
平成十五年も暮れてきました。時の移り行きは早いもので、特に夏が過ぎると一気に大掃除の年末を迎える。
春椿 夏は榎で
秋楸 冬は梓で
暮れは柊
これを式亭三馬はもじって
春浮気 夏は元気で
秋ふさぎ 冬は陰気で
暮れはまごつき
という、洵に巧いことをいいますが。
さて、今回は落語をとりあげました。日本芸能のひとつですが、とくに古典落語では文楽、浄瑠璃、義太夫、歌舞伎、能、狂言、音曲、謡曲、端唄、清元、常磐津、長唄、小唄、新内、川柳などと関連した咄しが数多くでてくるので、聴くだけでは本の一部しか理解できていないことが多い。そこで今回は、おみき徳利をとりあげ、文章化した。
抑も、落語はいつからはじまったのでしょうか? 天正、慶長の頃、京都で浄土宗僧、安楽庵策伝(1554-1642)が説教の高座で、滑稽な落とし噺を数多く実演して聴かせ、それを「醒睡笑」として著したのが最初とされている。しかし、講釈、説法を含めると、徒然草の吉田兼好や、それ以前の大納言源隆国の宇治拾遣を採るひともいますが、これらを落語の起源とするのは一寸、無理があります。
元禄には鹿野武左衛門が江戸で、露の五郎兵衛が京、米沢彦八が大坂で活躍し、滑稽話が流行った。鹿野武左衛門は、鹿の筆巻を書いているが、元禄六年コレラ流行時、冤罪ではありましたが、南天の実と梅干しを煎じて飲む処方を広めた咎で、彼は大島に遠島の刑にあっている。犬を汚した咎で島流し、ともいわれている。
その後、江戸後期には「仕形咄」が、「落とし咄」といわれるようになり、これが明治以降、落語といわれるようになったようです。精確に何時からか、詳細は不明です。
近代落語の祖は三遊亭圓朝で、明治以降、落語の人気は大変なもので、神田には寄席小屋が林立するほどあったという。
大正14年(1925)ラジオ放送が始まり、テレビ放送開始以前までが落語の全盛期で、テレビ時代に入って衰退し、いまは日曜日の笑点(1892回)のみとなってしまった。
落語は日本独特の噺文化で、これほど洒落た、洗練された噺文化は、世界中でも希少で、保存が喫要なのに、平成の時代には、ついに古典落語を語れる噺家は居なくなってしまった。
永井龍男のエッセイの「寄席行燈」に、大正頃の噺家は、三遊派か柳派に別れていて、柳派に人気があったと書いているが、私は六代目三遊亭圓生の気品のある噺っぷりが好きだ。
その六代目三遊亭圓生は、明治33年9月3日大坂でうまれている。本名山崎松尾、父親不明、母さだは義太夫の三味線ひき。明治38年東京に移り、5歳で豊竹豆仮名太夫の名で、子供義太夫の高座にあがる。五代目圓生とさだが再婚、明治42年9歳で落語家に転向。大正9年橘家円好として真打ちとなる。
その後、昭和15年六代目圓生を襲名、昭和42年勲四等瑞宝章受賞。しかし、昭和53年協会の真打ち騒動で圓生は脱会してしまう。そして翌年の昭和54年9月3日、習志野ホールで気分が悪くなり、小噺のみで高座をおりた。その夜、心筋梗塞で市内病院入院、午後九時三十五分急逝。
圓生死して落語の灯は消えたという新聞記事に対し、立川談志が「圓生が死んだくらいで落語の灯が消えるものか。俺をなんだと思ってやがるんだ。」と凄んでみせたが、今となっては、やはり記事の方が正しかった。
しかし、その六代目圓生でも若い頃は、永井龍男は、若旦那風のニヤケとキザな芸風で「なんて、いい男がった奴だ。」と感じた人が多かったと述べている。それが年とともに渋みが加味され、古典落語の灯となるのであるから、日頃の弛まない精進があってのこと。時の自然任せではこうはいかない。
協会騒動は、吉川潮の「江戸前の男、春風亭柳朝一代記」(新潮文庫)に詳しい。
昨年の暮れ、待望のCDを購入した。六代目三遊亭圓生の古典落語圓生百席を、スタジオ録音したもので、レコードでも販売されていた。これがコンパクトになったことで、演目を活字変換するのに手間が少なくなったので便利。そこで、数ある演目のなかで、最も目出度いとされる御神酒徳利の全解読を試みた。
題目 御神酒徳利 約30分
出囃子 笹や節
マクラ
家宝紛失
女房の知恵
善六の名易断
鴻池支配人の頼み
えせ易者窮地
棚から牡丹餅で一件落着
神記
サゲ
送り囃子 目出度、目出度の 昭和49年10月21日録音

笹やーさささーのさささやさ
やるか鈴の手を大高源吾は橋のうえ
明日またるる 宝船

昔からこのー、人間は運、不運ということを申しますが、まぁ、その人の生まれ付きも御座いましょうが、やはり、これという時に運を掴むという人が出世をするという。肝心なところで、取り損なったり何かする。これは矢張り、えー、その人のもって生まれたものも御座いましょうが。
わたくしの子供時代に、なんて間がいいんでしょうという言葉が大変流行ったことがありましてね、一寸した冗談に、まぁなんて間がいいんでしょう、なんてなことをいう。ん。人間というのは間が善くなくちゃいけません。いいことが出来れば、それから、次から次と重ってくるという訳で、その言葉に因んだという、極、お目出度い、お噺で御座いまして。

馬喰町一丁目に苅豆屋吉左衛門という旅籠屋がありまして。んー、昔はこの、江戸へ出ました者は、みんな、馬喰町で宿を取りましたもので、「八十二軒御百姓宿」というものが決まっておりました。
