CDは昭和57年に開発された。爾来、平成16年で、既に22年にもなります。日頃、クラシック音楽以外は殆ど聞きません。其れでも適に、南沙織の『色づく街』や、研ナオコの『時代』、高田みづえの『秋冬』、ナット・キング・コールのTOO YOUNG、ドリス・デイのSENTIMENTAL JOURNEY、ジュリー・ロンドンのCRY ME A RIVER などのCDを、棚から取り出して聴くことが有ります。
 この時は朝からでも反射的にウィスキー片手に一杯飲りたい気分になる。不思議ですねぇ。

 22年間に買い込んだCDの枚数を数えたことはありません。しかし、1萬枚を遙かに越えているかもしれない。指揮者別、作曲者別に分類していましたが、茲まで膨大な量になると殆ど整理不可能状態で、ダンボール函に入った侭になっています。ですが、今回は、この中から、何回もリピートで聞き込んでいるCDを4枚、紹介します。
 今頃に成って、何故CDなのか?SP、LPレコードの崇拝者とは思えぬと、アナログファンから罵倒されそうですが、実はCDの音を、極度にLPのアナログ音に近づけることに成功したからです。

 その遣り方は専ら単純で、CDの反射面に光りを当てるのみです。NESPA#1というCDの反射面にストロボのように100万ルックスの光を2分間、パッパと当てる器械が、今年、2004年の9月に、神田在のナノテック・システムズ社から開発、発売された。
 OPTICAL DISC FINALIZERといって光エネルギーでCD反射面をトリートメントすることにより、音がクリアーになり非常に聴き易くなるという、nest-ce pas、フランス語で“ね、そうでしょう”の意味でNESPAという名称が附けられた、小さな黒い箱です。
 光を当てるだけで音が良くなる?そんな馬鹿な! そうなんです。変てこな、奇想、奇天烈な器械なのです。ですが、これが効果覿面。

 此の会社が宣伝している様に、CDの高音のカリカリ、キンキンとした金属音、低音のモコモコと呻る様なCD臭さが全く無くなります。
 是で、スッキリし、LPのアナログ再生音に約90%まで近づきました。特にモノラル録音では効果抜群です。音の奥行きや、楽器間の空間が判りますし、モノラルでも音の立体感が出てきます。
 今迄は、どのCDでもLPでの再生音に比べると70%程度しか再生されていませんでした。
 こうして、CDでの愛聴盤の報告が漸く出来る様になったという訳です。
 今回、紹介するのは僅かに4枚だけで、山ほど遺っておりますが、最近の演奏録音で、是といった推奨盤は殆どありません。

 1962年から1982年までのアナログ・ステレオ録音のもので、何れも二度と同じ演奏は出来ないだろうという、一期一会の奇跡的秀演を録音したもので、
1)テノールのベルゴンティとバリトンのフィッシャ=ディースカウの二重唱、
2)フリッツ・ライナーの"ウィーン気質"、
3)ベルガンサのモーツァルトの"どうして、あなたが忘れられようか"、
4)ケンペの"金と銀"の4点です。
 それでは、早速、是等のCDを紹介いたしましょう。

 まずオペラの男性の二重唱から
題目は
 Beruhmte Duette・Famous Duets
  CARLO BERGONZI
  DIETRICH FICHER-DIESKAU
 CD番号は ORFEO 36CD1002
 魅惑のオペラ二重唱;テノール、カルロ・ベルゴンティとバリトン、ディートリヒ・フィッシャ=ディースカウの20世紀屈指のオペラ男性歌手による二重唱集です。

 コボスの指揮、バイエルン放送交響楽団の伴奏。1982年7月7日から三日間、バイエルン放送局第一スタジオで集録aufgenommenされたCDです。
 テノールのベルゴンティを知っている年代はどの辺りまでなのでしょうか。1976年、昭和51年のイタリアオペラ来日の際、仮面舞踏会のリッカルドを唱ったのを聴かれた記憶のある人は、今、屹度50歳。ベルゴンティをご存知なのは、これ以上の年齢の人達でしょうね。
 彼はパルマ近郊のポリゼネで1924年7月13日に生まれた。この録音時は58歳で、オペラの前線を退いていました。ベルゴンティの声色、唱法はスゼーほど繊細優美ではありませし、デル・モナコほど雄渾豪快ではありません。人の声色の特徴を、文字で的確に現すのは至難ですが、オペラ歌手評論家 John Steneはstrength, beauty, intensity and radiance、 強く、美しく、厳格で、光輝であると論述しています。

 ディートリヒ・フィッシャ=ディースカウはシューベルトの『冬の旅』などで佳くご存じでしょうが、一寸、鼻に掛かった声は、副鼻腔炎か蓄膿症を患っているような響きで、私自身は剰り好きではありませんが、しかし、リードの表現の旨さには舌を巻きます。1925年、ベルリンで生まれ、第二次世界大戦でイタリアで抑留生活をしていたが、奇跡的に生還。
 オペラとしてはフリッチャイの指揮した「ドン・カルロ」のポーザ侯爵ロドリーゴ役で1948年11月18日にデビューしており、ベルゴンティと同期です。その後フルトヴェングラーにみいだされ、ドイツ・リード歌手として大成した。
 この二人が前線引退後、自分たちが日頃考えている、是ぞ、オペラの唱法という手本を示した男性二重唱曲集です。

