藍染川という細い川でした。明治に入って、近くのお玉が池が埋められて宅地にされた。その時にこの藍染川もなくなって道路になっています。
この川は、そばの神田紺屋町の紺屋の排水で川の水が藍色にそまっていたので藍染川と呼ばれていました。
この藍染川は、現在の神田岩本町の二丁目十番の東から大門通りのあたりで、少し、への字に曲がっており、このところに弁慶橋がかかっていました。設計者が江戸城普請の大工棟梁だった弁慶小佐衛門といわれており、この名をとって弁慶橋といわれていたと説明されています。
弁慶と名のつく場所は、このほかに清水谷公園南の弁慶橋や桜田濠を弁慶濠というのがあり、これらも彼の設計によるものだそうです。
また明治十七年から都市下水工事が施行されていますが、この藍染川から始められています。責任者は以前にものべましたが、永井荷風の実父、永井久一郎です。
次の膿のはなしが落語にでてくるとはおもいませんでしたが、外科学と皮膚科学の基礎、総論の講義を思い出してください。うら覚えでは困りますので、お浚いしておきますが。
表皮性皮膚感染症として
■; boil、furuncle : せつ、かたね
(管理人注:■は、やまいだれに「節」です)
疔;ちょう(中国語)
癰;carbuncle:よう、があり、
■は毛包および毛包周囲の限局性細菌感染をいい、現在では毛包膿皮症に分類されている。さらに膿瘍形成し、炎症が皮下組織までに及ぶものを疔という。とくに顔面にできたものを面疔めんちょうという。■から疔になって膿がふきでるわけです。
癰は■より深部から始まり、複数の毛包を同時に侵すためにドーム状に隆起した有痛性硬結となることがある。癰は■の兄貴分というわけです。根太とは癰で根部が硬く腫れあがった状態をいう。
ちなみに、粉瘤は表皮嚢腫でかなり大きくなるものがあるが、感染粉瘤で大きくなったものは小切開排出手術が必要ですが、完治目的の場合は嚢ごと摘出する必要があり、外科的手術の基本です。粉瘤自体は病理組織学的には、こまかく、表皮嚢腫(毛包漏斗由来)、多発性毛包嚢腫(脂腺部由来)、外毛根鞘性嚢腫(外毛根鞘由来)にわけます。なんのことかさっぱりわらなくなってしまいましたのでこれくらいにしておきます。
咄のなかのことばで、いまはこういう言い回しはしなくなりましたが、
与太る:よたる。広辞苑では、与太を動詞したもの;でたらめをいうの意。与太とは知恵のたらないもの、でたらめ、つまらぬこと。
下種(下司)ばる:げすばる。いやしい根性をだす。
ご内所:台所の意。=内証、内緒、ないしょないしょないしょのはなしはあのねのねの内緒。
来序:らいじょ。芝居の進退の囃子。
さて、歌舞伎は近松などの時代物は、ほとんどが浄瑠璃が原点になっており、この歌舞伎の歴史の研究、考察は和辻哲郎の晩年の「歌舞伎と操り浄瑠璃」という、約700ページにおよぶ膨大な論文(昭和29年)に詳しい。これを参考にしていただきたい。
そして、NHKの人間講座という番組で山形出身の京都造形芸術大学現学長の芳賀徹氏ものべられていましたが、2003年は江戸開府400年とともに、歌舞伎のほうでも出雲阿国という女芸人が京都の北野天満宮や四条河原でかぶき踊りとして舞台芸術を創始してから四百年という記念の年でした。京都では歌舞伎の記念公演がいつもの年より多く行われ、それこそ、かぶく賑わいだったそうです。歌舞伎は、その後、「徳川の平和」パクス・トクガワにのっとって「元和偃武;げんわえんぶ」のなかで発達してきました。
西洋のバロック芸術やシェクスピアの舞台芸術、オペラなどと比較してみても、歌舞伎は方が人間の複雑な心の動きを、興味深く、見事に表現させていることに気付き、感心させられます。
かぶき、かぶく、は、かたむく、からの転訛で出雲阿国の恋人、名古屋山三が亡霊であらわれて阿国に、「よし何事も打ちすてて、ありし、むかしの一節をうたいて、いざやかぶかん」といったという。この「いざやかぶかん」の掛け声こそ、歌舞伎の舞台芸術の意気込みをしめす言葉なのでしょう。
この、かたむく、かぶくからきた歌舞伎の本質を阿竹登志夫氏は日常性から、かたむく、中心より離れるという意で、「逸脱」、「過剰」、「官能」の三語にまとめています。そしてこれを具体的に展開してきたのが野郎歌舞伎であると説明されている。そして、実際にこれらの舞台藝に芸術ということばがあてられたのは明治以降です。