これは、徳川家康公が三河の国から江戸へ御入城になります。三河の国から大勢付いてきた者もございまして、苅豆屋の先祖も、
なにかその方、望みがあらば、叶えて遣わそう。何なりと申せ。
はい、有難う存知まして、わたくしは、これという望みはございませんが、これから江戸という土地が追々、繁盛してまいりますと、行き暮れて、旅籠屋がございません為に、難渋をいたしますので、どうぞ、この渡世をお許しを願いとう存知ます。と、
実に、神妙の至りである。というので、苅豆屋吉左衛門というものが旅籠屋の取り締まりというようなもので、馬喰町へ、その業を許したというわけで。
この時に、将軍家から拝領いたしました銀の葵の紋のついた御神酒徳利が一対。昔はこのー、葵の御紋というのは大変大切にいたしたもので、自分の家の宝であるというので。出しアすのが年にたった一度、十二月十三日。
仙洞御所を首として、皆、この煤取りというものをいたします。いまでいう、大掃除。苅豆屋も大家で御座いますから、大勢、手伝いの者がくる。
へい、例年のお手伝いでございます。
えぇ、手前もお手伝いにあがりまして。
いや、どうも、ご苦労さまで、じゃー、どうぞ、ひとつお願いしますよ。
へぃー“めでた、めでたの、若松さまよ”
と音頭を取りながら、バタバタバタバタと掃除が始まる。通い番頭の善六てぇ人が、台所に出てひょいと見たん。水でも飲みにきたんでしょう。ひょいとみると、大事な徳利が転がっている。
あらなんだよ。こんなところに、しょうがねーな。屑屋にでもチョイと摘んで持って行かれたんでは大変なことになっちまう。
困ったな。どこに仕舞おうかしら。
と見廻したが、台所では入れ物がない。鍋島の一番大きな水瓶がある。こん中じゃよかろうと、ぽんとその中に放り込み、蓋をして、また掃除にかかります。いよいよ、済んだから、さー御神酒をあげようというので、箱の中をみると。ない。誰か出した者があるんでしょう、台所に転がっていたんだから。聞いてみたが、さて、失くなると、あたしが出しましたてぇ者がいない。
テンデン知りません。存じません。善六さんも聞かれたが、忍び近い時分で、さーどうも、あたくしも一向みかけません、という。いよいよ、お徳利が失くなったということになる。
どうも、案外だことになりましたねー。あーいや、皆さんにも大変御心配をかけて申し訳ないが、兎に角、お徳利がでたら、すぐに御祝いをするという、今夜はこういう取り込んだ中だから、食事だけで、ひとつ、引き取ってもらうように。出次第に御祝いいたしますから。いいかい。
へぇ、どうも、洵に、御心配なことで。
取り込んだ中で落ち着いちゃいられない。そこそこに暇をとって皆帰っていく。通い番頭でございますから善六さんも橘町へ。女房と子供と三人暮らしで、
おい、今帰ったよ。

あら、お帰りなさい。まだかと思っていたら、大層、早かったじゃないの。
いや、御店で、とんだ騒ぎが持ち上がったんだ。お徳利が失くなっちまったんだよー。えー、お前も拝見したことがあったろう。あの葵の御紋のついた。
あら。まーそう。じゃ御心配だねー。
御心配どころじゃねぇやな。この徳利が失くなるようじゃ家が破産れる前兆じゃーないかなんてんで、旦那がもう青くなっちまって。何にも食わずに帰ってきたんだ。腹は減っているし、おやおや、大変きれに片づいたね。
今日は子供が大人しかったからね。わたし、出来るだけ掃除もしたし、太神宮様に御神酒もあげてあるんだよ。
あるのかい、え、御神酒が。じゃ燗けてくれ。お前に頼んで買ってきてもらおうと思ってたんだ。 旦那が心配しているところで、頂いても旨くないから。チョイト一杯飲みたいと思ったんだが、いーあやーあおーえ。おかずはなにもない?
お芋を煮たんではねー。
結構じゃねーか。芋の煮たんでも酒の腹が駆逐なるには贅沢なこったよ。何だってかまいませんよ。いいよ、いいよ。あー鉄瓶にお湯が無いんだろう。性がねぇな。使ったらすぐ気をつけて、挿さなくっちゃーいけないよね。
じゃ、いいよ、いいよ。そんなに急くことはないから。水を挿しな。水をゆっくり・・・・・・大変だ! いや、ちょっと待って。酒どころじゃねぇ。今、思い出した。
いえね、お前がね、水瓶に手をかけた時に。そうだ、昼間、台所にいったら、御徳利が転がっていたから、こりゃ失くしちゃ大変だとおもうから、水瓶の中に放り込んだのをすっかり忘れちゃったんだ。弱ったなー。くれぐれも訊かれたんだ。「善六、しらないか?」てぇから、「一向、存じません。」と、キッパリ言っちまったんだ。今更、あん中に入れておきましたなんて、面目なくって言えやしねぇや。
お前、これから行って、旦那に謝ってくんな。亭主の粗相は女房の粗相でございます。別に悪気でしたわけでは御座いませんから、どうか、ひとつ勘弁をして頂きたいといって。どうしても旦那が怒って、いけねぇとそういったら、性がないやねぇ。お前が頭の髪の毛を切って、坊主になって謝ればいいよ。
なにを言ってるんだね。私を坊主にしちまってどうするんだヨ。御徳利が出ればお喜びなんじゃ。
お喜びどころじゃないよ。だけどー、きまりが悪いよなー。今更、おれが入れたってことを。
じゃ、いいやね、嘘ついてお出しなね、いいえ、悪い嘘はいけないが、別にこれは人に差し支えるという事じゃなし。嘘も方便ということもあるから。旨くサ、嘘ついて出しておしまいよ。
どうするんだ?
