古今亭志ん朝は、肝臓がんのため7年前(平成13年)に急死した。本名は美濃部強次、1938年昭和13年3月10日の生まれ。獨協高校を卒業後、大学受験に失敗し、親のあとを継ぐ決心をしたのが昭和32年。

 スピード感溢れる咄ップリで、フレッシュな現代感覚を加味した古典落語をきかせ、女性ファンが多く、その噺芸は、父、志ん生を継ぐものと、だれもが疑わなかった。
 平成13年2001年の7月下旬、北海道講演中に体力低下を訴え、東京に戻り癌研に入院。妻から告知を受けるが、あ、そうか、というだけで、淡々と治療を受けていたという。しかし、2001年10月1日、僅か3ヶ月の治療期間で亡くなってしまった。

 遺されたのは談志と円楽。談志は食道癌、円楽は腎不全と病気がち。当代、噺の藝を披露できる落語家は居なくなってしまった。志ん朝は、父、志ん生に最も可愛いがられ、仕業の精進で度胸をつけることを叩き込まれた。渋みを利かした老練な藝までには至らなかったが、その間際まで来ていたのに、可惜(あたら)、63歳。

 今回は、柳田格之進という題目の話です。他の人は仲々演りませんが、清廉潔白な侍の落とし穴とほろ涙をもって聴かせる。これを活字にしても性がないのですが、本人は、もう、この世にいませんので、やっぱり活字にしておこうと考えまして、ここに披露いたします。

 出囃子三下り 中の舞 マクラ
 柳田と万屋の縁
 十五夜の変事
 柳田の冤罪
 娘の自己犠牲
 番頭との約束
 現れた五十両
 柳田捜索活動
 柳田との遭遇
 柳田の碁盤割り
 中入り

 エー、お運びで有り難く、御礼申しあげます。んー世の中の仕組みというものが
変ってくるってぇーと、人情なんていうものも、大夫違ってくるようですな。ですから今から考えるてぇーと、昔よくそんな事があったのかネーなんてんで、感心するようなことがある。
 取り分け、お侍さんなんかそうですな。なにしろ、まず、何んと云っても御主君の為、御家の為という。そういう考えですから、今の人から考えるってぇーと、どうも、なんか、ピント来ない所がある。
 今、仮にどこかにお勤めになる。社長のため、会社の為に命を捨てるなんという方は、もう、居無なくなっちゃって、極く当たり前のことですな。
 ですから、昔の人のやってることをみるてぇーと、そんな馬鹿なことはないだろう、ということが、よくあるんです。

 江州彦根の城主、井伊掃部守(いいかもんのかみ)の御家来で、柳田格之進という人は文武両道に秀でた、立派な、お侍い。清廉潔白、曲ったことの大嫌な人。ところが人間というものは、何んでも過ぎちゃいけないていいますが。確かにそうですね。
 この柳田格之進という人は大変に正直すぎる。もう、本当に曲ったことが嫌いなのです。嘘も方便なんて言葉がありますが全くです。世の中、たまにはチョイト嘘でも撞かなきゃ具合の悪いことがある。
 また、嘘が為に人を救うなんて事もある。そういうことすらできない。兎に角もう正直な人。ですから、かえって人に疎(うと)なわれまして、
 どうも柳田もよいがなぁ。あれがいると煩(うるさ)くて、いかん。
 なんてんで、他人(ひと)に嫌われ始めた。

 水清ければ魚棲まず、なんてぇーことをいいましてね。
 終(しま)いには上役の讒言(ざんげん)によって浪人をしてしまいまして。
 奥方には、早くの内に先立たれまして、自分ひとり。男手一人で育てました、今年十九になります、おきぬさんという一人娘をつれまして、江戸は浅草阿部川町の裏長屋住まい。

  昨日までは衾(ふすま)の風を厭(いと)っていたお嬢さんが、いまでは裏長屋でもって掃除、洗濯、賃仕事、一生懸命働いておりまして。親に苦労を懸けまいという、洵に、親孝行な、お嬢さん。
 柳田の方も自分でなんかしなきゃいけない、傘貼りでもしなきゃいけない、なんて色々考えてはいるんですが、自分が、どういう理由(わけ)で浪人をしたのか、何が悪くて失敗(しくじ)ったのか、自分に覚えがない。根が正直な人ですから、そればかりをジーと考えて、毎日毎日、家でぼんやりしておりまして。

 あの、お父上。
 ん。なんだ。

 毎日、そうして考えてばかりおいでになっては、お身体にさわります。たまにはお出かけになっては如何で御座いましょう。

 ンどこへ参っても面白いことはない。ああ、よい。放っておけ。

 この先の材木町というところに碁会所(ごあいしょ)が御座います。あそこへ参りますれば好いお相手も見つかることと存じます。たまには碁でも、お打ちになっては如何で御座いましょう。

 おう、碁か。暫く打ってないな。そうかよし、それでは出かけてみよう。

 来るてぇーと、碁会所のことですから、いろんな相手がいる。強いのもいれば弱い者もいる。ところがあぁいう勝負事というのは、やはり、五分五分の力の者同士でやらないとおもしろくない。
 よくハンディをつけましてね。碁ですてぇと、なん目か、おくとか、将棋ですと駒を落とす、なんてぇーことをやりますが。でも、やっぱり、同じ力にはならないもんです。そういうのは面白くない。もう一つ、気が合わないとちっとも面白くない。
 これは同じ勝負事でも金がかかる、博打てぇーとちょいと気の合わない奴でもいいんです。逆にそういう奴がいるってーと闘志がわいてね、こん畜生からふんだくってやろう、てんで、夢中になって出来るンですが。
 ああいう勝負事になるってぇと、力が互角、そしてチョイト気の合う人でないといけない。