 録音内容は

1)ヴェルディの『運命の力;La forza del destino』の第3幕、
  第1場。アルヴァーロとドン・カルロの二重唱、「最後の頼みだ」。"Solenne in quest'ora"
2)ヴェルディの『運命の力;La forza del destino』の第4幕、第1場、
  アルヴァーロとドン・カルロの二重唱、「アルヴァーロよ、隠れようとしても無駄だ」。"Invano Alvaro"
3)ポンキエルリPochielliの『ジョコンダ;La Gioconda』、第1幕から、エンツォとパルナバの二重唱、「サンタ・フィオール公エンツォ・グリマルド」。
  "Enzo Grimaldo、Principe di Santafior"
4)ヴェルディの『オテロ;Otello』第2幕から、オテロとヤ−ゴの二重唱、「神にかけて誓う」。"Talor vedeste in mano"
5)ヴェルディの『シチリア島の夕べの祈り;I Vespri Siciliani』の第3幕から、「夢かまことか、お前の向こう見ずな誤りに」。"Sogno,o son desto"
6)ビゼーBizetの『真珠採り;Les Pecheurs de perles』の第1幕、ナディールとズルガの二重唱から、「神殿の奥深く」。 "Au fond du temple saint"
7)プッチーニPucciniの『ラ・ボエーム;La Boheme』、第4幕、ロドルフォとマルチェッロの二重唱、「もう帰らないミミ」。"Che penna infame"
8)ヴェルディの『ドン・カルロ;Don Carlos 』 の第2幕から、ドン・カルロとロドリーゴの二重唱、「われらの胸に友情を」。"E lui! L' Infante!"

 此の録音はLPでも発売されて、その後、1年経ったところでCD化されました。表紙は変更されていませんでしたが、音はLPの方が良好で、針を降ろした瞬間にベルゴンティの硬めの声色が、なんと魅力的なことか。最後のドン・カルロとロドリーゴの畳み掛けるような二重唱にいつも興奮しておりました。
 この20年間CDでは時折聴いてはいましたが、どうもスッキリしないので最後のドン・カルロまで聴くことはなかった。もう、諦めていたCD。
 しかし、今度のネスパで光りを当てたものを再生すると、大脳前頭葉を突然、神光に照らされたかのように、拝受した場所から大脳全体へ輝きが拡がり、みるみる、爽やかな気分になる。見違える、いや聞き違えたかのような、アンプもスピーカーもグレードアップしたかのような音質に変化します。
 LPでの感動が22年ぶりに再燃してきました。音質の変容がハッキリと判ります。安価なポータブルのCD再生機でも変化は判ります。
 と謂う訳で、往年の名歌手によるオペラ抜粋のCDも十分楽しめるようになりました。

 各オペラについて簡単に自注を加えておきましょう。
以下 (S) ソプラノ
  (Ms) メゾソプラノ
   (A) アルト
   (T) テノール
  (Br) バリトン
  (Bs) ベース

『運命の力』
 ジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Verdi,1813-1901;文化10年ー明治34年)、49歳の作品で、オペラ作曲(ロチェステルを含みファルスタッフまで全29曲)の25番目のものでロシア、レニグラード、エカテリーナ帝室オペラ劇場からの依頼曲で、1862年11日10日(文久2年)が初演。
 内容は戦争と平和、愛と憎悪、人間の過酷な運命を描いた4幕からなるオペラです。
 原作はスペイン首相で文人政治家のアンヘル・デ・サアヴェドラの小説を元としている。

時と所;18世紀中頃のスペインとイタリア。
あらすじ
 若い王家の息子、24歳のアルヴァーロ(T)とカラトラーヴァ侯爵の娘レオノーラ(S)が恋仲になるが、侯爵は許そうとはしない。駆け落ちの場面に侯爵が出会すが、アルヴァーロは脅しの積もりでピストルを放り投げた。これが暴発し侯爵に命中、死亡。レオノーラと伴に逃走するアルヴァーロ。
 数年のち、イタリアとドイツが戦争になりアルヴァーロは士官として戦場に赴く。ここで戦友となったのがレオノーラの兄ドン・カルロ(Br)。負傷したアルヴァーロにカルロは手厚い看護を行う。アルヴァーロとドン・カルロの二重唱、「最後の頼みだ」を唱う。死を覚悟したアルヴァーロは遺言に鍵と小箱をカルロに手渡すが、小箱にレオノーラの肖像画があることと、アルヴァーロがカラトラーヴァ家の言葉にビックリした表情から、カルロはこの戦友が父の敵と悟る。アルヴァーロは傷も癒え元気を取り戻す。