あたしのお父っつぁんが知っての通り、占い者だ。
おまえのお父っつぁん、占い者だ、大して巧くはねぇ。
大きなお世話だね。
まぁ怒りなさんな。巧くないって評判だからいうんだ、熊谷先生ていうんだ。
何いってんだよ。
その熊谷先生ていうのは柳原の土手で通る人を扇でもって、煽いで招いている。おーい、おーい、てね。
熊谷でも敦盛であろうが、どうでもいいんだよ。お父っつぁんが易を断てたところで、商売人だから中ったところで不思議はないから、お前さんが易をたてなよ。ネ。
易を断てるったっておまえ、おれにはわからねぇヨ。
だって水瓶に入っているってぇ云うじゃないヨ。
あ、そうか、おれが入れておいたのを中てる訳だ。ああ、これなら大概ぇ中るがね。じゃあ、易をたてましたところが水瓶のなかに御徳利がありましたってんで、おれが出しゃいいんだ。
それじゃ向こうで本当にしないから、そこを巧く嘘をつくんだよ。今、家に帰りますと、家内が煤取りをいたしておりますと、古い巻物がでてまいりまして、これは家内が嫁に参ります時に父が持たして寄越した品でございますという。
あたしのお父っつぁんが占い師てぇことは旦那はよく御存知なんだから。まだ拝見したことが御座いませんので、どういうことが書いてあるかと、今般それを開いてみたところ、わたくしの一代にという、なんでも、者は大袈裟なほうが有り難みがあるから。おまえさんの生涯に、そうだねぇ、一片てぇいうのも少ないし二度もなんだね、三度ぐらいが丁度いいところだね。三度はどんな難しい易であろうとも、必ず中るということが内に書いて御座います。わたくしが、すっかり、会得してまいりましたから、徳利のお伺いをいたします、という。
うん、うん、なるほど。
算木筮竹なんてものは素人には、なかなか扱い難いから、算盤がいいよ。おまえさん、算盤が達者なんだから。ただやると値打ちがないから、机の上に算盤おいて、お盛物か何かをして、先、有り難そうに拝んでおいて、かけ算でもパチパチ音をだして、ええと、お台所はたしか艮(丑寅:北東)じゃなかったかね。
えーと、おお、そうだ、よく、お前、憶えてるね。艮だ。
じゃ、こう、言いなさい。ただいま易をたてましたところ、艮為山という易がでましたと云うんですよ。艮為山という易、これは方角にとると丑寅になる。この易が変艾いたしますと、山水蒙となります。山水蒙は、われより童蒙に求むるにあらず。童蒙よりわれに求むるとあって、屋の内にあるという意味で御座いますから。お台所の方角で、水と随縁のある器の中に、この御徳利は確かに御座いますといって、台所へいって、あっちこっちみて、好い加減な時分に水瓶を覗いて、ああ、ここに御座いましたといって、出しゃいいんだね。あとで占い者が聞いても、お前さんが嘘いったんじゃないことがわかるんだしさ。訳ないじゃないの。行っといでな。早くしないかね。
なんだい、ぺらぺら喋って。おれは、そんなこと、判からねぇよ。一緒に行きな、向こうへ。
わたしが行ってどうするんだね。
後ろで大きな声で喋ってる。おれが前でパクパク口を開いてるんだ。
何をいってるんだネ。そんな、馬鹿なことできるかネ。訳はないじゃないかサ。はじめ艮為山という易がでまして、変艾して山水蒙となります。山水蒙はわれより童蒙に求むるにあらず。童蒙よりわれに求むるとあって屋の内に御座います。といって、これっきりじゃないか。
お前はね、これっきりていうけど、初めて聞いたんで、なんだかチンプンカンプンでしょうがねぇんだよ。ええと、ゴ、ゴ、艮為山てぇのが先で、それからなんてぇんだい。え。山水蒙となりゃいいんだ。ああ、判った判った。何とか云って誤魔化してくらぁ。行って来るよ。

あーあ、余計なことして、苦労を求めっちまったから。へい。今晩はごめんくださいまし。
はいはい。どなた。なんだい、善六じゃないか。なにか忘れ物でもしたのかね。ふんふんお前が。へぇ、おまえが易で。そうかい。それは、それは。どうも、御親切なことで。じゃ、すぐに御願いします。あー、おい、おい、善六さんがな、御徳利の占いをしてくれるというから、六畳の座敷がよかろう。机の上で算盤でやる。ああ算盤を置いてな、なに、お盛物。あお。盛物か何かしなくちゃいけない。
餡けはいけませんから、お断りしておきますが。
ああそうかい、神様がお嫌いで。
すこし胃が怒っておりますから。
お前が食べるんじゃないやねぇ、お盛物の話をしてるんだな。じゃ、御神酒と両方あげることにして。じゃ、どうぞ、お願いしますよ。
へぇ、よろしゅうおます。
えー、旦那、断っておきますが、生涯に三度でございますよ。わたしの生涯ていうとね、死ぬまでで。へぇ。月に三度てぇとえらいことになっちまいます。えへん。えへん。これから、わたしが算盤へ、ぽんとあらわします。あたしの易てぇものは実に不思議です。第一に、この算盤てぇいうものは、理詰めにできている。算盤でみれば、なんでもわかる。算盤でわからなければ、あしたの晩にでもすぐ。
何いってるんだい。大丈夫か?