 で、何日か通っているうちに、柳田格之進が、見付けました恰好の碁敵(ごがたき)が浅草馬車(うまみち)一丁目で質両替渡世を商でいる萬屋源兵衛という人。
 年恰好は柳田と同じくらい。大変な金持ち、ところが少しもブッたところがない。相手が浪人者だから、なんてんで、見下すようなところもありませんし、折り目正しい温厚な人柄。

 柳田のほうもそうですな。よく浪人者にありがちな品性下劣な所がない。浪人はしていても拙者は武士であるという凛としたところがあります。お互いに大変に気が合いまして、毎日まるで示し合わせたように、時刻違わず、碁会所にやってきて、二人でパチンパチンとこう打っておりました。

 柳田様。
 ん、何で御座る。
 私とあなたと、こうして毎日相手を代えずに碁を打っておりますが、これ無駄じゃないかと思います。相手を代えないんでしたら、家(うち)でやっても同じ事でございます。手前どもへおいでになりませんか?
 うちには盤石もありますし、また、ここよりは落ち着いて碁が打てると思いますが、ここからも目と鼻さきぐらいですので、如何です。是非、おいでになりませんか。

 左様でござるか。それでは一つお邪魔いたそうかな。

 なんてんで誘われるままに萬屋源兵衛の家へ。間口は広い立派な商人で、通されました奥の八畳の座敷。三方が、ずーと廊下になっております、離室(はなれ)。
  どこを見ても庭師のチョイトした道楽が窺えるという、贅沢なもの。しーんとしている。お茶にお茶菓子がでる、結構な盤石でパチリパチリと、ただの好きな人にとってはたまらない。勝ったり負けたりが何番か続いて、さて今日はこのへんで、と腰をあげようとすると、

 まぁまぁ待って、いいじゃあいませんか。如何で御座います、一献差し上げたい、
いえいえ、さほど堅くお考えならないで、わたくしもね、碁はすきで、こちらのほうも嫌いなほうじゃ御座いません。どうぞ、お付き合い願います。

 碁盤が片付けられて、酒、肴が運ばれて、ごちそうになる。これで家にかえってきた。明くる日になると、また、迎えがきまして、

 旦那が、お呼びでございます。恐れ入りますが、ご足労願いたいとおもいます。

 出かけていくってぇーと、おんなじように碁を何番か打って帰りに、またご馳走になって帰ってくる。はじめのうちはチョイト考えましたね。
 侍たるものが町人の家でこうやって接待をうけるのは具合が悪いのではないか。ところが萬屋の方に何か下心があるようには思えない。そんな人間じゃない。ましてや碁が好きなひとは誘われたら黙っちゃいられない。

 まぁよい、いずれ世に出た折りには、何かの形で礼をすればよかろうと、誘われるままに毎日のように萬屋にいって、碁を打つて、ご馳走になっている。

 丁度、八月十五夜の晩、

 ええ、手前どもで月見をいたしますので、今夜、是非お嬢さんもご一緒に、と誘われたんですが、お嬢さんは行かれない。なぜ行かれないかというと、服装(な)りがない。男はかまいません。どんな恰好してでも伺えるんですが、そこへいくってぇーと、ご夫人は、とくに年頃の娘さん。もうなんにも無いんですから。着たきり雀。継ぎ接(は)ぎだらけの、よれよれの着物じゃ、よそ様へは窺えない。

 お父上、お一人でどうぞ。

 というので、いつものように柳田格之進、一人が萬屋に出向いた。十畳の座敷の表障子(おもて)を開け放ちまして、庭のあちこちに縁台をおいて、主人が、番頭、小僧にいたるまで、奉公人、全部そろっての月見でございます。呑んだり食べたり、大変みんなで楽しんでいる。

 柳田さま。
 ん、何で御座る。

 えー、一点、隈無く、冴え渡りましたが、まことに、結構な眺めではございますが、月見もよろしゅうございますが、どうも暫く眺めておりますと飽きますですな。そこまで手前、風流人でもございませんので。べつに一句浮かぶわけではございませんし、ただ丸くて光っているだけでございます。いかがでございます。こういったことを一番。

 おお、それはよかろう。

 左様で御座いますか。おい、あのな、離室(はなれ)でな、柳田様と碁を打つよ。支度をしておくれ。ああ、お前達はそのままでよい。好きなようにヤッテなさい。

 ふたりきりで離室にいきまして碁を打ち始めた。一番勝って、一番負けて。ちょうどよい、喧嘩にならない。むこうで、まだ、皆がやっているので戻りましょうというので、二番で切り上げて元にもどってきて、同じように食べたり呑んだりしている。
いつもより遅くまで萬屋に遊んで、柳田格之進は帰った。

 旦那。

 なんだい。番頭さん。

 へー、先ほど、お渡ししました五十両、あれ、どう致しましょう。

 なんだい?その五十両というのは。

 ですから碁は困るんですよ。夢中になっちゃうと何にも分らなくなちゃうんだから。先ほどね、水戸様から五十両届きまして、それをすぐにわたくし、離室に伺いまして、旦那に渡しましたよ。

 うん。わたしが受け取った? ああ、そうそう、わたし受け取ったね。覚えがあるよ。膝の上にこう置いて、これをいじりながら考えて、ああ受けとりました。で、なにをどうしようってんです。

 ですからね。旦那のお小遣いにいたしますか、それとも帳場の方に回しておくか、
それを窺ったんですが、もう夢中で碁を打ってらっしゃるんで、後で窺えばいいと思い、わたしは、そのまんま、先に下がってきたんですが。あれ、どういたしましょう。

 ああ、そういうことか。どっちでもかまわないがね。わたし、五十両受け取った、そうかい。ちょっと待っておくれ。おかしいな、失(な)いな。

 いやですよ、旦那。よく探してくださいよ。わたし、たしかに渡しましたよ。背中のほーに回ちゃいませんか?