 5年後、兄カルロはラファエルと名を変え修道士になり、妹レオノーラを探し、レオノーラはアルヴァーロを探していた。スペインの修道院の中庭で、三人は出会う。カルロはレオノーラと父の敵をとるためアルヴァーロに決闘を迫る。アルヴァーロとドン・カルロの二重唱、「アルヴァーロよ、隠れようとしても無駄だ」が歌われる。逆にアルヴァーロがカルロを倒すが、最後の渾身で妹レオノーラを兄カルロが短剣で刺し殺す。傷ついたアルヴァーロはすべてを失い、呆然と立ち竦むところで幕。
 全曲はシノーポリ盤で聴いています。序曲が有名で、E音で3発、金管とファゴットで運命のモチーフを2回、奏でることで始まる。この盤のアルヴァーロはカレーラスだが、ベルゴンティほど強く唱い切っていない。
 最終のレオノーラの息が途絶えるところはピアニッシモが10秒程、長く継続されるのが印象的。

『ジョコンダ』
 アミルカレ・ポンキエルリ(Amilcare Ponchielli;1834-1886)の作曲したオペラで、ポンキエルリの名前は知らない人でも"時の踊り"という曲は聞いたことがあると思います。ジョコンダの第3幕で演奏されるバレエ音楽で、こちらの方が有名です。
 ポンキエルリは、ヴェルディとプッチーニの二大巨匠に挟まれた時代の人で、影が薄い存在になっていますが、"婚約者"、"リトアニアの人々"、"ジョコンダ"がオペラの代表作品です。台本はアリゴ・ボーイト作。

時と所;17世紀、イタリア、ヴェネツィア。
あらすじ
 バルナバ(Br)は宗教裁判所に勤務しているがジョコンダ(S)を自分のものにしたくなる。ジョコンダ自身は船乗りのエンツォ(T)が好き。付き合いを断られたバルナバはジョコンダの盲目の母親チエカがゴンドラ競漕で自分たちの団体が敗北した原因だとして、彼女を生け贄にしてしまえと叫ぶ。衆生は騒動をおこす。「サンタ・フィオール公」が唄われる。宗教裁判所長官アルヴィーゼの妻ラウラ(Ms)がこれを制止する。この救済に、チエカはお礼のロザリオをラウラに捧げる。
 実はラウラもエンツォ(T)が好き。二人で船着き場で密会している時にジョコンダがあらわれ、ジョコンダはラウラを刺し殺そうとする。しかし、母のロザリオをラウラが手にしていることから、ジョコンダはラウラが母の命の恩人であることがわかり、彼女を逃がす。エンツォは海に飛び込み逃げる。

 ラウラの夫、アルヴィーゼは妻が浮気し裏切った事で、自殺用の毒薬をラウラに飲むように指示。これを隠れてみていたジョコンダは毒薬のかわりに睡眠薬を飲むように指示。眠りに入ったラウラを見て、アルヴィーゼはラウラは死だものと思い込む。
 ジョコンダはエンツォを諦め自殺しようとする。エンツォが現れたところでラウラは目をさます。エンツォはラウラを連れて逃走する。残されたジョコンダは自殺する。バルナバはチエカを殺したと叫ぶがジョコンダが死んだことを知り、もう聞こえないと呟き、静かに幕。
 CDはシミオナートのラウラ、シエピのアルヴィーゼが良盤か。

『オテロ』
 ヴェルディの28番目のオペラ作品。シェークスピア(1564-1616)の四大悲劇
(リア王、マクベス、ハムレット)のなかの一つ、オセロのオペラ化。
 小説をオペラにする場合、セリフを全部歌にしてしまうと時間がかかって、聴衆はダレてしまう。この点でマクベスの完全オペラ化は失敗。
 これに工夫を凝したのが台本家のアリゴ・ボーイトで、自分も作曲家であったため、2つの点で工夫を施した。第一にアンサンブルで同時に違うセリフを唱わせる。第二に違うメロディを重ねる方法である。これを作曲できるのはオペラ界の長老ヴェルディしかいないと判断し、ボーイトは台本を尊敬するヴェルディに提供したのである。初演は1887年2月5日。ミラノ・スカラ座。公演は大成功で、ミラノの人々は興奮のあまり、深夜までお祭り騒ぎが続いたと伝えられている。
 ちなみに、日本では木下保らが1953年10月30日に日比谷公会堂で演奏会形式で初演している。
 筋書でのキーワードはハンカチfazzoletto。いまから考えると如何にも幼稚で単純。

 時と所;15世紀、キプロス島。
あらすじ
 トルコ軍を敗ったオテロ(T)は嵐の中を舟でキプロス島に帰還する。オテロを嫉む部下のイアーゴ(Br)は、オテロの妻デズデーモナ(S)に失恋した貴族のロデリーゴ(T)に悪策を授ける。更に、イアーゴは勝利の祝宴の時、副官カッシオ(T)を酔わせ、今度はロデリーゴを刺し殺すように仕向け、酔ったカッシオは暴れる。酒宴の騒ぎを聴いたオテロは、その場でカッシオを解任する。
 その後、カッシオは妻のデズデーモナに復職できるように、オテロに頼んで欲しいと交渉する。カッシオとデズデーモナが話している場面に、オテロが出会わし、イアーゴはカッシオとデズデーモナの二人が不貞をはたらいていると陰口をする。「神にかけて誓う」を唱う。
 オテロは嫉妬で頭痛がするといい、寝込んでしまう。デズデーモナはハンカチを差し出すが、これを侍女エミーリアが拾いあげ、イアーゴに渡す。が取り上げて後で利用する。
 イアーゴはカッシオが奥さんのハンカチを持っているとか、カッシオがデズデーモナ様に愛を呟いていたと嘘をオテロに告げる。オテロは怒り狂う。