へ。大丈夫。お待ちください。で、みればなんでもわかります。パチパチパチチュチュチュ。でました、易が。これは艮為山という易でございますな。方角にとりますと丑寅にあたります。この易の パチパチパチ、チュチュチュ 変艾すると山水蒙となります。山水蒙は童蒙われを求め、あれをもとめ、これをもとめ、またもとめ、やれもとめ。
なんだい、大変、もとめるね。
へぇ、売り出しかなんかですね、どうも。ははーこれはなんですなー、二十歳になる女が荒神さまを汚した易でございますな、これは。
そんなことが易にでてるかい?
ええ、わたくしの算盤は不思議ですよ。年齢から名前までピタッと現れますからね。チュチュ、飯炊きの、チュチュ、お鍋とでた。
お鍋どん、こっちへお入り。そこへお座り。おまえ、何かい、荒神様を汚した憶えはないかい。汚したことは御座いません。
いや汚してる、お前は人間でさえもよく汚すんだから。若い奉公人は取り扱いはいいが、あたしなんざ、女房持ちには子供があるってんで、おかずの盛り様が違う。羊栖菜と油揚げで、みんな源どんの方へ油揚げをいれて、おれの方には、羊栖菜しか入っていない。あーいう事ではいけません。宿下がりの時に、鰹節なんか誤魔化して持っていったりなんかしたんでは。みんな算盤にでちまう。こりゃ、なにか荒神さまのお怒りにふれましたので、お徳利をお隠しになったという。いや、御座います。台所の方角で、水と随縁のある器の中に、確かあるという易でございます。
そうかい。
台所へ行ってあちこち探して、
あ、在りました、水瓶の中に。旦那様、ありました。
ああー、出たかい。そりゃ、どうも。おいおい、みんな、あの喜びなさい。今、善六さんの占いで御徳利がでましたよ。まぁまぁ、目出度い。まだ、そう遅くもないから、さっき手伝いにきた者は、みんな、ここに集まってもらうようにして。それから柳橋にいって、芸者にちょっと駆馳をかけて来るように。今日は、まぁまぁ、善六、お前が正客に。
てんで、えらい騒ぎで。いい加減なことをいって、八方から先生、先生という。えらい、持てかたで。

この話は、ここが眼目で御座いまして。これが十二月の十三日、例年、十四日にまいりますお客様が、その年に限って、一日早くお着きになります。大坂の今橋、鴻池善右衛門さんの支配人、懸取か何かに、毎年来るんでしょう、どういうわけか、今年は一日早くお着きになる。なにせ、煤取りで忙しいですから、大抵のお客さまは断りますが、長年のお得意様でもあるということで、宿はいたしましたが、階下では目出度い、目出度い、というので芸者が上がってドン茶か騒ぎというわけで。
手をたたく。
へーい
お手が鳴る。
あーいいよ。わたしが行きます。皆んな、飲んでておくれ。わたしが御用を伺ってくるから。おやおや、お目覚めでございますか。どうも申し訳が御座いませんで。チョット家内に慶事が御座いましたので、今えらい騒ぎをいたしておりますので、お疲れのところをお休みにもなれますまいが、もう少々、ご辛抱ねがいまして、もう程なく・・・・
あーご主人か。あんたをな、呼びにあげようと思うて。ちょっと、相談事がある。
あたくしに?へいへい、何で御座いましょう。
ほかでもないが、善六さんの占いで、一片、失せた御徳利が速やかに、でましたという。
いやどうも不思議でございます。下女のお鍋というものが荒神様を汚しました罰でお隠しになったのを、立所に、算盤で、割出しましたので。
そこで、相談というのは外でもないが、知ってのとうり、わしの主人は大坂の鴻池で、今年十七歳になる娘さんがあるが、三年このかたブラブラ病で、加持祈祷はいうに及ばず、ま、手を尽くしたが、なんとも霊験がない。そこで、今度、江戸へ行て、もし、お伺いでも、占いでも。ええ人があったら頼んで欲しいということで。暮れのことで洵に迷惑でもあろうが、善六さんを大坂まで誘のうて、その病気を占てもらうわけにはいかんやろか? どうや?
