ちぇ、大概ぇ(てえげえ)、そんなこっだろうと思ったんだ。こいつはうまくいきゃいいが、一つ、どじ踏むと、臭ぇ飯を食うようになるが、いいか。
 臭い飯を、焦げたの?
 馬鹿野郎、赤ぇ着物を着るんだよ。
 ほう、赤い着物をねぇ。すこし派手じゃねぇかな?
 何、言ってやがんだ。てめぇ、これを知ってるか。
 なんだい、それは?
 長太郎玉だよ。
 ちょうたろうだまって?うーん知らねえ。おおお、大丈夫かい。熱くねぇのかい、火つけて。

 大丈夫だよ。手の上でこうやって、ころがしてりゃいいんだ。ふっ、どうだ。
 変な匂いがするね、なんだい。
 これはな、樟脳でこせえてあるんだ。
 樟脳?

 虫除けなんだ。これのもう少し大きいやつをこさえて、針金へ縛りつける。捻兵衛の家の屋根へそうっと登って引き窓をそっとあけて、火をつけてやつをおろす。広くもねえ家だからすぐ判らな。二つ三つ、これをぐるぐる回して、すーっと引き上げちまう。で、あしたの朝になったら、てめぇが野郎の家へ行くんだ。

 はは、ゆうべ火のついたものが引き窓からおりてきたでしょ、て。
 そんなこと言やあ、ものはぶちこわしだな。そうじゃねぇんだよ。向こうへ行って悔やみを言うんだよ。

 悔やみを?おれが。
 ん。
 ダメだ。
 なんだ、ダメだってぇのは。
 おりゃね、なんか、きまった口をきこうと思うとね、なんだか舌が攣(つ)れてね、物が言えなくなっちゃう。

 だらしのいねぇ野郎だな、どうも。じゃなにか、悔やみ、なんぞ言わねぇのかい。

 言わねぇったって。だけど、手伝いには行ったよ、弔いの時には。いい弔いだったね。だけれどなんだね、長屋のかかあにしちゃあ大したもんだえ。まぁ銭をかけやがったね。あの強飯何ぞ。何処で誂えたか知らねえっが、こんな大きながんもどきでね。汁をふくんでやがってうまかったにょああ。おれはね、ごまかして三つ食っちゃったもの。

 がんもどきの話はどうでもいいんだよ。むこうへ行ったら、さだめし、お寂しいことでございましょう。まぁ、しかし、あなたが、ああして、生前よくしておあげなすったから、女将さんは極楽浄土なすっていらっしゃるでしょう。ああ、洵におかみさんはしあわせだった。ほんとうにあなたが、大事にしてあげたんでようございましたね。てなことを言う。
 うーん。

 で、むこうで家内は浮んでおりませんと言ったら、しめたもんだ。あ前さんがあんなにしてあげたのに、どういう訳でございます、と聞いてみねぇ。魂が出てきたか、また火の玉が出てきたとか言うに違ぇねぇ。そんな訳はねぇんだが、じゃなにか気の残る物が家にあるにちげねぇが、金や着物はお寺に納めたんでしょうね、とこう言ってみねぇ。むこうが納めておりませんと言う。ああ、それはいけねぇ。それに気が残っていまだに迷って居るにちげえねぇ。これは一刻も早くお寺の方へお納めなすったほうが仏のためだ。そういやこれから私はおたくのお寺の近所へはどうしても行かなくちゃならねぇ用がある。で、大きな風呂敷をてめぇが肩へ引っかけていく。こうして私が風呂敷をもっているのも何か仏の引き合わせでございましょうから、あたしが納めて差し上げましょう。こういって着物やなんかを出させて、こいつを風呂敷にいれて、金を懐へいれて、じゃ、これからお寺へまいります。てんで、その足でおれんとこへ来い。で、そいつを二つに分けるんだ。どうだ。

 う〜ん、偉い。なるほどね。おれの幽霊とは大違ぇだな。さすがに兄哥は悪党だけあらぁ。どうも、大悪党だね。オオアクだ。
 なに。
 大したもんだね。石川五右衛門、熊坂張樊(長範)、鼠小僧、音羽屋。
 馬鹿野郎、くだらねえこといってねえで、早く買ってこい。