 デズデーモナがカッシオの復職をオテロに実際に頼みにくると、オテロはお前のハンカチはだれが持っているかと責める。そこにカッシオがあらわれ、イアーゴが出てきてカッシオのポケットにハンカチがあったかのように見せかける。オテロはカッシオを復職させるが、妻の不貞行為は間違いないと勘違いし、オテロはデズデーモナの首を絞めて殺してしまう。
 カッシオはイアーゴにいわれたように、何の罪もないロデリーゴを殺す。侍女エミーリアはイアーゴのハンカチを使った悪策であることを、オテロにつげるが事はもう遅い。最後にDesdemonaの名を呼びオテロは自決。un bacio、最後に妻の死体にもう一度口づけをして、静かに逝く。

 多くのCDが出ているがやはり1961年に、DECCAの、ジョン・カルショー;John Culshaw(イギリス人;オーストラリア遠征での入国ワクチンで逆に劇症肝炎併発し55歳で急逝)がプロデュースした、カラヤン指揮、マリオ・デル・モナコのオテロが最高峰。
 強烈な落雷、嵐、暴風雨の効果音から始まり、スピーカーも破れんばかりの轟音。この演奏は劇場では不可能で、2カ所のスタジオにニューンベルグの指環でも用いた5メートルはありそうな縦長鉄板を持ち込んで、電話回線を使っての録音。
 "黄金のトランペット"と称されたモナコの声は、強靱でオテロ役は填役でした。

『シチリア島の夕べの祈り』
 ヴェルディ21番目のオペラで、"シチリアの晩鐘"ともいわれる。1856年パリ、オペラ座で初演。ウージェーヌ・スクリーブ、シャルル・デュヴェイリエの台本による。
 ローマ帝国1282年(弘安5年;鎌倉時代、蒙古襲来の次年)のシチリアの晩鐘事件が題材にされている。
 この事件は中世中期ドイツのホーエンシュタウフェン朝の時代に実際に起きた事件。フリードリヒ王の時代から長きに渡り、神聖ローマ帝国としてヨーロッパを制覇していたが、13世紀後期にイタリア遠征でコンラート4世は敗北、処刑され、これでシュタウフェン家が断絶した事件を題材にしている。オペラではシチリアとフランスの紛争になっている。

時と所;1282年のシチリア島。
あらすじ
 フランス軍とシチリア島民は紛争即発寸前の状態。王女エレナ(S)の兄はシチリア王として君臨していたがフランス軍に殺された。エレナも囚われの身であるが、公館から兄の弔いのために出てきた。フランス兵に絡まれ、歌を唱わされるが、彼女はシチリア人を鼓舞する。このため騒然となる。フランス総督モンフォール(Br)は騒ぎを収めるが、人々が散会したあと、シチリアの青年で、フランスへの謀反を企てるアリーゴ(T)があらわれ、モンフォール総督を責めたてる。アリ−ゴは以前からエレナを愛しているが身分が違うのでうち明けられない。
 エレナとアリーゴが教会で祈りを捧げていると、亡命していた独立運動家の志士プロチダ(Bs)が戻ってくる。二人に今こそシチリアを救う時であることを告げて去る。エレナはアリーゴに自分の兄の敵をとってくれるなら私はあなたのものと焚きつける。アリーゴに舞踏会に招待するといわれ、これを拒むが強引に連れていかれる。

 モンフォール総督の部屋に通される。そこでアリーゴはモンファール総督の実子であることを知らされる。そしてエレナとの結婚も許される。「夢かまことかお前の向こう見ずな誤りに」が唱われる。
 アリーゴとエレナの結婚式前にプロチダがあらわれ式場で、モンフォールが鐘の紐を引くとそれと同時にシチリア人が蜂起する手筈になっていることを告げる。式の鐘の音が町中にひびき渡り、シチリア人が教会に雪崩れ込み、フランス人を悉く殺害してしまう。
 実演されることは少ないオペラで、マリア・カラスのエレナはちょっと灰汁が強すぎるが、CDの中では最高峰か?

『真珠採り』
 ジョルジュ・ビゼー、Georges Bizetは1838年のパリうまれ。1875年36歳と短い生涯でした。オペラとしては『カルメン』、『真珠採り』、劇音楽の『アルルの女』などメロデックな曲をのこしている。クラシックが苦手なひとでも、カルメンやアルルの女はよくご存じでしょう。
 真珠採りはリリック劇場からの作曲依頼。台本はミシェル・カレとウジェーヌ・コルモンの作。