へい、よろしおます。他人様ならば、ま、お断りしますが、長年、ご贔屓にも合いなりましておりますので、結構で御座います。早速、当人に申し附けることにいたします。
いや、それから、留守中は日一両の手当、三十日とみて、三十両だけ先へ手当を置いていきますが、後は当人の望み次第に、なんぼでも、礼の所はいたします。と。よろしゅうに。
へ、わかりました。ちょっとお待ちを願います。
おい、おい、善六や、おい。
わたくしは今夜はどうもいい心持ちに酔いまして、こんな目出度いことはないと思いまして。これからカッポレか何かをご覧にいれようかとおもう。
ああ、判った、わかった。カッポレでも何でも拝見するが、お前に話しがある。二階に泊っていらっしゃる鴻池のご支配人が、実はこうこうこういうわけで、お前を大坂に一緒に連れていくとおっしゃるんだ。
そら、えらいことで。一片に酔いが醒めっちまいまして、大変で御座いますな。大坂っていったって、どうも。行かないってんじゃないんですが、一応家内にも相談しませんと。
女将さんと相談するもいいが、向こう様でも、お急ぎでいらっしゃるから今晩のうちに、おまえさんの諾否を聞かせておくれ。
へい、ちょっと行ってまいりますから。ひとを祈らば穴二つって、荒神様の罰がこっちに当たっちゃたよ。案外でもねぇことになった。
おう。いま帰ったよ。
あら、お帰りなさい、どうしたい?わたしゃ心配していたんだよ。やり損ないしないかと思って。巧くいったのかい。
巧くいったてぇんじゃない。行き過ぎた。んー、向こうでも大変信用してね。下女のお鍋が荒神さまを汚したなんていってね。そこまでは良かったんだが後がいけねぇ。
どうして?
コレコレこういう訳で、おれを大坂まで連れていくってんだ。
誰が? 鴻池の、番頭さんが。まぁ大した事になったじゃないか。だから、普段からいうんだよ。人間てぇいうものは、何でも真面目に働かなきゃいけない。てぇいうのはそこなんだヨ。大坂の鴻池さんといやぁ大した物持ちてぇいうじゃないの。その番頭さんが連れて行くとおっしゃるンだから結構な話じゃないか。喜んで跳んでおいでな。
喜んで跳んでおいでったって、向こうの娘は水瓶に寝てる訳じゃネーヤ。
何を言ってるんだい。病人を水瓶に寝かせる奴があるかい。いえ。失せ物判断は難しいが、相手は病人じゃないか。訳ないんだよ。お父っつぁんから私がネ、本を借りてあげるからサ。それを持って向こうにおいでな。病人の枕元へ坐って本と顔をじーと見較べている。そのうちに段々判るようになるし、もし、死ぬ病人とすれば顔に死相というものがでるから。こりゃ、死相が出たなと思ったら、この病人は祟り物がいたしております。ときっぱり言うの。で、向こうで何に祟っているといって聞くだろうから、神様でございます。神のことで人間にはよく解かりません、というの。それでいいやねぇ。
それでいい、たって、死ぬかどうか、聞かれたら?
無常の風は時を嫌わずで、人間生涯必ず一度は死にます。と言えばいいじゃないか。うちに父は難しいのは皆そういうんだよ。
熊谷先生の奥の手だい。
なにをいってるんだい。つまらないことに感心おしでないヨ。
いつ頃、死ぬって聞かれたら?
それは解りませんて、いえばいいじゃないか。神様がお怒りになれば、今晩でもお引き取りになりますが、寿命のところは、これは、私にはわかりません。それでいいんだよ。お前だって、向こうの見物ができるんだろう。それに先に三十両もいただいて、結構じゃないか。借金は皆払えてしまうしさ、お金も随分残るから、わたしゃ着物と帯を買って子供をつれて、お前さんがいないから、昼間は芝居、夜は寄席でわたしゃおもしろいヨ。
おもしろきゃないよ。
意気地ないこといわないで、行っといでよ。
そうかね。考えリャ、先方入費で上方見物できるしなぁ。じゃ、いいや、度胸すえて行くことにするか。

早いほうがいいというので、江戸を発ちましたのが暮れの十七日で御座いまして、荷持ちに、荷を持たせて三人連れ。江戸から七里くると神奈川でございますが、瀧の橋の新羽屋源兵衛というのが定宿になっている。前へきてみると、どうしたことか大戸が降り、蔀というものがございます。潜り戸があって、そのうえのところにマッチカクにちょうど表を覗く穴があいておりまして、そこに一合桝が掛ってある。
一寸待っておくれや、今晩は。
はい、あら、支配人さま。さ。どうぞ。
上客で御座いますから、すぐに潜り戸を開けて中に招じる、女将さんが洗足をもってくるというわけで。
どうも、構わないで。何かしら取込みでもあるような様子で?