これから樟脳を買ってきて。すっかり支度をして、捻兵衛さんの屋根へ。そんなことは知らない捻兵衛、相変わらず仏壇の前に座って、

 南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ。ああ、人間というものはまったく儚いもんだね。おまえがこんな紙きれになってしまおうとは。あたしは夢にも思わなかった。どうか一日も早くお迎へにきておくれよ。いいかい。お前が死んで私は何を楽しみに生きていてもしかたがない。お前のそばに早くいきます。そうしてまた、蓮の台(うてな)で仲良く所帯をもとうと思うから一緒に暮らしておくれよ。蓮の台がいっぱいだったら芋の台でもなんでも構わないから、どうか、お迎えに来て下さい。チン、チン。あんまりリンいい音がしない。なんだか扇ぎで茶碗を叩いているような音になっちまって。どうか、浮かんでおくれ。極楽往生してください。南無阿弥陀仏、なむあみだぶ。

 ぷー、相変わらずやってやがる。
 大きな声をするじゃないよ。下に聞こえたら承知しねぇぞ。早く火をつけろ、早く。
 あ、そうか火をつけんの忘れてた。
 忘れちゃ性がねぇや。そうーとおろせ。そーっと。音させんなよ。悟られるから。静かにおろせしずかに。よーし。少し振り回せ。
 おろすのかい、ほらほら、へへへ。

 南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ、ああ、どうしたんだ。おまえ。迷っているのか。あたしは仕事をしないで、毎日毎日お前のためにお念仏を唱えております。どうか、浮かんで下さい。南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ。 南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ。

二つ三つ振り回して、そっと上へ引き上げる。

翌朝。
 おはようごいざいます。
 おや、これは八っつぁんでございますか。ま、先だってはなにかとご厄介をかけまして。有難う存じます。

 いえいえ、どういたしてまして、へえ。この間は大した弔いでしたね。みんな、長屋のものはびっくりしてましたよ。まぁさすがに大事にしたおかみさんだってんで、あの強飯なんざはどこであつらえたんです、ああ、うまかったね、がんもどきは大きくって、汁を含んでね。あんまりうめえんでね三つーーーいやあの。へへへ五つぐらいくいてえとおもうくらいね。いいがんもどきをだして。いえ、あのいいお弔いをだした、えらいもんだってみんなほめてますよ。お前さんのことを。おかみさんも幸せだって。あれなら、なんでしょう極楽往生をしたでしょうね、おかみさんは。さだめし浮かんだことでござんしょう。

 ありがとう存知ます。そうおっしゃっていただきましては、洵に面目ないわけで。家内は浮んでおりません。
 え、そんなことはねえでしょう。だってお前さんあんなに大事にしておあげなすったのに、浮かばねえ。

 家内は浮かんでおりません。その証拠に昨晩、魂がでてまいりまして。
 あれ、そうですか。おかしいね、あんなにお前さんが大事にしておあげなすって、浮かばねえ訳ねぇんだけどな。なんですか着物やなんかお寺の方にはお納めたんでしょうね。
 いえ、家内の衣類は納めておりません。

 あ、じゃ、それだ。ああ、それにちげぇねぇや。着物ですよ。女てえものは着物はやっぱり大事にしますからね。そいつに気がのこってまだ浮かばれずにいるでしょうね。
 とんと気がつきませんで。とんだことを致しまして。それではお寺の方へ。
 ええ、それね、少しでも早く。これからね、お宅のね、お寺へ近所にどうしても行かなくちゃなんねぇ用があるんで。あっしはね、この大きな風呂敷をね、肩にかけてきましたんで。

 それも、やはり仏の引き合わせでございましょう。
 ええ、ああ、へへ先に言われちゃった。ええ、私がね、届けてあげましょう。
 それではまことに恐れいりーー。
 いやなに、恐れいることありませんよ。どうせ近所までいくんだ、どうせそのつもりでいや、なんです。え、へ、構わないません。なにかお出しなさい。持てってあげますから。