 いやいや、そんなことはない。どこにも無い。おかしいな。どっかへ置いた覚えはないが。ちょいとまっておくれ。たしか、柳田さまと二人で碁を切り上げて、みんなの所に戻ったときには、わたしは手ぶらだった。てぇーことは、離室で受けとったことは覚えているし。よく離室、見ておくれ。

 御座いません。よく探しましたよ。あと、カタしたのがね、重蔵だったんで、聞いたら、何も無かったんで。

 む。たばこ盆の中か、なんかに。
 いえいえ、みたんですが、どこにも無いんですよ。
 おかしいな。どこへいったろうな。

 旦那。ことによるってーと、あの柳田さまが、お持ちになったんじゃないですか。

 おい、滅多なこと云うんじゃないよ。なにを証拠にそういうことを。

 いえいえ、別に証拠というものは御座いません。だって考えて見てください。あの離室にいらしたのは、旦那と柳田さま、お二人だけなんですから。旦那が知らないてんですから、あとは柳田様と、こうなるのは不思議じゃございません。ちょっとわたくし、行って聞いてきます。

 いやいや、待ちな。なんてーことを、エー。あの人はそんな人じゃないよ。わたしもね、いろんな人とお付き合いしたが、あんな立派な方はない。
 商人というものは、いろんな人と取り引きいたします。チョイトつきあってみると、どういう人か判る。今ままでにね、いろんな人と付き合って、この人はこういう人だなと思ったら、そのとおり。みんな間違いない。わたしの目に狂いはない。あの方は立派な方だ。そんのことをなさる人じゃない。

 えーですけど、立派立派とおっしゃいますけれどもね、旦那、あの柳田さまは、ご浪人なさってらっしゃいます。ほんとうに立派な方だったら、わたし、浪人なんぞするわけがないと思うんですよ。なんか失敗(しく)じりがあったか、まずいことがあったんで浪人したんじゃないかとわたくしはおもいます。何度か、阿部川町のお宅に伺いました。酷いお暮らしでございますよ。つい、出来心ということがあるんじゃありませんかね。

 そんなことはないよ。馬鹿なことをいっちゃいかん。あのかたはそんな方じゃない。第一、考えてみてごらん。わたしの膝の上にあったものが、それを柳田さまがどうやって取るんだよ。

 ですから、旦那の膝の上に置いてですね、一生懸命、碁をうっているうちに、金がこう滑べりおちまして、転がって、盤のしたをずういーと向こう側へでると、こう柳田様がひょいと見ると、そこに金包みがある。相手は夢中で碁を打っている。ついおもわず知らず、袂へいれる、懐にしまう、ということがあるんじゃなういかと、わたくしはおもうんですが。

 そんなことはない。そんなことはないよ。考えすぎというもんだ。もう、いいよ。わたしの小遣いということにしておきな。別になんてことない、いいよ。

 なんてたって五十両ですよ。大金ですから、わたくしがなんとか。

 いいてんだよ。ほんとうに余計なこというんじゃないよ。わたくしの金でわたくしが承知なんだから。もう忘れなさい。

 番頭の徳兵衛が悔しくてしょうがない。嫉妬(やきもち)というのは、なにも色恋だけのものじゃないんですな。自分は小さい頃から奉公にあがって一生懸命忠義をつくしているのに、昨日、今日、知り合った得体のしれない浪人ものを、大層、贔屓にしている。それだけでもおもしろくない。そこへもってきて五十両といえば大金。それがなくなったのに柳田さまじゃないかというと、あんなになって向こうの味方をするっていうのは悔しい。番頭としてだまちゃいられない。
 自分で調べようてんで、明くる朝早く起きて。

 ええ、御免くださいませ。

 おお、これは萬屋の御支配か。昨夜は遅くまで、すまなかった。

 いえ、どういたしまして。えー柳田さま。実は、お尋ねしたいことがありまして伺ったんですが。

 お、ほう、なんだな。こっちへお入りなさい、なんだ。

 へい。えー、昨晩、手前どもで月見の間にですな、うちの旦那と柳田さまとお二人で離室で碁を打たれておられましたですね。

 むむ、如何にも。

 そのときに、わたくしが水戸様から届きました五十両の金を旦那に渡したんです。

 おお、なにかそのようなことを話しておったな。それでどうした。

 ところが旦那に渡したはずの五十両がなくなっちゃったんで。

 ふん、ふん。

 そこら中、探したんですがどこにもない。旦那はしらないってんで。あそこにいらしたのは旦那と柳田さまのお二人です。ことによると柳田様はご存じないかとおもって、わたし、伺ったんですが、ご存じありませんか。

 しからば、拙者が、その金を盗んだとでも申すのか。

 いえ、そうじゃないんです。そうは、わたくしは申しません。よくあることで御座いますよ。旦那の膝の上に乗ってたのが、つるとすべって転がって盤の向側へでる。で、ま、これで、よそうってんで、立ち上がるときに柳田様も、たいそう、お酔いになっていらっしゃって、たばこ入れか何かと間違えて、その金包みを思わず知らず、悪気もなく懐にしまうってなことがありゃしないかとおもいまして。

 黙れ。如何に酔っておっても、金包みと烟煙入(たばこいれ)とを間違えるようなことはない。人のものに手をつけるほど、柳田格之進は、まだ、落ちぶれてはいない。無礼なことを申すと、手は見せんぞ。