取込みはあるのでは御座いますが、御宿はいたしてもよろしいので御座いますが、本当に人間のうちに、災難がいつ降り懸かるか判りませんので。お泊まり下さいましたのが、丁度十二日でいらっしゃいました。
わしが、あんたんとこへ、厄介になりましたのは十二日で。
十三日は煤取りで忙しいので御座いますから、大抵のお客様は断りいたしておりましたが、これも長年のお得意で、薩州様のご家来で御宿をいたしましたが、十四日の朝になって巾着が失くなったと仰有ます。中にお金が七十両、島津様から将軍さまへなにか差し出す密書というものが入っている。盗賊が外から入った気配がない。というので主、源兵衛が役所へ疑いをうけて、曳かれております。
それがために、ご巾着が出ません時は、どうなるかと思いまして。左様なわけで、お宿はいたしてよろしいので御座いますが、お静かに、お泊まり頂きたいので御座います。
それはまた偉いことになって。お金はあんたのうちでどうにかなるにして、その密書というようなものが。いや困ったこっちゃなー。お伺いでもして。
お伺いも占いとも、色々手を尽くしたので御座いますが、一向に手懸かりは御座いませんので。
手懸かりがない、困ったこっちゃなーそりゃ。わしも長年のお馴染みじゃからなー。なんかええ工夫がーーーーー。女将さん、こちらにごじゃる先生は。この先生に診てもろうたら間違いはない。わしから一つ頼んであげよう。お聞き及びのとうりで、新羽屋の家が立つか立たんかの界。あんたの占いは生涯に三度という。江戸で一片、大坂で一片、ここでどうぞ、もう一片。
ええー、江戸で一片、大坂で一片。ああー、もうイッペン残ってらい。二度にしときゃ、よかったな。じゃいいよ、いいよ、やってあげるがね。誰が取ったのか判ってんのかい? 判りません。判ってると一番早えんだが、取った奴は泥棒だろう。
とられた奴は篦棒だってんだ。診てあげるがね、騒々しい所はいけないから、極、静かな離れがいいな。聞いておきますが離れから往来の方に出られるかい。机の上に算盤をおいて、お盛り物をおいて。大きい御結びがいい、梅干しでも入れてね。三つばかり大きいやつを、竹の皮にのせて。それから、提灯に蝋燭をつけて。新しい草履を二足で、
妙なお盛り物を頼んだもんで。
今夜、八ツの鐘が打つと取ったものの年から名前までがピタと算盤へ出るから。それまで、だれも寄越したらいけませんよ。いいかい。
夜逃げの支度をしたんで。
いや、驚いたね。上方見物どころじゃないやね。神奈川から逃げ出すんだ。どうも、案外だことになっちゃった。夜道は腹が減ると風邪をひくてぇから。大きなおむすびを持ってきやがったなぁこりゃ。ま、むすびもあるし。草履も履き替えてある。はやくからでかけて、捕まちゃ大変だから、夜が更けてから出かけよう、てんで。

そのうち三澤檀林で打ち出した八ツの鐘がゴーン。はてな?いまのは八ツかな?
よし、そろそろ支度に取りかかろうと。一足の草鞋に緒を通していると、廊下でミシリ、ミシリ。
おや、なんか来やがったよ。だぁれも寄越さねぇようにしろっていってたのに、なんだろう。今時分来るんだから幽霊かな? 幽霊は足が無いていうが足音がする。近頃の幽霊はあんまり信用できない。幽霊と塩辛はおれは大嫌いでぇ。
後ろに小掻巻があるから、これを頭から被って、後ろ向きで固っている。
後ろの障子がやがてスーと開いて。
もし、江戸から御座った大先生、江戸の大先生。
なんだ、女の声だ、おらが振り向くとモモンガーとか何かいって食らいつくてんで。こうしていてもなんだから、見るは法楽ていう。
どんなものが来たのかしらんと、怖ごわながら、そうーと頭を廻してみる。年の頃なら十七八でございますが、洗い晒しの薩摩紺の寝間着を着、色青ざめた女が、
もし、もし、先生〜〜
そばに寄るな。畜生め。なんだてめぇは、魔性のものか、化性のものか。
驚きになってはいきません。わたしはこの女中で御座います。
なんでこんなとこに来たんだ。
わたくしは、神奈川在、河合村で百姓与左衛門の娘で御座います。六年前から御奉公いたしております。今年の秋の取り入れが済んでから、お父っつぁんがどっと病の床につきまして、お薬を飲ましてやりたくも水飲み百姓で、お金がございませんから、お給金の前借りをご主人様へ御願いいたしましたが、聞き入れてくださいません。そんなら看病に行きたいから、御暇を頂きたいと願いましても人手が少ないから暇をやる訳にもいかない。お修もつ身は、こんな辛いもんかと思いまして。
悪い事とは知りながら、お巾着を盗りましたのは私で御座います。ご主人さまへ嫌疑が懸かり家に封印が付くという、とんでもねぇことになって。身を投げて死のうか、首でも括ろうかと思いましたが、お父っつぁんのことが気に懸かって、死に遅れております。今晩お泊まりの先生の算盤へ八ツの鐘が打つと盗ったものの歳までが出るという話。今打ちましたのが八ツの鐘で、わしがお巾着を盗んだことは、もう先生の算盤に出ておりましょうか。
むーーー、ちゃんと出て居る。
お前が盗った。で、どうした。親父の方にやったのか?