 左様でございますか。それでは、まことに申し訳もございませんがお願いをいたします。もう衣類は家内が手を付けさせないほどを大切にしておりまして。
 へいへい。何です、それは。
 これは西陣のお召しでございます。
 へえ、なるほど大したもんでございますね。

 これは京都へ別誂えをいたしました小紋でございますが、大切にして、これはいいものだと申しておりまして。
 へえ、なるほどね。こっちはわからねえけれども、いいものでございましょうね。ええ、こちらにお出しなすって。
 これは風通(ふうつう)でございます。これは糸織り。

 へえ、いろんなのがありますね。どうも、まだありますか。
 これはあとは羽織でございますが、これは御召、これは黒縮緬(ちりめん)。
 へへ、なるほど。、
 これは紬の羽織でございます。これを見るにつけても、涙の種でございます。
 へ、なにか涙の種があるんですか。

 お屋敷から紬の白を頂戴をして、そのままになっておりましたので、これを染めて羽織にしたいと申しますから、色は何がいいだろうか、と私が訊ねますと、お前さんのところへ片づいて、もう生涯、色を変えないというのだから黒の羽織にしたいと申します。紋はどうしようかと言ったら、おまえさんとわたしの比翼紋(ひよくもん)にして、この羽織を着たいという。うううん、勿体ないほど有り難いことを家内がいってくれまして。
 へへえへえ。

 それから、紺屋へ早速たのんだんでございますが、家内が紋が井筒、あたくしは橘で。比翼紋にといったところ、むこうでまちがえて、井桁の中へ橘を染めてまいりましたので、この羽織を着て歩きますと、あれはお祖師様のお仕着だ、お仕着だみなさんがおっしゃいまして、これを見るにつけても涙の種でございます。
 ごもっともで御座いますね。まあまあ、こちらに早くお出しになって下さいまして、ええ、もう、ありませんかね。
 これはあとは、普段着でございます。
 ええ、普段着でもなんでもよう御座います。お出しなさい。
 これは銘仙でございます。これは伊勢崎、こちらは秩父銘仙で。
 ああ、なるほどいいもんでございすね。どうもどうもありあせん。
 あとはもう夏物でございますが、これは明石でございます。これは透綾(すきや)でございます。

 へえなるほどね、いいもんでございますね、へえ、あとは。
 これは白薩摩でございますが、家内が大切にいたしておりまして、この白薩摩を見るに付けても涙の種。
 また涙の種ですか。へえ。

 永いこと、お屋敷奉公しておりましたので、両国の花火というものは見たことがないともうしますので、それじゃ、あたしが今年はお前さんをつれってって、花火をみせてあげようね、といったら家内がもう子供のように喜びまして。早く花火をみたい、みたい。そのとき、着てまいりましたのが、この白薩摩。
 はーん、なるほどね、そうですか。さぞ、似合ったことでござんしょうね。

 おっしゃるとおり家内は色白でございますから、もう、これがよく映りまして。それに気のつく女でございますから、帰りがけに、もし寒くなって風邪でもひいてはいけないから用心のために、袷せの羽織も持ってってください、また雨でもふるといけないから、合羽も用意をしていけという。
 へえ。なるほどね、よーく気が付くんですな。うんうん。

 それから、それを風呂敷へ入れましてわたしが、首のところへいわきつけて下駄も用意をしろといいますから、わたくしと家内の足駄の鼻緒のところへ縄をいれて片手へさげ、こっちの手には傘を二本持ち、家内のあとからついてまいりますともう暮れ方でございますから、若い衆がたが夕涼みで表へ大勢出ておりまして、あそこへ乙な女がいく、いい年増だ、いい女だと誉めてくださいます。わたくしはもう家内が誉められるのでうれしくてうれしくて。あの年増はいい女だが、あとから包みを背負って下駄をぶらさげていく野郎のつらを見ろ。なんてえ間抜けな面をしてんだろうと、いわれた時のわたくしの、そのうれしさは。

 ぷ。だっておまえさん悪く言われてるで。
 いえ、それだけに家内がよかったなどと思いますと、じつに思い出しても涙の種でござ。

 わかりました、わかりました。もうよろしゅうがす。早く、おだしなさい。へえへえあ。もうありませんか。これはみんな、もうあとは浴衣ですか、浴衣でもなんでも、お出しなさい。こっちへ。