 いやいや、そう、お腹立ちでは困るんです。ただ、そうではないかとおもった、いえ、どうぞ、ひとつ、ご勘弁を。さよで、ございますか。では、ご存じないわけですな。

 知らん。

 左様でございますか。柳田さまが知らんと、そうおっしゃいますれば、それまででございますので。じゃ、ほか、ちょいと探してきますが。でも柳田様、わたくしも萬屋の番頭でございます。五十両の金がなくなって、そのまま放っておくわけにはいきません。これ、お上(かみ)に届けます。柳田様、その場にいらっしゃったんですから、きっと近いうちに、お取り調べを受けるかもしれませんですが、それはどうぞ、ご承知おきくださいませ。ごめんくださいませ。

 おいおい、待て。奉行に届け出るともうすか。

 へい。

 それは困るな。なんとしても届けるか。

 へい、致し方ございません。

 そうか、しからば、その五十金、拙者がだそう。

 さよでございますか。どうも、ありがとうございます。

 だがな、一切、わしは、その失くなった金は知らぬぞ。天地の神にかけて、その金は知らん。盗んではおらん。よいか、だが、その場に居あわせたのが、わしの不幸せ。取り調べをうけるのは気がすすまん。よって、わしが五十両を出そう。よいか。今はない。明日昼過ぎに来なさい。きちっと揃えておこう。

 あ、左様でございましか。昼すぎ、へいわかりました。へい、じゃよろしくお願いします。

 番頭の徳兵衛が帰った後で暫く考えておりました柳田格之進。硯をそばに引きよせるってーと、スラスラと、一通の手紙を認(したた))めまして、

 これ、きぬや。

 お呼びでございますか。

 すまんが、お前、この手紙を番町の伯母さんのところへ届けてきてくれ。頼むぞ。

 よろしゅうございます。お預かりいたします。

 それから、暫くぶりで、お前も伯母さんにあう。今夜、向こうに泊ってきなさい。明日、昼まで一日ゆっくりと遊んで、それから帰ってくればよい。

 さようでございますか。わかりました。あのー、先ほど萬屋の番頭とお約束をなさいました、五十金(きん)。どのようにして、お父上、お拵(こしら)えになる、お積もりでございますか。

 む、聞いておったか。いやいや、はは、ま、いろいろ訊ねてみる。また萬屋の仲間もよく知っておる。ま、どこかへいって話をすれば、必ずなんとかなるものだ。云いか。金はどっかから、わたしが、こさえる。心配する事はない。おい、それより、さ、早くでかけなさい。

 さよでございますか。お父上どうぞ、お腹を召すことだけは、お止まりくださいまし。

 わしが腹を切るというか。

 お父上は、あらぬ疑いを懸けられたのが悔しさに、お腹をめして、武士の赤きお心をおみせになろうとお思いでございましょうが、なんと申しましても相手は町人でございます。柳田は五十両の金を盗んだのが顕(あらわ)れたので腹を切ったといわれては武士道がたちません。どうか、ひとつ、お腹を召すことだけはお止まりくださいませ。きぬからのお願いで御座います。このとうりでございます。

 きぬや、お前は小さな内から発明な子であったが、いまだに変わらぬな。わしの顔に書いてあるか。いや、いままで嘘というものを申したことがわしはない。俗にいう嘘つきではない。だが、今はじめて嘘をついた。慣れんことはするもんではないな。すぐにわかってしまったか。わしはどこからか、その金を都合してよいやら判らん。

 それでは、やはりお腹を召すお覚悟で。

 いやいや、きぬ。聞きなさい。いたしかたない。わしがな、今まで曲ったことは何一つしたことがないのに浪人した。また金を盗まんのに盗んだと疑いをかけられ、いままでに覚えのない心持ちになっておる。いずれ奉行から取り調べを受けるかもしれぬ。わしは決して盗みはしておらぬ。天地神明にかけて、その金は知らん。
 よいか、だが、尾羽打ち枯した浪人ものと、このあたりきっての物持ちと二人だけのところで金が紛失をした、どうしても、わしに疑いがかかるのは無理もない話だ。
 たとえ、わしでないことがわかっても、一端、受けた汚名はぬぐえん。さすれば、ご主君、また柳田の家名に傷がつく。それゆえ、わしは腹を切る。どうか見逃してくれ。

 どうぞ、おとどまりくださいませ。お腹をめしても無駄になります。それよりも、きぬから、お願いがございます。

 なんだ。

 親子の縁を切っていただきとうございます。

 なに、親子の縁をきるとは、なぜじゃ。

 柳田の娘でおりましては家名に傷がつきますが、縁を切って頂ければ、赤の他人でございます。あたくしが廓(くるわ)とやらに身を沈めて、五十金は整えます。無念ではございましょうが、その金を萬屋の番頭にお渡しくださいませ。盗らぬものならば、必ず、ほかから出るはず。もし、そのときには萬屋の源兵衛、徳兵衛、二人を斬って、りっぱに武士道をお立てくださいまし。このとうりでございます。

 だが、きぬ。お前にそのようなことを。

 父上、きぬは武士の娘でございます。

 そうか、済まん。きぬ。許してくれよ。

 長屋の女衒(ぜげん)の何某(なにがし)かに話しをする。

 ようござんすよ。

 すぐに娘さんを連れて、吉原の半蔵松葉の店に連れて行く。ご主人が観るってーと、ホー容姿がよくって、もって品がある。
 うん。いいね、てんで、すぐに話が纏りまして、明くる日の昼、ちょいっと前に柳田格之進のところに五十両の金が届いた。