盗りましても、どうすることも出来ませんで。去年、お稲荷様のお宮が嵐で潰れまして、その床板の積み重ねてある間へ挟んでおきましたが、只今持ってまいります。
いや、持ってこなくていい。嵐のあったのを憶えている? 日を。去年の八月二十五日、間違ちゃいないだろうな。大丈夫か、確かか。よし。で、その時母屋はどうした。なんともなかった。お稲荷様の御宮が潰れて、床板が積み重ねてある間に、何枚目?、五枚目に。よし、判った。お前は助けてやる。心配しなくていい。人目にかかるから、いいかい、めっからない内に早くはやく。
ありがたい。善六さん万歳だね。こうと知れてりゃ、この盛り物に草履なんぞよしゃよかったよ。食えねーよ、こんなものは。
ま、すぐに、新羽屋源兵衛の女房、心配で御座いますから、鴻池の支配人とともに。
先生どないなことになり、
いぇええ、八ツの鐘が打ちましたが、私がちゃんと拝んでおきました。これから算盤へピタッと出すからね。不思議ですよ、私の算盤は。チュチュチュパチパチと。ははーんこの家には祟っているものがある。いや、これは、神様が祟っている。確かに神様だな。なに、神様に、2をかけてパチパチ、ニナリサマが祟っている。ニナリサマてぇとおかしいが、稲を荷うと書いてイナリと読む。なんでも去年八月二十五日に嵐があって、稲荷の宮が潰れて、母屋が何もなっかた。
おっしゃるとうりで、
本来、母屋が潰れるところを、御稲荷様の御宮が身代わりになって下さったもの。その後、お宮はどうしたんだ? その儘になっている。それはいけないよ。稲荷が今日、雨露を凌ぐところが無いというので怒っているよ。コンコンと怒っちゃった。お巾着をお隠しになったのは、これは、お稲荷様。いや、どこにも行きゃしません。イナリとなっていますから、どこにも行きゃしません。はてな、どこに入っているか?どうも床板らしな。床板の チェ 五珠を撥ねて、そう五枚目だ。行って探して御覧。
手燭をつけて探してみるといわれた通り五枚目に密書の入ったお巾着が。
マー先生、巾着が御座いました。
こらはどうも、先生、あんたの易は偉いもんで。
いや、それほどでもと鼻を伸ばして。
どうぞ、主、源兵衛が戻りますまで、御逗留を。
そうしてもおれない、大坂を急ぎますから、帰り掛けにゆっくりお立ち寄りを願うから。
有難う存じます。改めて御禮申し上げますから。これは僅の道中の鼻紙代と包んでだした金を開けてみると三十両ある。
オーこんなに。洟を咬んじまったら鼻が無くなっちまう。いや有難う。ま、兎に角、頂いておきましょう。
翌日になると、親孝行な娘が御給仕に出てまいりまして。
姐さん。いま誰もいない。こっちへおいで。ここにね、お金が五両ある。これをお前に。いやいや遠慮しちゃいけませんよ。はやく終っておきな。それを上げるから。お父っつあんに薬を飲ませておやり。え、お前は親孝行だから。孝行をする、洵に美しい。が、しかし、履き違えちゃいけないよ。如何に親の為とはいいながら、他人のものを盗んでいいということはない。あたしは何も判らないが、渇しても盗泉の水を飲まずという昔からの譬えがある。どんなに困っても他人のものに手を付けるのは、こりゃいけないことで、盗心をだしちゃいけませんよ。いまトウシン(灯心)なんど出したって電器とガスがあるんだから。これからね悪い心を出さず、お父っつあんに孝行をしておやんなさい。いいかい。
先生、この御恩は生涯忘れません。ありがとう御座いました。
五両の金を恵んでやったのは、こりゃ慈善で御座います。これから大坂へ行って支配人がこの話をする。真正に二度まで中っているという。
さぁ向こうも信用して家中で善六さんを先生、先生、という。下にも於かない屋根にあげときゃ日向にあたって焼けちまうから二階座敷で、至れり尽くせりの持てなしで、こうなりゃしょうがない。三度目の打ち止めというので頭からザーザー水を浴びて善六さん、行をはじめて。

ポンポン手を叩き何卒、江戸におりまする女房、子が息災でおりますように。酷いもんで身内から拝んで。ならびに当家、娘が病気全快いたしますように。
一心に拝んで断食をいたし、丁度二十一日目。
弱ったなー。こんなことしたって判りゃしねぇ。腹が減るばかりだ。いやどうもこの家にも色々入費をかけて気の毒だが。いよいよ無常の風は時を嫌わずか何かで御免蒙るかしら。
疲れているから何時とはなしにウトウトと仕始める。グーグー
枕元で、善六、善六。
はて、この家でおれを善六と呼ぶのは誰だろうと、ひょいと目を開けてみると立って居りますのは年の頃、一百余歳になろうかという白髪を垂れ、品のいい翁が立って居ります。
終ぞ、お見かけいたしたことのない御方様で、何方でいらしゃいます?
吾は、東海道神奈川宿新羽屋源兵衛が地守、正一位、稲荷にある。
へへへぇ、御稲荷様で。御輜重にあづかりまして、おそれいります。
その方、砕身にして孝心なる娘を助けその盗賊の罪を稲荷に塗りつけし頓才、驚きいったるぞ。
どうにも、もって行きようが無くなりましたンで。御稲荷さまの祟りなどと、いい加減の嘘をつきまして、どうぞ一つ御勘弁を願いまして。
いや、さに非ず。新羽屋の稲荷は家に祟りを成し、霊験あらたかなりとて、その方、出立の後、参詣人群集をなし、宮、造営に相ならん。その上に正一位の贈り物を賜り、官位昇進成し、文化勲章も賜った。
洵に結構なことで御座います。
依って稲荷その方に、なにがな禮をと存知おるが。当家、娘、全快を祈るが、其方が、如何ほど苦慮なすとも、人間には相判らん。依って稲荷、通力を以って、その病気根元を知らしめんによって、よっっっく承れ。