 それからこれは家内の湯文字(ゆもじ)でございます。
 ああ腰巻きですか。ああなるほど。みるにつけても涙のたね。へへへ。あとは何かございますか。へえよろしゅうがす、なんでも。へえ、もうなんかありませんかね。もうありません。じゃすみませんがね。あのちょいと細引(ほそびき)かなんかありましたら、扱(しご)きでもなんでもこっちへ貸してください。ばさけるといけませんから、中結(なかゆ)わえをいたしましてね。ええ、よいしょっと。なに重かぁありません。じゃ、行ってまいりますから。

 誠におそれいります。それではお願いをいたします。
 へへよろしゅうがす。行ってまいりますから。

 兄哥、行って来たぜ。ほら、行って来たよ。
 お、帰ったか。入ぇれ、入ぇれ。早く入ぇれ。
 早く入ぇれたって、ここんとこで、つかえちゃってんだよ。すこし、引っ張ってくれ。
 早く、おろせ。

 へえ、驚いたよ、なにしろ、野郎、ぼろぼろぼろぼろ、涙こぼしやがって、これをみるにつけても涙の種だ、涙のたねだっていいやがって。おらぁ、もうほんとうに弱っちゃったよ。しかし、まぁ、剛毅なもんだねぇ、長屋のかかあでこんなもの持ってやがったんだ。どうも、大したもんだぜ。

 銭は、いくら、あったんだ。
 え。
 金はいくらあったよ。
 金 ? あ、いけねえ。忘れてきちゃった。

 馬鹿、どじな野郎だな、こん畜生。金が当てで、やたんじゃねぇか。え。こんな品物なんぞ田舎へもっていって扱(こ)かすしか、しょうがねぇやな。迂闊なことすりゃ足がつくじゃねぇか。第一、金がないじゃ、しょうがねぇじゃねぇか。それを忘れてくるなんて、てめぇほどのうす馬鹿いねぇや、ほんとうに。どじ。間抜け。

 ん。兄哥は、そういってね、家でそのグズグズ文句ばかり言ってるけれども、向こうへいってたやつの身にもなってみなね、な。あの野郎、ぼろぼろぼろぼろ涙をこぼしやがって、涙の種だ、涙の種だていいやがってよ。こっちだって聞いてるうちにポーとしちゃったよ。

 しょうがねえ。じゃいいよ、今晩もう少し大きいのを、こせえて、もう一片やろうじゃねえか。

その晩また樟脳玉をこさえて屋根へ上がってきた。

 おまえには、本当に悪いことをしました。申し訳ない、勘弁しておくれ。着物に気が残っているとは、あたしは、本当に、つゆ知らず。すまなかったね。今日は、八っさんにお願いをして残らずお寺に納めましたから、どうかうかんでおくれ。南無阿弥陀仏なむあみだぶつ。

 早く、おろせ。いいか。少し振り回せ。
 振り回す。ややーーーーーと、きやがった。

 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ。ああ、おまえ、また、迷って出て来たのかい。うかんでおくれ。お前の気の残ったものは、あたしは、もう、すっかり納めましたから。どうか、浮かんでおくれ。南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ。
 なに言ってやんだい。畜生。いやーーーい。
 あああ熱い、あつい、熱い。南無阿弥陀仏なむあびだぶつ。
 すっと引き上げて。

次の朝、
 おはようございます。
 あ、これは、八っつあんでございますか、昨日はまことに、申し訳ーー。
 いえいえ、どういたしまして。きのう持ってったらね、坊さんがほめてましたよ。ああいい心懸けだ。これならもう仏様は必ずうかぶにちげぇねぇから、じゃありがてぇお経をこてこて、あげようてんでね。そりゃもう、うけあって、浮かんだと思う。浮かんだでしょう。
 それが、家内はまだ浮かんでおりません。

 浮かんでいねぇえ。そりゃおかしいね。だってお前さん、着物納めたんだから。ほんとうですか。まだ、浮かばねえんで。
 へえ 昨晩も、家内の魂が出てまいりました。
 そうですか。出ましたか。
 出たどころではございませんで、その前の晩より大きくなって出てまいりまして。家内はわたくしによほど腹がたってるとみえて、わたくしは魂でほっぺたをやけどいたました。