時と所;未開時代のセイロン島(今のスリランカ)。
あらすじ
 漁師の頭領を決める日から始まる。ズルガ(Br)が選ばれる。同僚のナディール(T)はズルガとともに昔、バラモンの尼僧レイラ(S)と恋敵になったことを思い出し、二重唱「神殿の奥深く」を唱う。そこに顔をヴェールで被覆した尼僧が舟で到着するが、ナディールは声でレイラと判る。ズルガはこの尼に部落を守るように、そして漁師の安全と豊魚を祈って欲しいと要望し、日夜、祈りと処女をまもり、成就すれば最高の真珠を与えるが、もし、失敗すれば死を与えると告げる。
 荒れ果てた寺院で高僧ヌラバット(Bs)とレイラは祈りを続けている。レイラが一人になっとところにナディールが現れる。人の気配がしたのでナディールは逃げるが、見つかり銃で脅され、ヌラバットにナディールは捕らえる。レイラとナディールが誓いを破った咎で、ズルガは二人に死刑をいいわたす。
 レイラはズルガにナディールを助けて欲しいと訴えるが、ズルガは自分もレイラが好きであることを告げる。しかし、死刑の合図は届く。
 二人は火刑に連行されるが、将に火あぶりが始まった時に、ズルガは部落が
火事になったといって、人々を部落に帰し、その後、ズルガは二人を放免する。
 フランス語のオペラはどうも、雰囲気が伝わってこない。

『ラ・ボエーム』
 ジャコモ・プッチーニGiacomo Pucciniは1858年ルッカ生まれ。妖精ヴィッリからトゥーランドットまで、12のオペラを作曲。1924年没。ミルジュの小説ボヘミアンたちの生活風景が元本で、ルイージ・イッリカとジュゼッペの作。ジャコーザの台本による。
 初演1895年2月1日トリノでトスカニーニの指揮でおこなわれた。

時と所;1830年頃のパリ。
あらすじ
 パリの薄汚れた屋根裏部屋。詩人のロドルフォ(T)、画家のマルチェッロ(Br)、哲学者のコッリーネ(Bs)、音楽家のショナール(Bs)四人で家主ブノアから借りているが、三ヶ月の家賃が滞っている。皆、金を工面するため出かけなければならない。詩人ロドルフォは暖をとるために薪がないので自分の原稿をストーブに焼べている。そこへ家主が家賃の催促にやってくる。これをなんとか酔っぱらせて追い返す。ロドルフォのみが部屋に残る。こんどは下の住人ミミが火を借りにくる。ミミは気分が悪くなり、倒れてしまう。鍵を落とし闇の中で探す、ロドルフォはミミの手にふれ「冷たい手を」をうたう。ミミは針子で本名はルチアですと「私の名はミミ」をうたう。ロドルフォはミミに恋い心を抱く。
 今日はクリスマス・イブ。カルティエ・ラタンのカフェは賑わっている。ロドルフォはミミにバネット(顎下にリボン結びする帽子)を買ってプレゼントする。グラーマーなムゼッタが老人とあらわれる。マルチェッロは別れた恋人ムゼッタを無視する。しかし、脚を痛がりマルチェッロの気を引こうとする。老人は靴を買いに行く。その間にマルチェッロはムゼッタを抱擁し、勘定を老人におしつけて皆は引き上げる。
 ロドルフォはミミと同棲生活。しかし、最近はうまくいかない。ミミは居酒屋でバイトしているマルチェッロに相談にいく。その後で、こんどはロドルフォがマルチェッロに相談にくる。ミミは木陰に隠れる。ミミは浮気しているから別れようとおもうと。しかし、本当は彼女は病気で自分には治してやる力がないのだと。ミミは咳こみ泣きだす。ミミは自分のほうからロドルフォのもとを離れることを決意する。

 4人の男寡婦暮らしに戻っていた。「もう帰らないミミ」を唱う。そこに突然、ムゼッタがミミを連れて帰ってくる。ミミの病態は急速に悪化し、ロドルフォと皆に見守られるなかで死にたいという。皆はイヤリングやコートを金に換え、薬と医者の手配に出かける。皆は帰ってきて、ミミの介護をするが静かに息をひきとる。ロドルフォは少し席を外していたので気付かない。振り返るロドルフォ。ショナールらの態度からミミが死んだことに気付く。ロドルフォが名を呼んでも返事はない。no....no.... Mimi、Mimi。ここで幕。
 中学校時代、これにハマりました。相当影響された。ミミのような人を捜そうと真剣に考えていたし、ロドルフォのような愛を語れる詩人を目指したこともある。CDにはよいものがない。イタリアオペラ来日公演が最上で、私が最も尊敬し、大好きだった、セスト・ブルスカンティーニ(1919-2003)のロドルフォ、フレーニのミミ、これ以上の演奏に廻り会っていない。このボエームが何時までも耳に残っている。忘れられない声、仕草。最後のカーテンを素早く降ろす、このタイミングが非常に効果的であったことを、今でも憶えている。