 御免下さいまし。

 おお、番頭か。こちらに入りなさい。そこを閉めてな。約束どうり、ここに五十金、整えてある。持っていきなさい。

 へい。ありがとうございます。どうも、お騒がせしまして、申し訳御座いません。

 待ちなさい。その金はな、断っておくが、わしが萬屋方から持ち帰ったものではないぞ。脇から都合してきたものだ。それからな、断っておくが、もし、後日、他より失くなった金が出た折りには、其の方なんとする。

 へ ぇー、あー。ほかからですか。そんなことはありませんがね、まぁー万が一、出るようなことがあれば、申し訳ございませんからねぇ。お詫びの印に、こんな首でよろしかったら、これ、あなたに差し上げますよ。それから主人源兵衛の首も一緒に。二つ差し上げますから。

 その言葉を忘れるでないぞ。

 へー、どうもありがとうございました。

 旦那、失くなりましたね、あの五十両の金、出ましたよ。

 それ、みろ。だからよく探さなきゃいけない。七度(ななたび)訊ねて人を疑え、てなことがある。どっから出たい。

 へ、やっぱり、柳田様が、お持ちになってたんですよ。

 なに。柳田様が。

 ええ、そうなんですよ。わたし、どうしても気になってしょうがないんでね、昨日、柳田様のところへ行ったんですよ。ご存じありませんかっていったらね、はじめ、しらない、しらないと、とぼけてるんです。それじゃ、お上に届けますよと、そういったんですよ。急にあわてて、出すてんで、いまは無いから、明日、昼過ぎに来てくれといわれて。今、行って帰ってきましたんで。ちゃんと五十両、頂いてまいりました。どうぞ一つ、お納めを。

 馬鹿野郎。だれが行けといった。そんな余計なことを何故するんだよ。あたしは、いいと言ったじゃないか。あたしの金だ。あたしが承知なんだから。もうほんとうに、ま、縦(よ)しんば、ああいう方がお持ちになったんだ。よくせきのことなんだ。ムム、余計なことを。主人おもいの主倒しとはお前のようなやつのことをいうんだ。とんでもないことして。返してきな。返してくるんだよ。ああー、え、お待ち。わたしも一緒にいくから。

 主従そろって急いで格之進の家に行ってみるてーーと、表はもう釘付けになっておりまして、開(あ)きません。家主、立ち会いのもとで、こじ開けて、中に入ってみたが、すでに柳田はおりません。正面に、筆で、ぶっつけ書きで家主に宛まして、長らく世話になったが故あって他へ引き移るものなり。道具万端は宿賃滞りの抵当(かた)に、お売り払いくだされ。江州浪人柳田格之進としてある。

 あああー、惜しい友を失くしてしっまったというので、もう、がっかりして、萬屋、源兵衛、家に帰ってきた。なんとかひとつ、詫びをしなければいけない。出入りのひとやなんかに、こういったような人だよ、もし見かけたら教え下さいよ。なんてんで柳田格之進をさがしているのですが一向に見つかりません。

 段々、段々、日が立つ。去る者、日々に疎しなんて云いますな。商売が忙しいか、なんかするてぇーと、柳田格之進のことも忘れるようなことが出て参ります。

 金が失くなりましたのが八月の十五夜。九月、十月、十一月、十二月と、年もおしせまってまいりまして、煤掃き、大掃除。昔の商人の大掃除は大変だったそうで。店を休んで一生懸命掃除をする。番頭が先立ちになって、みんなに小言いって歩いている。

 こらこらこら、なにを遊んでんの。早く掃除をしなさい。お前何してんだい。猫ふんづけて。あら怪しやとはなんだ。てめぇのほうがよっぽど怪しい。ほんとうに、ろくな事してないんだから。誰だ、そんなとこで日向ぼっこしてる場合じゃないよ。あお、離室の掃除をしなさい。すぐにいくんだよ。

 へーい。

 旦那、旦那。

 なんだい。

 いまね、離室の掃除にいきまして、方々掃除して、額の裏も掃除しようとおもいましてね、額をはずしたら、裏からこんなものがおっこちてまいりました。あの、お金でございます。

 なに金。五十両ある。どうしてそんな。そうか。十五夜の晩に失くなったのは、この金だ。ああ、思いだしたよ。碁を打っていて憚りへ立った。天下の通用金(つうよう)を不浄なところへ持っていくのはと気がひけたもんだから、額の裏にあたしがチョイト挟んでそのまんま、憚りに入って、一生懸命碁のことばかり考えていて、出てきて、いきなり碁盤の前へ座っちゃったんだ。で、忘れてしまったんだ。してみるてーと柳田さまが徳兵衛に渡した五十両はどうなすったんだろう。だから、云わねぇこっちゃねー、あの馬鹿野郎。番頭さん呼びなさい。

 お呼びでございますか。

 こっちへ入れ。十五夜になくなったな、五十両がでましたよ。

 ええ。出ましたよ。ですから、わたくしは旦那に渡したんです。

 そうじゃない。柳田様がお持ちになったんじゃないよ。

 おかしいじゃありませんか。

 そうじゃないんだよ。よく聞きなさい。わたしがね、あの時、憚りにもっていけないので離室の額のうしろへ、ひょいとそのまま忘れちゃったんだよ。わたしもいけなかったがな。どうするお前。ああー弱ったな、これは。すぐに手分けをしてな、柳田様をみつけな。

 いえ、それは。それは、およしになったほうが、よろしいかと。

 なんでだ。

 いえ、実はあの、柳田様はわたしにね、五十両を、こう、渡す時に、もし後日、他より出たらどうする。て、こういったんですよ。わたしは、もう、そんなことはないと思ったんでね、こんな首でよろしかったら、あなたに、さしあげますって、そういったんですよ。