 そうでしたか。そりゃどうもすみませんでした。どうも。おかしいね。あれだけのことをして浮かばねえ訳がねえんだがね。あ、金はどうしました。お寺へ納めたんですか。
 金は納めておりません。
 それだ。ああ、その金に気が残っているんですよ。今日もね、お寺の近所までどうしてもいくんで、すぐ、これから届けてあげましょう。お出しなさい。
 有難う存じます、どうも。金はないんでございます。

 ない、そんなことはねえでしょう。
 いいえもう、家内の葬式に万端に残らずかけてしまいまして。もうお金というのはございませんので。
 ねぇんですか。おやおや。ほほほん。魂の出し損だ。
 何で御座います。

 いいえ、んん、おかしいね。出てくるには何んかに気が残ってるんでしょうね。よく考えてください。何んかありませんか。
 さあ。もう。気の残るようなものは。あ、ことによったら。
 え、何んかあるんですか。
 家内はお雛さまを大事にしておりました。
 お雛さま。お雛さまね。お雛さまじゃしょうがねんですが、まぁ時期になったらいくらかに売れるでしょうから。ま、納めてあげましょう。お出しなさい。そのお雛さまてぇの。

 それではご覧にいれますが、これはみな家内が大切にしていた、みな名作だそうで、これは玉山、これは秋月でございまして。これが大層の作だと申しておりましたのでごらんにいれますが、この御雛、うううう。
 おおお、どうしたんです。
 家内が気を残しておりましたのは、お雛さまでございます。
 へえどうしてわかりました。
 いま、蓋をあけたら、魂の匂いがいたしました。

 樟脳、長太郎玉の説明で、マクラを聞くと、ちょっとした子供のおもちゃの歴史が判ります。

 おもちゃの語源“もてあそぶ”からきているのだそうです。

 中勘助の『銀の匙』という小説をお読みになったことがありますか。
 中勘助(1885-1965、明18−昭40)は、夏目漱石の弟子で東大卒業ですが細やかな感性を、ほのぼのとした文章で表現した希有なる小説家ですが、この人も、明治、大正、昭和の時代を貧困と病気で、東京、静岡、浅間山、我孫子の草廬を転々としている。自らの感性が周囲の人間のそれと噛み合わない、不遇轗軻の人生を送り、58歳で嶋田和さんと結婚し、81歳で、くも膜下出血のため、日医大に入院、亡っている。平成の時代では残念ですが、この憐才など、ほとんど忘れられた存在です。

 『銀の匙』は自分が小学校にあがるまでの明治20年代、四歳の頃の叔母に育てられた経験と兄のこと、小学生時代の感情世界を描いた小説ですが、漱石が未曾有の秀作として推薦し、朝日新聞に掲載された名作です。

 病弱のこどものころ、叔母は、勘助に懸かりきりで遊んでくれた。
 山崎の合戦ごっこで、勘助は加藤清正の役。叔母が四王天但馬守で、おもちゃの刀、薙刀、弓、鉄砲を用意し、烏帽子をかぶり、叔母は鎧をつけて、雨の日には家の縁側で大立ち回りで、叔母がやられる。しまった。縄はゆるせ。首斬れ。といって四王天は果てる。これを七、八回、同じことを繰り返し、叔母はへとへとになるまで子供勘助につきあう。

 月三さいの大日様の縁日には、欠かさず叔母の袂 (たもと)につかまって、お寺参り。
 同年のお國さんという女の子と、うつし絵であそんだり、よかよか飴屋を追っかけたり、木の実どち、ちょんがくれ、かくれんぼ、石蹴り、をか鬼して遊ぶ。
 お月さまいくつ、十三ななつ、まだとしゃ若いと唱いながら目隠し鬼ごっこ。
 かごめ、かごめ、かごんなかの鳥は、いついつでやる、と夕遅くまで遊ぶ。
 これの方がおもしろいので小学校には行きたくない。習字も英語も叔母にならう。学校では、泣き虫、毛虫、はさんですてろ、といじめられる。