『ドン・カルロ』
 ヴェルディの26番目のオペラ。ドイツ、シラーの小説「ドン・カルロ」のオペラ化。
台本はジョゼフ・メリー。

時と所;1560年頃のフランスとスペイン。
あらすじ
 パリの南、フォンテンブロー宮殿でフランスとスペインの講和条約締結が予定されており、同時にフランス王女エリザベッタ(S)の婚儀が決定する日である。エリザベッタは森で狩りにでていたところを、スペインの皇太子ドン・カルロ(T)が木陰から自分の婚約者である美しい彼女を隠れ見する。夜になり、王女が道に迷っていたところでカルロは出会い、婚約者の皇太子であることを伝え、贈り物の肖像画を渡す。しかし、そのとき祝砲が聞こえ小姓がこの王女はカルロの父フィリッポ2世の王妃に決定されたと報告する。カルロ皇太子の愛する婚約者が母親になってしまったのである。
 カルロはマドリードにあるサン・ジュスト修道院の祖父カルロ5世の墓参りに行き義母を愛してしまったことを報告する。親友のポーザ侯爵ロドリーゴ(Br)にも打ち明ける。ロドリーゴは今そのようなことに悩んでいる時ではない。新教徒の暴動を鎮める大事な時で、このフランドル地方を新教から守らなければいけない。さらに国王を暗殺する計画があると、「われらの胸に友情を」を唱う。これを盗み聞きしていたエボリ公女がフランドル宗教裁判長にカルロとロドリーゴが国王に謀反を起こすようだと密告する。裁判長と国王は二人を死刑にすることを決定するが、死刑執行のときカルロとロドリーゴが剣で暴れその場を切り抜ける。

 エボリが国王に、カルロがエリザベッタを愛していることを密告する。
 国王はカルロを投獄する。これをロドリーゴが救いにあらわれるが、そこで銃殺される。
 エリザベッタとカルロがサン・ジュスト修道院で落ち合ったところで二人は逮捕される。裁判所長と国王は二人を処刑しようとするが、その時、カルロ5世の墓から出てきた亡霊がカルロを呑み込み連れ去ってしまう。ここで幕。
 今回、公表したオペラの中でもっとも劇的で、その曲も壮大。カラヤン盤で聴いているが、これもカレーラスで役不足。
 そして、今回のオペラの粗筋で判るとおもいますが、誰かに恋し、裏切られ、殺して、自殺しての話しばかりで、どれがどのような筋なのか、似通っていて、憶え辛い。ま、ボエームぐらいかな。その点で、歌舞伎のほうが筋はよく作られている。

 WIENNA
  FRITZ REINER
  CHICAGO SYMPHONY ORCHESTRA
 CD番号はRCAレコードのLIVING STEREOのシリーズでBMG BVCC37145

収められている曲は
『朝刊』Morgenblatter;Johann StraussU Op 279。
『皇帝円舞曲』 Kaiserwalzer;Johann StraussUOp 437。
『美しき青きドナウ』An der schonen blauen Donau;Johann StraussU Op314。
『舞踏への勧誘』Aufforderung zum Tanz ;Weber Op 65。
『オーストラリアの村つば』Dorfschwalben aus Osterreich;Josef Strauss Op.164。
『バラの騎士』Richard Straussライナー編。
『ウィーン気質』Wiener Blut;Johann StraussUOp354。
『南国のバラ』Rosen aus dem Suden;Johann StraussUOp388。
『宝のワルツ』Schatzwaizer;Johann StraussUOp418。
『雷鳴と電光』Unter Donner und BlitzJohann;Johann StraussUOp 324。

 フリッツ・ライナーは1888年ハンガリーのブタペスト生まれ。ドレスデン宮廷劇場で指揮者をしていたが、アメリカに1922年に渡り、サンフランシスコ、ピッツバーグなどの米国オケの指導を行っていた。1953年からロジンスキーの後をうけてシカゴ交響楽団の指揮をとり、RCAの名録音プロデューサー、リチャード・ムーアの協力で初期ステレオ録音リビング・ステレオに多くの名演を遺している。'62年に心筋梗塞で倒れ、翌年1963年肺炎で75歳にて死亡。
 後頭部に巨大な瘤があり、前?みの姿勢で、殆ど首が無いように見える。獅子のように眼光鋭く、笑みを湛えたことがない。ライナーが和やかにしているフォトは視たことはありません。
 指揮指導も極めて厳格で、映像で残っているベートーヴェンの交響曲7番を観ても、殆ど指揮棒は動かしません。眼光で指示、アインザッツを示していました。こんなに小さい動きで魅惑的に小品を、かくも見事に演奏させてみせるのですから、魔術といっても過言ではありません。
 彼のカール・ベームもドレスデン時代に、リヒアルト・シュトラウスの作品の演奏法をライナーに教っていたことは有名。
 次の話しも有名ですが、各オペラ歌手にクリスマス・プレゼントで友達に贈るとしたら、どのレコードを選びますかとの問いに、ソプラノ歌手のシュワルツコップは数多いレコードから、このレコードを推奨している。ウィーン・フィルの演奏したワルツではなく、米国の、それもシカゴのウィンナである。理由はライナーの指揮がすてきで、ウィーンよりウィーンらしいから。

 此の事を知ってからは、LPで何度も何度も聴いては悦に入っていました。特に『ウィーン気質』が素晴らしい。ポルタメントが効いて、洵に粋。
この『ウィーン気質』Wiener Blut Op354 は1960年4月26日の録音で、ライナー絶好調、会心の出来ではないでしょうか。ウィーンの陽気な気質がよくあらわれた超名演です。
 今回の光トリートメントで、CDでも60年代の感動が蘇って、またまた感動興奮している次第です。
 しかし、その後1989年、1992年に登場した、カルロス・クライバーのウィーンのニューイヤーコンサートのウィンナをアンケートの対象に入れていれば、シュアルツコップの回答も違ったものになっていたでしょうに。
 というのは、カルロス・クライバーのニューイヤーコンサートのDVDに光トリートメントを施すと、ウィーンの弦楽器が絹のように柔らかく、清らかな音に変わり、ウィーン・フィルの演奏がクライバーの指示どうりであったことが今になって、漸っと理解できたからです。
 そのカルロスは惜しくも2004年7月13日に、東スロヴェニアのコンシチャ(先に亡くなったばかりの妻の郷里)で亡くなってしまいました。死因は不明。