また、屏風絵に洛中洛外図というのがありますが、織田信長が上杉謙信に寄贈した狩野永徳の洛中洛外図、六曲一双は有名で、現在米沢市博物館が所蔵しています。その他、現存の洛中洛外図は八十点ぐらいあるそうですが、このなかで一際(ひときわ)豪華な舟木本というのが東京国立博物館所蔵にのこっています。画家作成年代は不明ですが岩佐又兵衛の初期物ではないかといわれています。これは、実は、琵琶湖北東、近江長浜で医師開業されていた舟木先生が彦根の何処(いずこ)の骨董屋からか、昭和二十年頃買った私蔵のものであったものを、美術史家の源豊宗氏が見せられて驚嘆した作品で、昭和二十四年、惟(ただ)ちに京都国立博物館に寄贈された曰く付きの六曲一双、左隻右隻の二大屏風である。
京の近世での人々の日常行動がところ狭しと描かれており、この屏風の右隻四扇の真ん中、五条大橋のたもとに歌舞伎小屋があり、四条河原の座では遊女歌舞伎、人形芝居、能を演じているのが描かれている。当時、室町の京がいかに、いざかぶかん、として人々が生活を営んでいたか、瞬目にして理解出来る大屏風絵で、最近、多方面から注目されている作品です。
さて、義経千本桜は吾妻鏡、源平盛衰記、平家物語などの史実を大幅に脚色した芝居ですが、歌舞伎で演じられる以前に能の「船弁慶」があり、これをもとにした脚本になっています。
能では、役に扮して舞台にたつ立チ方と、音楽を受け持つ地謡方、囃子方によって上演され、立チ方の主人公のことをシテといい、脇役をワキ、相棒をアイといいます。能と狂言は組み合わせで公演され、1回の公演で能三番・狂言二番、または能二番・狂言一番というような組み合わせで行われ、最も長いもので、五番立といって、能五番・狂言四番でおこなわれる。この能の演目は脇能物、二番物、三番物、四番物、五番物の5つに分類され、脇能物はさわやかに、二番物は勇壮に、三番物は優美に、四番物は変化を、五番物は手強いものが演じられる。
船弁慶は五番目物、猛将物、太鼓物で季節は十一月、場所は摂津の国尼崎大物浦(だいもつうら)、作者は観世信光です。前半のシテは弁慶、後半のシテは平知盛です。
平家を滅ぼした後、兄の源頼朝と不仲担った義経が嫌疑を晴らすべく西国落ちを決意。摂津尼崎大物浦から船で出るときに弁慶が静御前は危険なので都へ返す。船出したならば平知盛の祟りで暴風雨にあい、これを弁慶が鎮める、という話。
歌舞伎の義経千本桜は
序段 (序幕;堀川御所の場)
二段目(二幕目;伏見稲荷鳥居前の場)
三段目(三、四、五幕目;摂洲渡海屋の場、下市村椎の木の場、釣瓶下屋の場)
四段目(六、七幕目;吉野山道行きの場、川連法眼館の場)
以上が義経千本桜の全景ですが、実際はこのうちの一段だけが公演される。
忠信にばけた狐が正体を化かされるのは四段目第七幕の最後の最後のドンヅマリの場面です。2003年には歌舞伎400年を記念して義経千本桜全幕が、通しで、演じられました。それではその最後の場面を再現しますと、
川連法眼館の場 かわつらほうげん
主な役
九郎判官義経
佐藤四郎兵衛忠信
亀井六郎
駿河次郎
静御前
初音は小鼓の名
忠信;こりゃ静さまには、何科(なにとが)あって騙(だま)し討ち。切らるる覚え、かつてなし。
静 ;やあ、覚えなしとは卑怯な一言贋(にせ)忠信の詮議せよと、仰せを受けしこの静。言わずばこうして言わそうか。ささ白状、さささ。
忠信;今日が日まで隠しおおせ、人に知らせぬ身の上なれども、今日国より、帰ったる誠の忠信に御不審かかり難儀となるゆえよんどころなく、身の上を申し上ぐる始まりは、桓武天皇の御宇(ぎょう)、内裏(だいり)に雨乞いありし時、この大和の国に、千年功経(こうふ)る牝狐牡狐、二疋(ひき)の狐を狩り出だし、その狐の生皮(いきかわ)を以てそなえたるその鼓、雨の神を諫(いさ)めの神楽、日に向こうてこれを打てば、鼓は元より浪の音、狐は陰の獣ゆえ、水を起こして降る雨に、民百姓は喜びの、声を初めて上げるしより、初音の鼓と号(なづ)け給う。その鼓は私が親、私めはその鼓の子でござりまする。
これにくらべれば落語の方が作話の術は長けていることが分かるでしょう。落語の科白(せりふ)の脚色は実におもしろい。
半七捕物帖や権三と助十などの戯曲作家、岡本綺堂が随筆『劇の名称』で、科白の科は動作を云い、白は言語をいう、と定義解釈しています。したがって、芝居(シバヤ:江戸っ子はこのように発音した)の脚本には動作の指示も並記していなければ、科白にはならない理由(わけ)です。
しかし、落語の科白は白だけでも十分で、科の方は目に浮かんでくるので、いわゆる「素の芝居」でも十分楽しめるのが落語です。直(じか)に落語に接っすれば、手取足取の克明な情景描写が加わり、その迫力に圧倒されますが、それでも声とジェスチャーでもまだ理解できない箇所も多々でてきます。そこで文章化は必要です。この猫忠では、古典落語での脚色、即ち「ものを作り、拵(こしら)える」その術が非常に冴えていることがよく理解されたでしょう。落語は、その史上で、科白を日々磨き挙げてきた、深淵なる知恵の藝なのです。