 男の友達ちょっぺいと授業中にしょうべんといって、連れしょんし、相撲して遊んで教室にかえると、しこたま先生に叱られる。

 修身の時間、紙芝居で、いつもは省く、異人の女が子供を抱いて雪のなかに倒れている絵。ある日、それを、先生に無理して話してもらった。内容は、雪の中で路に迷った母親が、自分の著物をぬいでは、ぬいで、子供に著せて、とうとう、二人とも凍え死んでしまったという咄。叔母から聞いた牛若丸を思う常磐御前の話しを連想し、あわれに思う感受性の鋭い子供。

 「を」の字ばかりかいていた。この字は女の座った形に似ていたので、この字に慰籍を感じていた。

 日清戦争で小学校学級担当の中澤先生が徴兵される。皆は世話になったことなど忘れてしまうのに、勘助だけは、戦争反対の気持ちと同時に先生を忘れられない。
 次に赴任してきた先生は大和魂、元寇、朝鮮征伐を強調するので肌があわない。支那人にも、関羽や張飛など立派な武士がいたと反論すると、生意気いうな、と叱られる。

 兄から、なにをぐずぐずしてる、といわれた時、お星様をみてたんです、というと、馬鹿、星っていえ。と怒鳴られる。

 こんな女ぽい、感受性の強いところをとらえて、中勘助はマザコンであるとの説を唱える人もいますが、昔は子供の教育に遊びをふんだんに取り入れ、大人が躾、教育に相当のエネルギーを遣っていたことがわかります。こどもの躾に手抜きは禁物なのである。

 いまではパソコン、ゲーム機器をあたえるだけで、大人は自分自身の時間を作って、子供の躾はそっちのけ。躾には相当のエネルギーが必要で、いま考えているより三倍の時間とエネルギーを使う必要があるでしょう。

 五節句も子供の発育を見ていく大人の大切な行事でありました。季節感が無くなったというのは、自分自身が無くしてしまっているのであって、自然が変化してしまった訳ではありません。昔のひとは苦労して、時間をとって、四季を楽しんでいたのです。

 さて、マクラは新旧を同時に掲載しましたので五節句から見せ物屋敷まで倍の量になっています。

 ここで、まず五節句の関連で”江戸の春”を詳しくのべておきます。

 元旦は、江戸幕府では徳川一門と譜代大名が卯の刻半(午前七時)には江戸城に御礼登城しなければいけない。将軍も大名も大変である。その時の服装は装束で烏帽子をつける。袍(ほう;束帯用の上衣)の色は官位によってちがっており、四位以上は黒。五位は緋色、みすぼらしい赤トンボ(赤の袍)で、六位以下は縹色(はなだいろ)、貧弱な青なのである。これが嫌さに高家に賄賂を使い官位陞叙(しょうじょ)を願う。朝廷と武家との間に立って、官位叙任の取次をおこなうのが高家で、足利時代から、大沢、吉良など二十六家が世襲していた。

 二日は、外様大名と御用達町人の登城。
 三日は、諸大名と江戸町人、大名嫡子は熨斗目(のしめ;締麻の上下)に長袴ときまっていた。旗本の布衣(ほい)以上は烏帽子、大紋をつけての年賀登城。
 四、五日は、登城なし。
 六日には、僧侶、神官らが登城。夕方には門松を取り除く、いわゆる松の内。

 七日の、人日は再度総登城である。
 また、正月はお城の茶坊主の儲け月でもあります。若菜の節句日で、人日。七草打ちといって、恵方に向かって、包丁、火箸,擂り粉木、杓子、金杓子、菜箸、薪の台所の七つのもので、春の七草を俎板のうえで、"七草なずな唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬさきに"と唄い拍子を取りながら俎板をたく。これは、つく(みみずく)という悪鳥が渡ってくるのを追い払うためで、今ではインフルエンザ対策である。

 十一日は、具足開(ぐそくびらき;鏡餅割のこと)、町内では藏開。
 十四日は、年越しのお餅を除く日で、これで正月は終わり。
 十五日は、小正月といって小豆粥をいただく。藪入りの日といってこの日に奉公人は休暇を戴く。
 十七日は、貰い湯といって、湯銭を三助におひねりとして渡す日。