   TERESA BERGAZA SINGS MOZART
   ベルガンサ・シングス・モーツァルト
   LONDON キングレコード KICC2151
   テレサ・ベルガンサ(メッゾソプラノ)
   ジョン・プリッチャード指揮
   ロンドン交響楽団
   ピアノ;ジョフリー・パーソンズ

 モーツァルトのオペラは古典中の古典ですが、この演奏が実に難しい。非常にシンプルに作曲されているので、効果音などはありません。1962年12月キングズウェイホールでの録音。
1)モーツァルト、オペラ『フィガロの結婚;Le nozze di figaro』K492、第1幕から「自分で自分がわからない」" Non so piu"
2)モーツァルト、オペラ『フィガロの結婚;Le nozze di figaro』K492、第2幕から「恋とはどんなものかしら」" Voi, che saptete"
3)モーツァルト、オペラ『皇帝ティトゥスの慈悲;la clemenza di Tito』K621、第1幕から「わたしは行くが、君は平和に」"Parto,parto"
4)モーツァルト、コンサート・アリア、K505 「どうしてあなたを忘れられよう」"Ch'io mi scordi di te"
5)モーツァルト、オペラ『コシ・ファン・トゥッテ;Cosi fan tutte』K588、第1幕から「岩のように動かずに」"Temerari come scoglio"
6)モーツァルト、オペラ『コシ・ファン・トゥッテ;Cosi fan tutte』K588、第2幕から「恋いはくせもの」"E amore un ladroncello"
7)モーツァルト、オペラ『コシ・ファン・トゥッテ;Cosi fan tutte』K588、第3幕から「恋人よ、許してください」" Ei parete、Per pieta "

 テレサ・ベルガンサはスペインのマドリードの生まれ。女性の場合、生年月日は非公開となっていますが、内緒で、1935年生まれ。メゾソプラノ。この中の4番目にはいっているのはコンサート用のアリアで、伴奏がオケとピアノという贅沢なもの。
 とくに途中から少し戸惑い気味に、静かに、パーソンズのピアノが入るところが絶妙。そしてベルガンサの、恐れないで、Non temerの入り方が絶品。
 LPでは何度も聞いていた愛聴盤でしたが、CDになってからは、その雰囲気が無く、さらっと終ってしまうので、つまらない。聞く機会が激減しておりました。
 このCDも光トリートメントでアナログ音に蘇生しました。

 ルドルフ・ケンぺのレハールの『金と銀』を紹介します。
 テスタメントから発売されたケンペ特集12枚組みの7枚目の9曲目。
 TESTAMENT  BT121281/12
 録音内容は以下の如くで最後の西暦は録音年代で、すべてオケはウィーン・フィルです。
『ラデツキー行進曲』Radetzky Marsch ;Johann StraussTOp228。1958.
『こうもり』序曲 Die Fledermaus Ouverture;Johann StraussU Op388。1958.
『皇帝円舞曲』Kaiserwalzer;Johann StraussUOp 437。1961.
『千一夜物語』間奏曲 Ein Tausend und eine Nacht;Johann StraussUOp346 。1961.
『ウィーンの森の物語』Geshichten aus dem WienewaldJohann;Johann StraussU Op325。1961.
『クラップフェンの森で』Im Krapfenwaldl;Johann StrausU Op336。1961.
『常動曲』Dynamiden;Josef Strauss Op173。 1961.
『天体の音楽』Sphrenklange;Josef Strauss Op235。1958.
『金と銀』Gold und Silber;Franz Lehar Op79。1958.
『オペラ舞踏会』Der Opernball Richard Heuberger。1958.

 ケンペは1910年6月14日、ドレスデン近郊のニーダーポイリッツに生まれ、1976年5月11日66歳の若さで肝癌で死亡。
 ケンペがドイツの最低の指揮者で、ろくな演奏がなく、朴念仁などと、ベルリン・フィルやウィーン・フィルをダメにした張本人のようにいう音楽評論家がいましたが、とんでも無い。戦後ドイツのオーケストラの統率には欠かせない指揮者で、超名演を多数のこしている大指揮者です。
 ドレスデン・シュタツカペレに高校生の時に練習生で入り、その後ゲヴァントハウス・オケのオーボエ首席奏者に抜擢されている。
 フルトヴェングラーは「ドン・ファン」をゲヴァントハウスでリハ中に「諸君、そこんところはもっとソフトにやれないか。諸君のなかには、ここのソロを見事なピアニッシモでやっているオーボエ奏者が一人いるのだがね。」といい、その後、ベルリン・フィルにオーボエ奏者ケンペを何度も招いている。さらに、クレンペラー、ビーチャム、シューリヒト、クレメン・クラウス、ワルター、カイルベルト、ら大指揮者からは高い評価を受け、信頼のおけるオーボエ奏者として活躍していた。