 差し上げなさい。差し上げな。えー、そんな首なんぞ、ついてないほうがさっぱりしていいんだ。差し上げたらいいんだ。

 いえ、あの一つじゃ寂しいと思ったもんですから、旦那のも一緒に差し上げます。

 余計なことをいうな、お前は。
 しかたがない。番頭の粗相は主のわたしに帰ってくる。しかたがない。なんとしても詫びなければいけない。え、いや、お手打ちになるかもしれないが、このまま放っておくわけにはいかん。

 旦那。どうか、このまんっま、黙っていればよろしんですから。

 番頭さん、よく考えなさいよ。お前も知ってのとうり、あの苦しいお暮らしの中から五十両という大金を柳田様がお拵えになった。なにをなすったか知れないが、余程のご苦労をしたに違いない。なあ、それを放っておけますか。何をされるか判らない。とにかく詫びなければ、わたしの気が済まない。お前だってそうだ。探さなっくちゃいけない。

 おい、皆な。掃除はいいよ。今まで来ていた浪人の柳田様を探して。あの方を探すんだ。いいか、探した者には褒美として三両やるよ。いいかい、みんな。掃除はいいから探しなよ。

 へい、わかりました。

 ほら、奉公人が、みんな、よろこんだ。掃除はしなくていい。三両てぇいえば、大変な金ですから。褒美はもらえる。柳田格之進が見つかれば、柳田格之進に番頭の徳兵衛が斬られちゃう。そうすると二番番頭が一番頭になる、三番番頭が二番番頭になる、こりゃみんなの出世のためだから、奉公人がみんなで結束いたしまして。手分けをして、朝早く起きるてぇーと、ぱーと、飛び出していく。日が暮れるてぇーと、みんな駆け出しで、帰ってくる。

 あの。行ってきました。

 人の気も知らねーな、ほんとうに。にこにこ笑いながら家(うち)に駆け込みできやがる。いってきたのか。

 へい。番頭さん。行ってきゃぁした。

 どうだった。

 それがね、昨日も前の日も見つからなかったんでね、あんまり見っかんないんでね、しょうがないから、今日ね、観音様へね、お百度ふんだんですよ。

 余計なことしやがんなー。そんなことしなくていいんだよ。そんでどうしたのよ。

 ふんでね、お百度済ましてね、すーと出てきたら、易者がでてたので、みてもらったんですよ。そしたらね、尋ね人は必ず見つかるって、そういってましたよ。

 尋ね人がみつかるって、本当にそういったのか。

 そうなんで。中るも八卦、中らぬも八卦っていいますからね。易者のいうことなんか、中てにはなんねーなと思って、フラフラ歩いていた。竹町(たけちょう)まできたら、ばったり出くわしたんですよ。

 柳田さんにか。

 いえ、下谷の叔母さんにね。

 脅かすない。

 番頭は、もうビクビクビクビクしております。

 その年は、そのまんま暮れまして一陽来福、あらたまの新年(はる)を迎えまして、元日、二日、三日とすぎて四日目であります。
 毎年のことで、主、源兵衛のかわりに、番頭の徳兵衛が山の手の方のお得意さまの年始まわり。革羽織をきまして鳶頭(かしら)を連れまして、あっち行ったり、こっち行ったり、

 方々、年始回り済ませての帰り道。朝の内から、泣き出しそうな空模様。我慢がしきれなくなって、白いものがチラリチラリてんで、降りだしてきた。丁度、湯島の切通しのところにかかってきた時には、もう日も暮れかかっておりまして、あたりも大夫、白くなって。

 だから足元を気を付けながら、ずーといくってーと、下から上がってまいりました、あんぽつの駕籠。そばに侍がついてあがってきた。丁度、駕籠を坂の下まで乗ってきたやつを、一端、駕籠から降りまして、上まで歩いて上がる、てーいうのは駕籠屋への思いやりでございます。

 宗十郎頭巾をかぶって、煤竹羅紗(すすたけらしゃ)の長合羽、柄袋(つかぶくろ)をうち、両刀をたばさみ、足駄(あしだ)をはいて、渋蛇の目(しぶじゃのめ)をさして駕籠の脇をゆっくりと、こう、あがってくる。

 ははー、どうも贅沢なもんだね。ご覧よ、鳶頭。煤竹羅紗なんてのはね、一寸幾らてーもんだよ。それを長合羽にしてる。じつに、どうも、大変な方だな。

 質屋の番頭だからすぐに値踏する。そんなことをおもいながら、すれ違う。途端に。

 そこへまいるのは萬屋のご支配、徳兵衛どのではないか。

 へい、いかにもわたくし、えー萬屋の番頭徳兵衛でございますが、どちらさまでござましょう。

 柳田格之進だ。

 ひやややや、柳田様。これはこれは。まさか、こんなところで、お目にかかろうとは、おもいませんでしたが。お久しゅうございました。

 暫くであったな。皆さん、お変わりないか。

 へい、みんな達者で暮らしております。柳田様も大層なご出世のご様子。

 いやそれほどの事でもないが、お陰様で江洲へ帰参が叶って、江戸留守居役で、三百石、頂戴しておる。萬屋方へ世話になったので挨拶に伺わなければと思っておるが、心に欲(ほっ)せぬことがあって、いまだ無沙汰しておる。主、源兵衛殿によろしく伝えてもらいたい。