 二十日は、骨正月(ほねしょうがつ;正月の祝いに用意した塩鰤などの骨と大根などを粕汁で煮て食べる)で、また商売繁盛で夷講(えびすこう)をやります。
 二十五日は、亀戸の鷽替(うそかえ;神主が参詣人の持参した鷽を、新しいものに替える神事)と、かなり忙しい。
 子供の正月は、男の子は凧揚げ、女の子は羽子板に歌留多遊び。歌留多はポルトガル語のカルタからきていてカードの意味です。

 二月の初午(はつうま)。二月の最初の午の日をいい、稲荷神社をお参りします。日に干支をつけていくと、例えば2005年平成17年は乙酉きのととりの年で、旧暦一月朔日が、甲午きのえうま。次ぎの日は、乙未きのとひつじで、2月3日、旧暦の一月二十五日が、戊午つちのえうま、この日が初午にあたります。旧暦では二月七日、2月15日が旧暦での初午になります。
 その他、六阿弥陀参りが流行り、これは二月二十五日からです。豊島の西福寺、隅田川の延命寺、北区西ヶ原の無量寺、田端の与楽寺、下谷の常楽院、亀戸の常光寺を廻り参詣します。

 三月は雛祭り、花見、大相撲です。旧暦ですので、三月の朔日(ついたち)から桜の花見です。江戸の花見は今も変わりませんが、上野、向島、飛鳥山、御殿山です。上野での花見には歌舞は禁止で静粛に花見をしなければいけません。呑んで騒いでの花見は飛鳥山だけです。
 これらは岡本綺堂の"風俗江戸東京物語"(河出文庫)から牽いてきました。内容が曖昧で綺堂の勘違いが多いとのことのようですが、一般町民からみた江戸の春として理解してください。

 そして着物のはなし。
 御召は御召縮緬(ちりめん)の略です。先染の縮緬です。その縮緬とは、 経糸(たていと)に生糸を、緯糸(よこいと)に強い撚(よ)りをかけた生糸を用いて平織りにした織物です。生地に凹凸が入り、これをシボといいますが、光線が乱反射するので色合いは美しく上品で、肌触りは柔らかく、しなやかです。シボの立ち方によって一越し縮緬、二越し縮緬、鬼シボ縮緬などの多くの種類がある。柳条、縞縮緬、縫取縮緬、紋意匠縮緬、絽縮緬など様々。

 生糸の太さの単位はデニールといって450mの糸が50mgのものを1デニールという。「二十一中(なか)二本駒」の糸で織った縮緬とは21デニールの絹糸を二本合わせ、駒撚りにした四十二デニールの糸のこと。駒撚りとは撚りが強くかかった糸のこと。
 糸の種類と織り方によって着物はわけます。布の織り方の種類は三方法があり、平織、斜文織、朱子織で、これを三原組織という。平織は経糸と緯糸を1本ずつ交互に交差した織り方で、その特徴は丈夫で実用的、縮緬、御召、羽二重、紬、絣かすり、上布が平織である。

 斜文織は綾織ともいい、経糸と緯糸が三本またはそれ以上でくみあわされた織り方で柔らかく光沢がでる。カシミヤ、ネルがこの織り方。
 朱子織(繻子)は5本以上の経糸と緯糸の交差組み合わせ、交差点がすくないので布面が経か緯の一方だけのように見える。繻子しゅす、綸子りんす、緞子どんすなどが朱子織。駒綸子は、甘い撚りの太い糸で織った平綸子のことで小松、丹後、玉泉。緞子は名物裂や花嫁衣装、振り袖訪問着、帯、舞台幕、緞帳どんちょう、能衣裳がこの折り方で、金襴緞子の帯び締めながらの花嫁衣装をおもいだせばよい。

透綾;すきや、極めて薄い絹織物。
;ろ、生絽と練絽があり搦織からみおりした夏用の衣類。搦織からみおりは、二種の経糸の一方は終始同一方向にあり、他方の経糸の右にでる。
糸織り;平織の縞、絣物をいう。
;しま、二種以上の色糸で筋がでるように織る。