 1934年のラプチッヒ・オペラでの「フィガロの結婚」のリハ中、指揮者のパウル・シュミッツが指揮台から転倒した。代役指揮者としてオーケストラ全員がオーボエ奏者ケンペを推し、上演まで漕ぎ着けたのである。これがケンペ、24歳の指揮者としてのデビューの経緯です。
 その後の指揮者としての活躍は素晴らしく、オケ、歌手、聴衆のケンペファンは遂にイギリスにまで達し、あの薬品会社社長で大指揮者、大のドイツ嫌いのビーチャムが自分の後継にケンペを選ぶのであるから、如何にケンペの音楽作りが、奇を衒うことのない、正当派の、魅力的なものであったかが判ろうというものだ。

 1975年のロンドン・プロムス・コンサートの時、BBC放送のインタビューで、
−テレビで音楽を聴かれますか。
  そんなには見ません。レコードならね。
−けれど、自分のではないでしょう。
  いえ、たいてい自分の演奏のものを聴きますよ。勉強のためにね。ちっとも満足したことはありません。でも、たった一曲、例外がありますね。ウィーン・フィルでのものです。
−本当ですか。
  ええ、「金と銀」。
−レハールの
  そう、レハールの。実にいい演奏でしたね。ウィーン・フィルの弦の音色は世界中さがしても他にはありません。次のシーズンでも、このロンドンで「金と銀」をやってみようとおもっているんですよ。

 いままでの演奏で一番気に入った演奏はと聞かれると、ケンペは必ず、ウィーンとの「金と銀」と答えている。
 この事は大阪の弁護士の尾埜善司(おのぜんじ)さんの執筆した『指揮者ケンペ』芸術現代社2001年130日発行の151頁の、「いきいき楽しい演奏」でも紹介されている。
 ケンペの「金と銀」は生きている間に一度は聴いておかれた方がいいですよ。ポピュラー曲ですが、ウィーンの弱音の弦楽器が泣きをいれること。ケンペの心に残る、会心の演奏ですから。
 ウィーンの連中も「やった!」と思ったでしょうね。ケンペの指導通り、繰り返しのところをピアニッシモで、魅力タップリに演奏しています。
 私は茲にくると毎回胸が締め付けられ熱くなって、自然と涙が溢れてくるので、どうしても毎日は聴けません。心が疲れ、寂しい状態になると自然にこのCDを選んでいます。聞き終えると目に涙がいっぱい。ああ〜、ケンペは矢っ張り巧いなぁ、と獨語する。

 また、ケンペは無類の模型汽車の蒐集家でした。自分の部屋で走らせるのが趣味で鉄道マニア。ドレスデン、ミュンヘン、ロンドン、ニューヨークと目紛しく居を変えているが、決して、ミュンヘンの自宅を転居しなかったのは、恐らく、部屋一杯の模型汽車が原因でしょう。汽車に夢中になっていて演奏会に遅刻しそうになったこともあったらしい。
 あと2つホビーがありました。星の観察と写真です。家族は黒のニューファウンドランド犬とアルザス犬。そして陽気な妻は元ソプラノ歌手エリーザベト・リンダーマイヤーで、スージーとマリアの二人姉妹の女系家族でした。
 これは、三浦淳史さんの「レコードを聴くひととき」の425頁にでてきます。
 ケンペが亡くなって28年、あの汽車はいま、どうなっているのでしょうか。

 これからも、気に入りで最上級のクラシック音楽を紹介していきたいと思っています。グリモーのピアノや、昨年亡くなったティボール・ヴァルガーのヴァイオリンなどを最上の音楽と考えています。
 最後に追記として、20世紀のレコード産業が全世界に広まったのは二人のプロデュサー、EMIのウォルター・レッグとDECCAのジョン・カルショーJohn Culshawの存在が大きい。
 レッグはシュワルツコップの夫でイギリス人、哲学者タイプ。カルショーはスポーツマンタイプで、彼もイギルス人。ランカシャー州サウスポートの銀行家の息子として1924年5月28日に生まれた。21歳で戦後、直ちに英デッカに入社している。クラシック界の大金字塔、ワーグナーのニューンベルグの指環の全曲録音を行い、レッグは50セットも売れれば上々と批判していたが、その壮絶な録音のために全世界中で爆発的に売れた。
 LP盤に針を降ろし、その針先がレコードの溝にへばり付いているかの様な凄い音がする。直ぐさま、テクニカル・データ(録音データ)のプロデューサーを探すと、決ってカルショーということが屡々でした。しかし、彼はオーストラリアまで出かけて、入国の予防接種で劇症肝炎となり、シドニーで詮方無く、痛恨の急死。1980年4月27日のことで、可惜、55歳。
 イギリス人はドイツ音楽を録音し、後世に伝える術に長けているが、ドイツ人は自らの曲を専ら演奏するのみ。クラシック音楽界には不思議な国民気質の違いがみられる。

   

参考書籍
  中河原理;『オペラ鑑賞辞典』、東京堂出版、1990年7月25日発行。
  尾埜善司;『指揮者ケンペ』、芸術現代社、2001年1月30日発行。
  三浦淳史;『レコードを聴くひととき』、東京創元社、1979年1月31日発行。

   

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