 は、左様でございますか。

 いや、しかし、よいところであったな。新年(はる)、会って目出度い。この湯島天神の境内には旨いものを食べさせる店がある。一献、酌もう。一緒に来なさい。

 左様で。チョットお待ちねがいます。鳶頭、あの、お侍さんね。柳田様だよ。柳田格之進様だよ。

 へー、大層、出世なさったんですね。立派になっちって、わしもわからなかったよ。前に何度もお目にかかって居るんだがね。そうですか。それりゃ、どうも。あんなに探してたのにね。なかなか見つからなかったのにさ。なには、なしに、ぱーと出くわすなんざぁ、縁起がいいね。

 よくないんだよ。何いってるだよ。一緒に来いってんだよ。
 わたしゃね、もう帰れないかもしれない。すまないけど、裃(かみしも)、これ持っといておくれ。この脇刺しも、いいかい。それでね、旦那にそういって、これこれこういうわけで番頭は柳田様とちょいとお付き合いをしますからと、よーく、そういっとくれよ。帰れないかも知れないから。わかったかい。頼むよ。

 ええ判った。これ預っとく。はい、行ってらっしゃい。はい、早くいきなさい。

 おまえ、人のことだとおもって、白状だね。よくそういうことが云えるね。

 しょがないじゃないの。おまさん、されるようなこと、しちまったんだから。お待ちになってますよ、早く行ったさいよ。お前さんとは長い付き合いだから、なんか贈るよ。ええ、早桶のいいのか、なんか、贈ろうか?

 なにいってんだよ。お待たせいたしました。

 一緒に来なさい。

 柳田格之進のあとをついて、番頭徳兵衛は湯島天神の境内に入っていく、心持ちがしない。どうしても、お閻魔さまに入って行く。

 そこに座りなさい。いやいや、遠慮することはない。さ、一献、まいろう。

 柳田様、御酒(ごしゅ)を頂く前にお話ししたいことが御座います。

 む、なんだ。

 あの、去年の八月十五夜になくなりました五十両の金。

 ああ、これこれ。今は、よしなさい。新年早々(はるそうそう)、その話はよしなさい。ま、一献まいろう。

 いえ、どうぞ、おききくださいませ。じつは、あれ、去年の暮れの煤掃きのときに離室の額の裏から出ましてございます。

 ぱーと立ち上がって廊下にでようとすると、

 えい!、と声をかけられる、てーと、とんと、その場にひっくり返る。

 なに、あの金がでたか。そうか。なんたる今日は吉日なるぞ。目出度い。む。あの折りに約束したことがあったな。

 はい。

 よもや、忘れてはおるまいな。それでは明日、昼、萬屋方へ伺おう。まあ、それはよい。一口いこう。

 はい。わたくし、帰らさせて頂きとうございます。

 そうか。では帰りなさい。明日があるから、今夜は湯に入って、身体をよく洗っておきなさい。とりわけ、首のところの垢は、落しておくように。

 へへー。

 フラフラになって店に帰ってきた。

 そうか、鳶頭に聞いたよ。ん、ま、お前もな。しかたがない。だがな、こうしなさい。いいか。あす朝早くに起きて、品川の辻様のところへ、ちょいと使いに行っておくれ、いいかい。で、帰り、どこでも構わないから遊びにいって、日一杯遊んで、夜になったら帰ってきなさい。判ったな。

 明(あ)くる日になって、ちょうど昼どきでございます。進物を伴に、持たせました柳田格之進。

 許せよ。

 お待ち致しておりました。さー、どうぞ、どうぞ。

 萬屋どの。しばらくでござったのう。無沙汰しておったな。洵に、あいすまん。

 いいえ、恐れいります。お手を、お挙げくださいまし。

 つまらんものだが、これを納めていただきたい。

 恐れ入ります。ありがとうございます。頂戴をいたします。ええ、柳田様、お願いが御座います。と申しますのは、あの失くなりました五十両の金、実は、あのことについてで、ま、お聞きくださいまし。
 あの時に、柳田のところへ行けと申しあげたのは私でございます。番頭はなにも知らずに行ったので御座います。とにかく柳田様のところへ行って聞いてこいと、そういいましたのを、何にも知らずに行って、ですからあれは罪がないので、それに年取ったお袋、あれを大変に頼りにしております。まだ先のある若造で御座いますので、どうか一つ、あれは、お許し願いとう存知ます。、私には罪がございます。どうぞ、わたくしをお斬りくださいまし。

 旦那、なにを云うんですよ。

 おい。馬鹿。何故出かけなかったんだ。早く出かけなさい。使いがあるだろう。

 冗談云っちゃいけません。柳田様、とんでもない話しですよ、それは。旦那はね、なんにも知らないんで。あの方はそんなことをなさる方じゃない。行っちゃいけないというのを、あたくしが勝手に、てめぇで行ったんですから。私が悪いんですから。わたくしにはお袋もなんにも居りません。どうぞわたくしを斬って下さい。旦那を斬っちゃいけません。

 なにを云ってんだよ。これは、お助け下さい。わたくしをお斬りください。

 いや、わたくしこそ、斬って下さい。

 黙れ。黙れ。黙れ。いまさらになって、そのようなことを申してなんとする。もう遅い。両名とも斬り捨てねば、娘きぬに対して申し訳が立たたぬ。覚悟いたせ。

 へい、徳兵衛や、しかたがない。お手打ちになろう。

 主従が、一生懸命、手を合わせて念仏を唱えております。
 すーーと、立ち上がりました柳田格之進、羽織をぱーと脱ぎ捨てるてぇーと、来国俊(らいくにとし)の一刀の鞘を払って、一足後(いっそくあと)に飛び下がっといて、振りかぶったやつを、