;かすり、布面が染まった部分と染まっていない部分とがあるように織られたもの。
風通;ふうつう、表と裏に異なった色糸を用いて織った着物で二重織ともいう。
羽織;はおり、表着の上に着する短き衣。紋付羽織は男は袴とともで正装であるが。女には羽織は正装としては用いない。

羽二重;はぶたえ、平織であるが高級な糸、糸質のよいものが使われる。経て糸を筬羽一目(おさはねいちもく)のなかに二本を引きそろえて織るので羽二重という。薄めで、きめの細かい光沢があり肌触りがよい。白地では喪服、下着、羽喪、半衿、喪服裏地、着尺、襦袢に塩瀬、綾羽、紋羽片羽なでなどにつかわれる。
;つむぎ、繭や真綿から紡がれた紬糸で織り上げた平織り結城紬、大島紬など。
比翼紋;ひよくもん、自分の紋と情人の紋とを組み合わした紋。

銘仙;めいせん、玉糸、絹諸撚糸、紡績絹糸でおった織物。伊勢崎銘仙、秩父銘仙、足利銘仙が有名。
明石;あかし、皺縮のある織物で、さらさらとした高級夏着尺物。
透綾;すきや、極めて薄い絹織物。
白薩摩;しろさつま、薩摩上布の白麻を織ったもので、夏用。
湯文字;ゆもじ、ゆかた、女の腰巻のこと。

 以上、染織辞典(京都書院)昭和6年、および御召(日本の染織13;泰流社、昭和51年)を参考にしました。

 わたしの愛用している紬は、岩手の南部千厩紬(なんぶせんまやおり)。これは自然の繭をつかった絹糸織りで、この天蚕スカーフは軽くて暖かい抜群の織物です。岩手県東磐井郡千厩町は一ヶ関と気仙沼の中間のところにあります。いずれは、この袖物をきたいものとおもっていますが数百萬するので、手がでません。

 お召しで、最近の話しですが、野田の夢楽堂という骨董屋から、なんと室町時代の着物辻が花が発見されました。銀座でオークションにかけられ、夢楽堂が五千円で仕入れた辻が花に、資生堂博物館が、なんと一億円の値をつけ買いあげました。お召しでも年代物は高値がつきますので、そのつもりで保存して於いてください。
 しかし、着物、お召しはいまは殆ど着なくなってしまったので、着物の種類には知識薄くなっていると思いまして纏めておきました。

 現在、こそ泥が過剰増加しており、高齢者の一人住まいは標的にされています。オレオレ詐欺が流行っていて、被害者も多い。

 つい先だって、ナノハナメールで、病院に自転車、チャリンコで通っている先生の自宅にオレオレ詐欺まがいの電話があって、奥さんに警察と名乗って、お宅の旦那さんが自動車事故で加害者になっているという電話があったそうです。奥さんはすぐに気がついて、オレオレ詐欺だなと思ったので、被害はなかったようですが、世間では引っかかる人が、まだまだ多い。ここ柏でも、こそ泥以上の犯罪が悪質化し、被害は増加し続けています。

 落語に出てくる熊坂張樊(長範)は、義経の時代の架空の大泥棒ですが、八と熊兄哥は、八がすこしドジで、小気味のいい熊が指南役というわけでした。
 しかし、長屋の捻兵衛はこころの底から女房を大事にしていたのに先立たれ、本当に死にたいとおもっている。こんな真面目で女房おもいの人を騙して、財産の着物を盗むなどと卑劣なやり口は許せない。ところが、季節、季節に着ていた、お召しの咄を加えて、洒落た落語になっていますが如何ですか。

 オチは樟脳の匂いにかけた、かんがえ落ちでした。
 樟脳はどのようにして生成されるのでしょうか。これは木から取り出すのです。常緑樹のクスノキからで、クスノキは楠もしくは樟と書きます。クスノキの枝と葉のチップを煮て、これを水蒸気蒸留し、さらに精油を分離し、濾別したものが樟脳です。今は化学合成されている。
 したがって、クスノキ自体も虫に強いので長寿で、東京ではお茶の水、神田川縁に大木となっているのをよく見かけます。

   

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