その昔、聖徳太子、守屋の大臣と仏法を争いし時、当地は難波、堀江と申す。一面の入り江である。湖である。そが中に守屋の大臣、数多の仏体を打ち込こんだるが、埋まり埋まって大坂という大都会に相なった。依って大坂の土中には諸所に仏像金像が埋もれ居る。完った、信濃の国善光寺如来、阿弥陀が池より出現なすという放光閣の古跡も残り居る。当家は大家である。乾隅の柱、四十二本目を三尺五寸掘り下げみよ。一尺二寸の観音の物体が現れん。これを崇めよ。娘の病気立ちどころに全快なし。完った、当家は万代不易に相なるぞ。
夢だにこれ疑ごう事なかれ。
へい、有難う御座います。どうも、有難う存知まして。わざわざ遠方よりお出でくださいまして。帰りはどうぞ新幹線でお帰りのほどをーーーーーーー。
おや、誰もいない。今のは夢か。どうせ、こっちも腹も減って動けねんだから、
手を叩きますと鴻池善右衛門はじめ親戚一同のもの、そこへずらっと居並び
当家は大家である。乾隅の柱、四十二本目を三尺五寸掘り下げみよ。一尺二寸の観音の物 先生、偉い、お骨折で御座いますが、娘の病気はどないなことでっしゃろ。
一同よっっく承れと。その昔、聖徳太子、守屋の大臣と仏法を争いし時、当地、難波は堀江ともうす入り江である。湖である。その中に守屋の大臣、数多の仏体を打ち込こんだるが、埋まり埋まって大坂という大都会にあいなった。大坂の土中には諸所に仏像金像が埋もれ居る。体が現れる。これを崇めよ。娘の病気立ちどころに全快なし。完った、当家は万代不易に相なるぞ。夢だにこれ疑ごう事なかれ。ああ腹減った。
二十一日、食べないんですから。
雑炊かなにかを。
雑炊なんザいやだよ。コールチキンでウィスキーか何かを。
江戸で申しますと仕事師の頭、むこうでは手伝いの肝煎りと申します。磁石で調べるとすぐに判りました。四十二本目の柱、網代に組んでおいて、およそ四尺も堀り下げてくる。ガッチリと当たったものがある。掘り出してみると、一尺二寸の観世音がでましたのが二月十七日暁の頃という。御命日でもあり、この仏像のでる奇瑞は娘の病気全快、疑いなしというので、米藏を開いて大坂三郷の貧民に施す。この慈善の徳か、娘の神経病が一枚紙を剥がした様に全快という。ああ、もう鴻池の喜びは一方では御座いませんで。
御禮には先生の御好みのものを何でも差し上げたいと思いますが、どうぞ腹蔵なくおっしゃっていただきたい。
それならば私も、馬喰町で旅籠屋をしてみたいとおもうが、どうでしょう。
畏まりました。
これから直ぐに金をだして立派な宿屋を一軒建ててくれる。いままでの奉公人が一夜にして一軒の主になれまして。
今までとは生活がケタ違いによくなったという。もちろん、これは桁違いになる訳で。
算盤占いで御座いますから。

めでた、めでたの、若松さまよ。枝もさかえて葉も茂る。おめでたや、さーささっさ。

おみき徳利は昭和48年3月に皇后さまの古希の祝いに、御前口演の演目にえらばれた噺で、五代目馬生から教っている。小さん系の噺では善六が八百屋になっており、神奈川宿で噺は終まい。こんなに洟をかんだら鼻がすりきれちまうがサゲとなっていて、短く、地守、正一位の稲荷は登場しない。また、文楽のものもあるが、こちらの方もあまりおもしろくない。
圓生は高座で御神酒徳利は数多くとりあげており、時間の関係で内容を、その度に変えている。内容に創意工夫がみられ、勉強家で努力の人、圓生の面目躍如たるところの咄です。
十二月十三日は煤取りの日で、煤取りに使う笹をもって、赤穂浪士の大高源吾が両国橋で俳人宝井其角に出会い、密かに明日の討ち入り決行を伝える。そのとき詠んだのが、
年の瀬や、水のながれと人の身は
明日またるる その宝船。
で、これを出囃子に選び、
めでた、めでたの若松様よ、の煤取りの掛け声を送り囃子に採っている。
今の人は殆ど知らないでしょうが、トニー谷を連想する算盤での占いで、桁違いをサゲとしている。
善六と女将の掛け合いで、熊谷と敦盛は、源平の合戦一の谷で、熊谷直実が平敦盛の首を獲った話のことで、歌舞伎、陣門・組打で、熊谷が花道で、敦盛にオーイ、オーイと軍扇で呼び返す場面を咄に入れている。
神記の聖徳太子、守屋の大臣と仏法を争いし時というのは、日本書紀にでてくる、第29代欽明天皇の仏像崇拝を疫病の祟りとみて中臣鎌子らが抛ち込ませた話しで、日本に於ける、仏教の取り扱いについての一種の宗教戦争でありました。
頼山陽の日本楽府の漢詩第四?、四天王には、此の仏教のことで、物部守屋と戦さになったとき、聖徳太子が、白膠木で護り像として四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)の像を造り、頭にいただき、これで守屋の矢をかわし、戦に勝利した。そして記念に、大坂の四天王寺をたて、寺には金、銀、瑠璃、玻璃、珊瑚、瑪瑙、??の七宝が鏤められたと詩っている。
また、この後、埋められた仏像を、信濃の人、本田善光が掘り起こし、信濃に持ち帰り、善光寺を建てたという縁起物語の咄しを使っている。このように古典落語は内容が頗る、広く、深い。
噺ことばを活字にかえることは大変で、文字を探すのも一苦労でした。たとえば蔀は圓生の喋りでは、何度聞き直しても”ひとみ”に聞こえる。3ヶ月後に、彼は江戸っ子で”ひ”と”し”が正確に喋れないことに、フト気がついた。
これで、”ひとみ”ではなく”しとみ”だと確信でき、蔀という字が当てられたというわけで、悪戦苦闘の文章化でした。しかし、可能な限り、喋りに忠実に文章化した積もりですが、誤字が多いかもしれません。ご容赦下さい。
題にした三昧は、佛教言葉で精神統一のことで、其の深さは情界の高さによる。即ち、精神統一には極限はないのである。
古典落語は、もう再演されることはない。実に淋しいですが、それでも、遺された資料で楽しみたいと思います。今後も、古典落語ファンが増えることを願っています。