 えい! と振り下ろす。源兵衛、徳兵衛の首がそこにコロッと転がるとおもいのほか、床の間に置いてありました碁盤が、真っ二つになった。

 ああ。柳田様、なぜお斬りになりませぬ。

 斬らんとなしたが、目(ま)の当たりに主従の情をみて、柳田の気持ちは揺いだ。無念ではあるが、両名とも助け遣わすぞ。

 有難う御座います。なんともお礼を申し上げようもございません。ところで、先ほど、娘に対して申し訳が立たんとお云いでございましたが、お嬢様如何なさいました。

 あの折り、渡した五十金、娘が廓に身を沈めて拵(こしら)えてくれたものだ。

 え。そ、それは、それは。とんでもないことをいたしました。洵に申し訳ございません。おい、番頭さん。なにをぐずぐずしてるんだ。お店に伺って、すぐに迎えにいかないか。

 番頭と鳶頭、大勢で吉原へ。お嬢様を連れてすぐに萬屋にやってきた。

 ああ、きぬ、許してくれ。斬らんとなしたが、どうしても、この両名を斬ることができなかった。不甲斐ない父だとおもって許しておくれ。それから、よいか。この
二人もどうか、許してやってもらいたい。きぬ、頼む。わしからの頼みだ、この通りだ。

 お嬢様申し訳御座いません。この通りでございます。どうぞお助けくださいませ。

 冗談じゃないですね、これは。ほんとうはね。自分のお父っつあんに、武士道を立てさせようと思って、死んだ気になって、あの廓に身を沈めた。ところがお父っつぁん、そういうことしないで切れなかった、勘弁しておくれよ。これも許してやってくれ。今だったら大変ですよ。冗談じゃないわよ。慰謝料、なんとかしてよ。
 ところが昔の娘さん。ことに、お武家の娘さんで御座いますので、

 お父上が、それで、気が済みますれば、わたくしは、よろしゅう御座います。というので、話が納った。

 ひとの縁(えにし)というものは不思議なもので、そのことが切っ掛けになりまして、かえって以前(まえ)より柳田と萬屋との付き合いは深まりまして、暫くたってから、娘きぬと番頭の徳兵衛とが夫婦になりまして、夫婦養子という形で萬屋へ迎えられまして、これがまた大層、仲むつまじく、

 月満ちて、産まれましたのは男の子。この子を柳田が引き取りまして、家督を継がせましたという。

 柳田の堪忍袋という一席でございました。

 SONYから発売されているCD落語名人会、SRCL 3332、古今亭志ん朝集の22、1978年4月6日、三百人劇場、ライブの柳田格之進から転載した。
 いい噺しですね。巧く作ってある。そして、志ん朝の柳田との遭遇のところ、煤竹の長合羽に宋十郎頭巾と、その出立ちの表現といい、抜刀場面のスピードある講釈風の喋りは圧巻。なんど聞き直しても惚れ惚れとしますね。

 行ぽつ(あんぽつ)の駕籠とは、左右に畳表を垂れた上等の町駕籠のことである。江戸の駕籠の種類は、権門駕籠(けんもんかご)、法仙寺駕籠、あんぽつ、京四つ路、竹駕あんだ、四つ手、山駕籠、宿駕籠まであり、さらに罪人を運ぶ駕籠を軍鶏籠(とうまるかご)、網駕物(あみのりもの)という、以上9種類もあった。現代の車よりは種類が多いことになる。

 そのほか、江戸時代のことばで遺しておきたいものがあり、これからも遣こしておいたほうが便利というのも沢山あります。たとえば
 匕首;あいくち、鍔のない九寸五分の、ひしゅ、という刀。
 上がり框;座敷に上がる手前の短い板敷き。
 阿漕;あこぎ、あつかましい、しつこいこと。
 後架;こうか、便所のこと。
 沽券;こけん、プライド。
 紙縒;こより。
 玄翁;げんのう、大型の金槌。
 才槌;さいづち、木の槌。
 卓袱台;ちゃぶだい。
 猪口才;ちょこざい。
 美人局;つつもたせ、ゆすり。
 退引;のっぴき。
 馬入;ばにゅう、魚屋が担ぐ桶、盤台のこと。
 番台;銭湯の入口の見張り台。
 素見;ひやかし。
 尾籠;びろう。

 死語が多いのですが、今の流行語よりは優(ま)しでしょう。
 2004年2月に、ちくま文庫から志ん朝の落語、全6巻が遂に完刊された。無上の喜び。お好きな方はどうぞ、買い求め下さい。
 私、宝物がまた一つ増えました。うれしい。
 でも、生の志ん朝を、もう一度聞きたい。

 次いで、CD全集の題目だけを掲載しておきます。何かの時にご利用下さい。
  1. 明 烏
  2. 船 徳
  3. 居残り佐平次
  4. 雛 鍔
  5. 愛宕山
  6. 宿屋の富
  7. 文七元結
  8. お直し
  9. 芝 浜
 10. 百 川
 11. 大山詣り
 12. 粗忽の使者
 13. 真田小僧
 14. 駒 長
 15. 井戸の茶碗
 16. 今戸の狐
 17. 三軒長屋
 18. 羽織の遊び
 19. 佃 祭
 20. 搗屋幸兵衛
 21. 代 脈
 22. 蔵前駕籠
 23. 黄金餅み
 24. 大工調べ
 25. 柳田格之進
 26. 干物箱
 27. 付き馬
 28. 三年目
 29. お化け長屋
 30. 子別れ
 31. 富 久
 32. 二番煎じ
 33. お茶汲
 34. 崇徳院
 35. 御 慶
 36. 堀の内
 37. 化物使い

   

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